第74話 拘りを捨てられぬ者たち
新年明けましておめでとうございます。今年も『斎藤義龍に〜』を宜しくお願い致します。
1542(天文11)年は1人の人物の死から始まった。
正月6日、浅井亮政死去。浅井という一国人を北近江の一大勢力に押し上げた英傑の死だった。
そして最初の葬儀を浅井亮政正室の娘鶴千代を室として婿養子に入っていた浅井明政が取り仕切ったことで浅井領内は混乱。
六角から来た養子浅井左兵衛尉久政は奥の間に一時軟禁されるが、左兵衛尉久政母の千代鶴が朝倉氏と謀って小谷城を脱出。彼の室小野殿の父・井口経元の支援で小谷城奪還へ挙兵した。
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美濃国 大桑城
「以上が現在の北近江の状況に御座います。」
年明け早々の評定から重い空気が漂う。北近江の情勢はあっという間に流動化した。それだけ浅井亮政という人物の死は大きかった。
目を閉じて話を聞いていた太守様が目を開き、父左近大夫利政と左衛門尉利茂殿に尋ねる。
「京極は如何している?」
「奪われていた諸城に部隊を派遣しております。恐らく勢力の回復を優先するかと。」
「朝倉は?」
「左兵衛尉支持を鮮明にしておりますな。援軍の派遣も視野に動いているようですが、我々の動きが気になることと雪で道が半ば閉ざされていることで動きは鈍いようです。」
「六角は?」
「弾正様が一族である左兵衛尉に文を送っていますが、使者は会うことすら叶わなかったようで。」
六角から養子に入ったのに、左兵衛尉久政は完全に六角との交渉に応じない姿勢を見せていた。
逆に小谷城を占拠した浅井明政の方が六角への従属を願い出たという情報が入っており、事態はどう転がるか全くわからない。
「本願寺は明政支持のようです。逆に朝倉との関係からか左兵衛尉は本願寺とは対立しないまでも友好的とまではいかないようで。」
近江国は本願寺の力が強い。故に本願寺との付き合い方が難しいのだが、明政は本願寺との関係を重視していたため葬儀にも本願寺から文が送られている。一方の左兵衛尉久政は朝倉との関係もあって本願寺との関係は決して良いとは言えない。
「一つだけわかることがある。木沢の反乱に六角は介入できまい。」
六角氏による昨年の北伊勢への派兵は家督継承の箔付けのためだったが、だからこそ北伊勢の安定化に手は抜けない。
更に北近江の情勢が不安定化しては京周辺に介入する余裕はなくなる。
「となると伊勢方面は兵を送るには適しませぬし、北近江が内乱では兵を送れませぬ。我らも管領殿を支持するだけで終わらせますか?」
「そうも言っておれんのだ、左衛門尉。」
太守様がそう言って見せたのは年末年始にかけての畿内情勢を綴った文だった。差出人は権中納言三條西実枝様である。
「10月には三好らが摂津の一庫城から撤退。その後木沢長政は公方様を味方につけようと京に進軍した。」
「しかし、公方様は坂本に逃げた後だった。わしはそう聞いておりますが。」
現在の公方様、即ち12代将軍足利義晴は何かあれば坂本か朽木に逃げ込む。京を維持できずして何が室町将軍かとは思わなくもないが、足利将軍家は自らが兵力を持たないことが多い。なので危機になると依って立つ土地がない分作戦名「命大事に」で近江に逃げるのだ。
「木沢長政はまず大和や河内の米を京に配った。京の民衆の心を掴む方法として典薬頭のやり方に倣ったのであろう。そして朝廷に山城守を願い出ているのだ。」
「……まさか典薬頭と同じように帝を味方にしようと?」
「恐らくな。施餓鬼を続けている今手を出せば京の民は怒る。しかも施餓鬼を中断させれば帝は如何思うか。」
木沢長政という人の狙いが何であれ、それによって民の生活は楽になるのだ。それを阻害する動きを帝は決して喜ばない。
「憖公方様も施餓鬼に協力して僅かとはいえ京の名声を取り戻した身。ここで手を出せばその権威は再び地に落ちよう。」
というわけで、下手に動けば一緒に泥を被らなければならない可能性もある。支持だけというのも悪手になりかねない。
国人たちも含め、一同は唸り声を上げる。
「面倒なことを」「いっそ京の民ごと木沢を討てば宜しかろう」「しかしそれは公方様には出来ぬ」「管領は如何お考えなのか」
皆が隣同士向かい同士で喧々囂々の話し合いになったところで、徐に父が口を開けた。
「大和と河内を攻めるべきかと。施餓鬼をしているならば、施餓鬼の元となる資金や米を断てば良い。」
「しかし、それでは山城で我らが悪いと喧伝されてしまうのでは?」
「まず、六角には中立を保ってもらう。物流を止めないようにする。」
父が描いたのは木沢長政だけを干上がらせる戦略。
大和と河内の木沢長政の勢力圏を攻めることで木沢長政が施餓鬼を続けられない状況を作りつつ、六角氏を経由して物資を安価で京に流すことで木沢長政の地盤を破壊することで周辺から崩壊させる案だった。
「畠山稙長を復帰させようと既に遊佐長教が動いている。」
「しかし、仁木殿が笠置を攻めて失敗したと聞いたぞ。」
