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第72話 ストレスの解消は他人に迷惑がかからないものを選ぼう

江戸崎の位置は昨日の地図にありますので必要ならばご確認いただければと思います。


 美濃国 大桑城


 久し振りに参加した評定は歯ぎしりがやけに大きく聞こえた。父左近大夫利政に聞く限り今までとあまり変わらないというがそれは感覚がマヒしただけではなかろうか。

 評定では管領細川晴元に協力すること、援軍要請があればこれを受けることなどが決まった。


 台風の影響で美濃でも一部地域は稲が被害を受けたが、西部は昨年の台風を耐えたものを種籾としたおかげかあまり大きな被害にはならなかった。


 話の中では新田開発や四角い田んぼの排水能力について質問がいくつか父に向けられた。当然のように父はこちらに丸投げしたが、基本的には平地でないと土地の改良まで必要なので厳しいと話した。

 父は軍役を300ほど増やして欲しいとか言って太守土岐頼芸様から褒められていたが、実際は動員可能な数が600以上増えている。騙されてますよ、太守様。


「今日の最後になるが、収穫を終えた後、江戸崎にいる余の弟が美濃に来る予定でな。接待役を誰かに務めてもらいたい。」


 関東にも土岐一族がいる。常陸国江戸崎の原治頼はらはるより様といい、太守様の弟である。分家筋だが治頼様を養子に迎えたために血縁が濃くなった。彼は土岐の跡継ぎ争いに巻き込まれなかったため、越前にいる太守様の兄とも文をやり取りしているらしい。


「ならば左衛門尉さえもんのじょう殿が適役かと。」


 父がもう1人の守護代である斎藤左衛門尉利茂(とししげ)殿を真っ先に推挙する。格で言えば父か左衛門尉殿なので押し付けようという魂胆が見え見えである。


「いやいや、某より左近大夫殿が適役かと。」

「わしは太守様の御恩で分不相応なこの地位を与えて頂いた身。出自の卑しさが出ては太守様に顔向け出来ませぬ。」


 思ってもいないであろう事が良くここまでペラペラと出て来るものである。

 言ってしまえばドウゾドウゾと互いに押し付けあっているわけだが、太守様はやる気の無さそうな2人が不満なようだ。


典薬頭てんやくのかみ、其方は如何であろう?」

「えっ」

「おぉ、それは名案に御座いますな。」

「我が息子なら官位もあり元服当時から守護代を継ぐべく学んだ身。失礼もない事でしょう。」


 慌てて父を見るとその顔は明らかなしたり顔だった。このクソオヤジ、初めからこちらに押し付ける気で最初に左衛門尉殿に話を振ったな!


「では典薬頭よ、気負わず其方流でもてなせば良い故、宜しく頼んだぞ。」

「かしこまりました……」


 ホッとした表情の左衛門尉殿と対照的に今すぐ顔面に拳を叩き込みたくなる父の悪い笑顔を見ながら、いつかぎゃふんと言わせてみせると心に誓うのだった。


 ♢


 太守土岐頼芸様の弟である原治頼はらはるより様はぱっと見では判別がつかないほど頼芸様と良く似ていた。髪型に特徴がないこの時代、背格好が似ているとそれだけで親しくないとわかりにくいものだが、ここまで似ていると夢に出そうである。


