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第73話 変わりゆくもの、変わらないもの

 美濃国 稲葉山城


 師走の寒さが身に沁みる。

 雪が降っていると音まで雪に解けたように静かになる。いよいよ今年も終わり。


 初めて収穫した綿で作った布団にくるまりながら幸と話をする。話題は色々だ。


「安井から送られてきた子は如何だ?」

「勉強熱心。算盤上手。」


 足を絡め合いながら身を寄せ合う。噂で聞いたが安井から来た成安少年はかなり聡明だそうだ。まだ若いのに文字は俺より綺麗らしいし算盤もマスターしつつあるそうだ。


「頭巾、流行ってる。」

「寒いから尚更かもしれないな。冬に頭頂部を守るものがないのは辛い。」


 前世は髪の毛を失う前に命を失ったが、風が吹くと突き刺さるように感じるのだ。

 この地域の寒さと、元服した時の恥ずかしさから外出している時は頭巾を被るようにしていた。


 この時代一般的な袋状の頭巾か高さのない烏帽子(えぼし)を最初は被っていたが、その内ベレー帽に近い物や野球帽に似た物も縫合(ほうごう)の練習がてら作って被るようになった。

 すると典薬頭を拝領した頃からこれらの帽子を「典薬頭巾」と呼んで似た物を作る人が現れた。

 昨年の京での活動以後こういった人々は爆発的に増えている。石鹸・リンスが流通して髪を洗える収入のある層が中心だ。


 月代さかやきはそもそも兜を被った時に蒸れるのを防ぐ為に生まれた髪型らしい。

 頭巾を被るのも蒸れることがあり、一昔前まで被っているのは剃髪した御坊様や髪の毛が抜けて商品などに影響が出ては困る一部の商人が被る物だった。


 ところが畿内や美濃・尾張では石鹸の流通で環境に変化が生じており、武士でも髪を定期的に洗えるからと頭巾を被る者が出ているわけだ。

 石鹸の登場による思わぬ波及効果である。そしてそれにタイミングがピッタリ合ったのが俺の帽子というわけ。


「流行り物に名前がつくようになったら本物。」

「別に野球帽に頭が良くなる効果はないがな。」


 典薬頭巾を被ると頭が良くなるなんて迷信も実しやかに語られている。野球帽なので蹴鞠とかの方が上手くなりそうだが、野球なんてまだ日本にはない(世界的にはあるのかは知らない)。

 現に幸は「やきゅう?」とこちらの剃り忘れた髭を触りながら不思議そうにしている。


 なんでもないと言いつつ今後のことを考える。自分が新しく持ち込んだ物が思わぬ影響を与える事がある。

 ノーベルだってダイナマイトを人殺しのために作ったわけではない。しかしそのつもりはなかったなんて言い訳しても結果は現れるのだ。


 結果には責任を持とう。しかしそのために技術を開発しないのはなしだ。乱世をより早く収め、多くの命が救うことのできる時代を少しでも早く迎えられるよう頑張っていこう。


「また考え込んでる。悪い癖。もう年の瀬。来年のことは来年考えなさい。」


 吐息がかかる距離に近づきこちらの唇に人差し指を当てながらそう言う幸に、それもそうかと思った。焦るな。焦ったら何も意味がない。


「とりあえず今の幸は襲われても文句言えないし気分が乗ったからもう一回ね。」

「きゃーおそわれるー。」


 棒読みで抱きついてきても説得力ないよね。


 ♢


 いよいよあと数日で年が明けるというある日。

 国友から来た鍛冶の1人大崎兵衛四郎が父を訪ねて来た。


「また其方に移住の話が来たか。別にわしは数が多い分には構わぬが。」

「お手間をおかけします。」


 国友鍛冶は崩壊の危機にあった。今年も浅井亮政は京極と戦火を交えており、戦乱の中心地に近い国友村は田畑が荒廃してしまったらしい。


「鍛冶の村とはいえ、農業をしている者も多く、彼らの生活が崩壊すれば鎧兜の修繕の仕事がいくらあっても村は終わりですので。」

「で、高田派を頼りたいものが増えている、と。」

「……南にいる門徒たちは大津の混乱を抑えるのと長島を維持するので手一杯に御座います。しかも国友村は高田派へ改宗して村を去った者が多いためか彼らに不信感を持たれたようでして。」