畠山稙長は11月に反木沢長政で紀伊国で挙兵。更に公方様が命じて伊賀国の仁木長政(名前一緒とか紛らわしい)に笠置城を攻めさせた。しかし仁木氏は伊賀忍の服部党に工作をさせたが失敗。仁木長政は幕府に依頼していた左京大夫任官を認められなかった。
「本願寺が小規模ながら木沢長政に協力している。大和や河内での木沢長政は強大な存在だ。余も如何なるかはわからぬぞ。」
「いいえ。木沢は勝てぬでしょう。わしが思うに味方が余りにも少ない。本願寺も本格的な公方との対立を恐れて間接的な支援しかしておりませぬ。」
太守様の懸念を父は一蹴する。そうなのだ。木沢長政は地盤が強固な分味方が余りにも少ない。畿内で味方しているのは大和で彼の調停で世話になった国人や河内畠山の家臣だが、それとて遊佐長教が敵に回った以上盤石ではない。摂津でも反発したのは一部の国人のみだ。
最終的に太守様を押し切り、伊勢から大和へ一部部隊を派遣することが決まった。
春先になるが大将には自分が選ばれた。河内の安井氏らを寝返らせるべく縁のある人間を送り込むと父は尤もらしく言っていた。
♢
美濃国 稲葉山城
「で、本当の所は如何なんですか?」
「わしにとっては安井を寝返らせることが出来るならそれはそれだ。とはいえ本質は戦の経験を積ませる為よ。そして北伊勢の様子を見ることだ。」
「安濃津ですか。」
「そうだ。長野氏が六角や北畠とどの程度対抗できているかを見ておきたい。」
この人は1つの行動にいくつもの意味を持たせないと死ぬとでも思っているのではないだろうか。安濃津を抑える長野氏の実力とどの勢力につくかを同時に計ろうとしているのだ。
「浅井が荒れたおかげで六角は動かぬ。ここで畿内の名声を追加で得ておいて悪いことはない。」
「其処にも手を出していたのですか。相変わらず無駄に手が長い上に多くの人を不幸にする事を平気でしますね。」
「わしは明政殿と仲良くさせてもらっていただけだ。文でもきちんと挨拶してくれる良い人そうな御仁だったのだが。」
そんな犯罪者の近所に住むオバサマのTV取材映像みたいな発言はやめるんだ。オバサマ方が嘘をついているように錯覚するだろう。
「しかしあの男にはとてつもない野心が隠されていたのだ。耳役はその野心の一端を見ておった。」
だからそういう昼のワイドショーみたいな語り口で犯罪者の二面性みたいに相手を語るんじゃない。耳役が取材班に置き換わったらそのまんまにしか聞こえないだろう。
「あとはな、其方ならやる気になろうと思ってな。」
「何故です?」
「隠さずとも分かっておる。早く婚姻の儀、行いたいであろう?余程器量好しなのか随分乗り気故な。」
確かにこの乱が収まらないと結婚は無理だ。手紙で三好殿の妹で満姫の姉が堺の豪商の息子と結婚した話を聞いたが、時期が時期故かなり大わらわだったそうな。
武家である我が家は尚の事厳しいだろう。
「其方の母である深芳野は良い尻でな。小見の方も腰つきがわし好みで見事なものだが、其方の相手は如何だ。」
いきなり下世話な話になった。
「お満様は良き乳をしてましてな。」
「なんだ、乳が好きなのか。母恋しいのか。其方もう16であろうに。」
「いやいや、あれはその様な器では御座いませぬ。正しく新境地。新しき世の幕開けで御座います。」
「乳は手に収まる分で十分であろう。大きすぎると年を食うと垂れるぞ。」
父と手の動きを交えながら、これまでで一番熱い議論を交わす。話してて思ったが父も乳は好きだろうこれ。
そしてブラジャーがないことに気づく。そうか、ブラジャーを作らねばならないのか。
「あれ程素晴らしきものを垂れさせるなど我が国の、いや日ノ本の大いなる損失に御座います。決してそのようなことは許しませぬ故、見ていて下され。」
「そ、そうか。……いや、まぁ、其方ならなんとかするであろうが……」
ワイヤーはこれまでの技術開発で使っている。基本型などはあまり詳しくないから幸と豊に協力してもらいながら進めるか。
これは技術開発のため。だから2人並んでもらって2人の良さを味わっても問題なかろう。
早速今日のやるべきことを見出した俺は、新年からやる気を満タンにして動き出すのだった。
「なんのかんのと言いつつ、女子の体にいつまでも興味津々なのは親子ですね。」
小見の方様、聞かれても良い話題だからと障子を開けていた廊下から通りがかりに呆れ顔でそんなこと言わないで下さい。
これは女性の未来を賭けた崇高な戦いなのですから。
浅井亮政が死去。
そして史実では大きな動きにならなかった浅井の家督争いがマムシのフリーハンドの餌食となって武力衝突になりかけています。
葬儀自体を取り仕切ったのは史実でも明政ですが、その後実権を久政が奪うのが史実。しかしマムシの介入で一時的に久政幽閉まで明政も持ち込んでおります。
木沢長政は史実より京の治安維持をうまくやっています。
仁木氏による服部党の派遣は史実の現存する記録における最初の忍者による工作活動です。
失敗していますがここから忍者が表舞台に登場します。
明日も投稿予定です。