「其方が典薬頭か。今回は頼むぞ。」

「ははっ、若輩者ですが全力を尽くす所存に御座います。」


 ちなみに、原の家は上杉方だったので北条の招待を受けた関東行きでは挨拶も厳しかった。一応書状と使者だけは送っていたが、悪い印象はないようだ。


「其方と会えなかった故美濃に行って会うから通行を許せと言ったら、苦い顔をしながら伊勢も道を開けたわ。ある意味お手柄だったぞ。」


 上杉方の人々に北条氏は伊勢氏と呼ばれている。北条など名乗らせないぞということらしい。このあたりは触れない方が良い話題だ。


「こ、今回は香取かとり神道流の3代目が御同道されているとか。」

飯篠いいざさか。確かに来ておるぞ。」


 この話題は嬉しいらしい。兄の太守様と瓜二つな笑顔で持っていた扇子を使って後ろに控えていた武士を近くに招いた。


「香取神道流三代目を先日継いだのがこの飯篠若狭守(わかさのかみ)盛信(もりのぶ)だ。」

「お初にお目にかかる。」


 頭を下げた後にこちらを見たその瞳に、一瞬で射竦いすくめられた。

 背中を一筋の冷や汗が伝う。これが本物の剣豪……塚原卜伝(つかはらぼくでん)の学んだ流派の現当主。


 足が根を張った様に動けなくなったのは数瞬で、すぐに威圧感がなくなった。

 気を緩めてくれたらしい。


「失礼致しました。かねてより知勇兼備と名高き典薬頭様と御会いしたいと思っておりました故、つい剣気が漏れてしまいました。」


 父はマムシだが今の自分は蛇に睨まれたカエルだった。本物の剣豪を前にしたら動けないでは命を狙われた時まずい。

 先程とは別の嫌な汗が噴き出した。側にいた光秀を見ると刀にかかっていた手を離すところだった。やはり歴史に名が残った名将。自分とは違う。



 屋敷に入り、兄弟が揃うと本当に良く似ていた。服を取り替えたら家族でも見分けがつくだろうか。

 少なくとも目の前にいる歯ぎしり御曹司は口を大きく開けたまま目を見開いてポカンとしていた。

 気持ちはわかるが品性のかけらもないぞ。とりあえず口を閉じて下さい。


「兄上、下腹がたるんでおりますな。絵ばかり描いているからですぞ。」

「其方は少し痩せたの。戦に出る事も多いのか?」

「千葉やら小田がいつも此方に攻めてきます故、馬に乗る事が多いのですよ。」


 いや、見た目どちらも全く同じふくよかですよ。


「苦労しておるな。余の方から北条に頼むか?典薬頭が縁を結んだ故頼めなくもないぞ。」

「伊勢との繋がりは失いたくはないですが、今は結構で御座います。近いうちに文をお願いするやもしれませぬが。」

「……上杉と今川は耐えきれぬか?」

「恐らく兄上が思っている以上に今川は厳しいでしょうな。渥美あつみの戸田氏が斯波につきました。東海道の物の流れから今川だけが除け者にされているようで。」


 渥美半島が弾正忠家の勢力下に入ったらしい。つまり三河の海路は織田のものになったわけだ。北条が駿河東部までを掌握していることもあって、商人は堀越方についた飯尾いのお氏の懸塚かけづか湊などを経由して北条についた吉原湊に向かうようになっているようだ。


 今川の水軍は伊豆・そして吉原の水軍に数で不利らしく、水運でも遅れをとっていて駿府の繁栄はかげりが見えているらしい。


「太守様、もしも今川が滅びれば、東海道は我らと親密な勢力だけになります。」

「南の安定は朝倉相手に集中できる環境が整うということ。其方が余に示した条件が整うということよな。」

「その時は北条との間、兄上にうまく執り成してもらうぞ。」


 隣にいた父がそう言うと、太守様含め3人で底意地の悪そうな笑顔を浮かべた。

 どうしてこう周りにいる人が皆腹黒いのか。善人は俺だけか。


 ♢


 兄弟水入らずで話がしたいと仰るので場を離れると、廊下に歯ぎしり御曹司が待ち構えていた。少し眉間の皺、癖になっていません?


「新九郎、香取神道流の飯篠殿が来ているとは真か?」

「はっ。先程お会いしましたが、凄まじい剣気に圧倒されました。」


 ちなみに俺が典薬頭になったのが余程悔しいのか二郎サマはこちらを呼ぶ時新九郎と呼ぶ。


「ほう。ならばしゅ・く・ん!である某が挑んで来てやろう!」


 そう言ってこちらに背を向けると意気揚々と廊下を歩いて去っていった。

 いや、そっちには飯篠殿どころか弟様の家臣は誰もいないんだけれど……。


 ♢


 四半刻ほど小姓たちと二郎サマを探すと、中庭で座り込んでいるところを小姓の1人が見つけたらしい。先に話を通しておいたのでそのまま中庭に向かい、二郎サマの指南をお願いすることになった。


 木刀を構える二郎サマは日頃から鍛錬ばかりなだけあってかなり綺麗な中段の構えだ。

 対する飯篠殿は両手で木刀を右肩付近で立てる様に構える。剣道部の友人がやっていた八相はっそうの構えに近いものの記憶より木刀が立っている。


「いつでもかかって来て下さいませ。」

「お手並み拝見といこうか!」


 力強く前に出た二郎サマはそのまま左手を突くような動きを見せる。立っている木刀では防いだりいなすのが難しい動き。一手目から相手の構えを崩しに行くあたり二郎サマの鍛錬を続けたという言葉に偽りはないのだろう。


 しかし、僅かに下がった飯篠殿は手首を返しながら勢いよく突きに来た二郎サマの木刀を滑るように横に沿わせながら軌道を逸らしてしまった。

 たたらを踏んだ二郎サマだったが、体勢を無理矢理起こしてそのまま足を薙ぎにいく。

 足を払ったと思ったが飯篠殿が後ろに一歩下がると不思議と木刀はかすりもせず。


「ふむ。力もあるし芯が特に鍛えられておりますな。しかし固い。」

「くっ、ならばっ!」


 叫んだ二郎サマは今度は下段気味に構える飯篠殿に向かって上段に振りかぶりながらジリジリと近づいていく。顔には力が入っているがやることは慎重そのものである。


 二郎サマが裂帛れっぱくの気合いと共に上段から一気に振り下ろす。これに対し今度は下からかちあげる様に迎え撃つ飯篠殿。何故か振り下ろした二郎サマの木刀が弾き飛ばされ、思わずといった様子で空いた左手で右手首を抑えた。