「余計支援が来なくなっている、か。」

「善兵衛も立て直すのはほぼ無理だろうと。自分は残るつもりだそうですが、主だった者は関や稲葉山に受け容れて頂きたいとのことです。」


 考える素振りを見せる父だが、腕を組みながらも嬉しそうな雰囲気が見てとれる。親子だから隠しきれてない。


「……では倅に管理させよう。先日稲葉山の南に移った国友の者がいる故、そこに移住するが良い。」

「忝い。この御礼は必ずや鍛冶の仕事でお返しいたします。」


 頭を下げる大崎兵衛四郎に父は満足気に頷いた。これで鍛冶の数がさらに増える。道具が増えれば来年から始める予定の堤防作りが捗るだろう。


 ♢


 美濃国 大桑城


 年末最後の出仕をすると、太守土岐頼芸(よりのり)様に呼ばれた。


「いよいよ年末よの。今年も典薬頭は忙しく方々を飛び回っては土岐のため尽くしてくれた。」

「いえいえ。某など大したことは……」

「今年は戦も大きなものがなく朝倉も攻めて来ず。尼子や大内は戦続きだったそうだが、畿内は平和で何よりだった。」

「美濃の民は米が畿内に売れたため最近は村の乙名(おとな)が石鹸を買うようになったとか。良い傾向です。」


 今年も畿内の作柄は安定しなかったため、美濃の米は飛ぶように売れた。おかげで村の代表者クラスの収入なら衣服を洗い直すために石鹸を買うようなことも出てきたそうで。


 麻布はある程度領内で作っていたが、当然のように足りず三河の綿布や相模の綿布を買ってきて売ることになった。農民が服を複数持てる。これが実はかなり画期的な時代である。

 特に稲葉山周辺の区画整理した地域は収穫が安定して増えていて子供も順調に増えているらしい。種痘は偉大だが小児科経験がないので乳幼児の病気への対応が今後必要になるだろう。


「でだ。そんな安寧の中で戦のことしか考えておらぬ余の息子に困っておるのよ。」

「はぁ」


 そう言われてもあれはもう天賦の才アリと飯篠(いいざさ)殿に認められていたし、諦めた方が良いのでは?


「このままでは土岐の家に続く絵の技を継ぐ者が居なくなりかねぬのだ。」

「土岐の鷹、ですか。」


 太守様の絵は天下一品と名高いが、特に鷹の絵は朝廷でも喜ばれる程の名画として知られる。これを贈れば良いのである意味朝廷工作は楽なのだ。


「そこでな。余の次の次の代になんとかこの書画の技を繋ぎたいのだ。」

「二郎サマは武勇に長けておりますが、書画をやる日は来ぬでしょうからそう思われるのも仕方ありませぬ。」

「なので其方に中継ぎを頼みたいのだ。二郎の後に余の積み上げたものを少しでも遺したいのだ。」


 数日もすれば太守様も40だ。この時代で言えばそろそろ後進の育成を考える時期。前世で言えば55くらいのイメージがちょうど良いか。

 土岐の鷹と賞賛される自分の技術を継ぐ者がいないことへの焦燥感がここに来て出てきたのだろう。六角から来た御正室は俺の4つ上だが子が生まれないため少しずつ立場が弱くなっている。


「最近は其方の噂のためか比叡山から稲葉山の不動院に高名な僧が来たと聞いた。余に新たに子ができるならその子に継がせても良いのだが、これまで祈祷を頼んだ寺院では効果が無かった。その僧にも頼むとするかのう。」


 薬師如来の生まれ変わり説のおかげか比叡山系の不動院は盛況らしい。名前をうまいこと使われている気がするが、以前の朝倉による放火以降こちらの支配地域では僧兵の数に制限がかけられている。

 寺院の移転・再建費用をこちらが払う条件にしたもので、法華宗(日蓮宗)と天台宗は犬猿の仲だがこれに従っているため表面上は穏やかだ。


「高名な御坊様の挨拶で一緒に来ていた善祥坊(ぜんしょうぼう)なる小坊主がなかなかに聡明そうであったぞ。今度会うのも良いかもしれぬ。算盤に興味を示しておった。」

「ほう。算盤にですか。」

「左様。比叡山で学んでおったそうだが、美濃での活動を増やすために選ばれたそうだ。算盤は使える者がまだ美濃にしか居らぬ故貴重だそうだ。」



 その後も何気ない四方山よもやま話を四半刻(30分)ほどして屋敷を後にした。帰りがけに見た二郎サマは飯篠殿に教えられた手首の返しを居合の中で一心不乱に繰り返していた。


 ♢


 余談だが、土岐の鷹を自分が習うようになると城下では二郎サマに代わって自分が跡を継ぐのではという噂が立つようになった。

 母の深芳野と太守様の落胤だったのではという噂もセットである。


 当然のようにそんなわけもないので各地で聞かれる度に否定するわけだが、噂を聞いた太守様はかえってムキになって土岐の鷹の書画指導の回数を増やすほどであった。



 一時期鳴りを潜めていた二郎サマの歯ぎしりがその頃から復活したのは言うまでもない。

こちらの世界も年末です。1541年が終わります。


鉄砲伝来まであと少し。なのに国友は崩壊寸前です。

そこにも実は影響を与えているのですが、当然そこまで歴史に詳しくない主人公は気付いていません。


そして遂に出始めた義龍落胤説。同時代史料にはこの話は出て来ませんが、こういう展開ならマムシがあえて自分からやるかな、という考えで入れました。

そしてそんな噂で教えるのを辞めたらかえって認めたようで辞められない太守様の性格も彼はお見通しです。


明日連絡しますが元日も投稿できると思います。理想は4日までの連続投下。頑張って書きます。

皆様良いお年をお迎え下さい。

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