「常人なれば今の振り下ろしを危険と思うでしょうが。残念ながら力を入れずにこちらが下がった所で思いきり喉元でも突きに来る気だったのが読めましたな。二撃目を本命にせんと一撃目に腰が入っておりませなんだ。」

「それが動きでわかるか……やはり長く続く流派の当主は違うな。」


 少し右手を握って開いてして動くことを確認した二郎サマは、手放した木刀を拾うと再び構えだした。


「正直、我が殿の甥にあたる方と伺ったのでここまで武を鍛えておいでとは思いませなんだ。弟子の中でもその御歳でここまで動ける者はあまり居りませぬ。」

「土岐源氏は由緒正しき武門の名家よ。その嫡男なれば武に優れるは当然。」

「……なるほど。そういうお考えですか。」


 再び上段に構えてから少しずつ間合いを詰める二郎サマ。しかしその瞬間、飯篠殿の目つきが変わる。


「っ!!」


 睨まれた二郎サマは咄嗟に構えを解くと跳ぶ様に大きく後ろに下がった。やや腰が退けたようになりながら左手に持った木刀で胸辺りを守ろうとする。


「ふむ。逃げるなら真後ろより横にずれながら間をとるべきですな。真後ろは場合によってはそのまま飛び道具などで命をとられたり傷を負わされかねませぬ。」


 目つき以外は先程と変わらない。しかし雰囲気ががらりと変わった。カラスのように理知的な目だったのが鷹の目になったような。視線が槍の様に突き刺さる錯覚に陥る。


「とはいえ、鍛えるべき部分がわかりやすい太刀筋にて。滞在する間はお相手させて頂きましょう。」


 そう話した瞬間、飯篠殿の目つきに鋭さがなくなった。

 二郎サマは息を荒くしながら「これが本物ということか」とか呟いている。


「若殿様は今まで基本を確りと鍛えてこられたのがわかる体作りです。誇っても宜しいかと。」

「ま、ま、まあこの程度武家の跡取りなら当然よ。」


 口元がヒクヒクしながら緩んでるぞ。デレても男じゃ需要はないぞ。

 とはいえ眉間の皺もとれて歯ぎしりが鳴っていないのはとても良い事だ。暫くは2人で楽しく修行しててくれたまえ。


「新九郎、折角だから其方も参加せよ。毎日飯篠殿に御指南頂く。」

「え。……と、殿より接待役を仰せつかっているので毎日は厳しいものがあるかと。」

「では父上に御願いして休める日は参加できるようにしよう。このような機会滅多に無かろう?」

「ご、御配慮痛み入ります……」


 ♢


 1月弱の滞在期間中半分は鍛錬に参加させられ、毎日木刀でボコボコにされた。

 飯篠殿は流石に要領を得ていて翌日に痛みやあざはほぼ残らなかったが、二郎サマは加減が下手で痛い思いを何度もさせられた。


 10日程で記憶にあった竹刀に似た練習用具を作り、以後はそれで鍛錬をするようになった。

 しかし二郎サマは「真剣の感覚から離れすぎている」とか言って使ってくれなかった。


 1月経つ頃にはかなり爽やかな顔の二郎サマが見られるようになり、国人や家臣からは同情の目で見られるようになった。

 飯篠殿は二郎サマを結構気に入ったようで熱心に教えていたが、最後に1つだけ俺に言い残して帰っていった。


「右肘を無意識に庇う動きをすることがあります。何故かは分からぬので幼き頃に何かあったなどで無礼と言われると困るので伝えておりませぬ。典薬頭様からお伝え頂きたい。」

「それは戦などでも目立つものですか?」

「いえ。槍を教えた時は特にそういった様子はありませなんだ。まぁ戦さ場で刀を持って戦う事も無いでしょうし、数日立ち会って初めて気付いた程度のもの。大丈夫かとは思いまする。」


 あれだけボコボコにされたとはいえ、話す機会があれば教えないとまずいか?そもそも話す機会があるかという問題はあるが。


 太守様の弟が帰ってからも、二郎サマの上機嫌は暫く続いた。


 父からは「大役見事!おかげで当分歯ぎしりも聞かずにすむ!」と喜ばれた。猿蟹合戦の蟹になった気分だった。美味しいところだけ持って行くとは、流石マムシ汚い。

天真正伝香取神道流と現在は呼ばれていますが、当時の文献だと香取神道流だけのものが多いようです。


剣術自体は剣道を12年ほど習っていた自分でも一度しか生では見たことがありません。

その時の記憶と動画サイト様の映像で描写を考えてみました。

塚原卜伝に香取神道流を教えたのが多分今回出てきた飯篠盛信の父盛近です。


土岐治頼がこの時期に美濃へ来た記録はありませんが、史実ではそもそもこの時期には斎藤道三と土岐頼芸で対立していた時期ですので仕方ないものがあると思います。文のやり取りはあったのでこういうことも平和ならあったかな、という部分から話を作っています。

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