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第70話 うちは駆け込み寺ではないと声を大にして言いたい(言えない)

 下野国 高田専修寺(せんじゅじ)


 大量に増えた医学生は小田原に向かい、こちらの一行は尭慧ぎょうえ殿と合流して今度は下野(栃木県)に戻ることになった。


 下野の高田専修寺はいわゆる高田派の本寺だ。伊勢にある無量寿院むりょうじゅいんは畿内周辺の本山とはいえ、こちらの本寺に入れるか否かも高田派の後継者として重要といえる。


「帝への拝謁が叶って以来、一部に残っていた強硬な真智殿の派閥も静かになりました。ここはもう拙僧の治める地に御座います。」


 招待された専修寺は戦国乱世の中で本堂が焼かれたとのことで、仮の本堂は造られて日が経っていないらしい少し寂しい物だった。しかし尭慧殿は明るいし迎えに出て来た御坊様たちも悲観しているようには見えない。


「今回の件で北条殿から多少の金銭を御寄進頂きましたので、もう少しで御堂の再建も手がつけられると思いますよ。」


 これも義弟殿のおかげです、なんて言われたが、診療費の代わりになるものを俺が殆ど貰えてないのはいかがなものか。


「その御礼も兼ねて、と言えるか分かりませぬが。今日は会わせたい御仁が居りまして。」


 背中を丸めながら入ったまだ木の香りが残った建物では、3人の人物と会うことになった。


「典薬頭様にお会い出来望外の喜びに御座います。某名を芳賀はが入道道的(どうてき)と申します。後ろに控えるは我が子の高照たかてる高継たかつぐに御座います。」


 芳賀氏は下野の名門宇都宮氏の重臣だ。芳賀氏の力は時に主家をも脅かすレベルらしく、しばしば両家は対立している。目の前にいる芳賀入道も先代の宇都宮氏当主を宇都宮錯乱と呼ばれる争乱の中で殺害している。


「因果応報というやつでしてな。現当主から命を狙われる身となってしまったのですよ。」


 宇都宮錯乱は入道の兄が時の当主である宇都宮成綱うつのみやしげつなに殺され、その報復で入道がその弟興綱(おきつな)を討ったものだ。

 一連の流れの中で芳賀氏と宇都宮氏には恨みと怒りが相互に積み上がっている。


「とはいえ、この因果に息子を巻き込みたくはありませぬ。何より一連の争いで宇都宮の家も芳賀の家も大きく力を失いました。このままでは共倒れになりましょう。」


 戦国乱世の負の連鎖。誰かが殺され、報復し、報復仕返され、恨みが積もり積もって誰もが戦乱を終わらせられなくなっていく。

 先祖代々積年の恨み。鎖のように一族を縛るそれは個人で捨てるのは一族が、民が認めないが故に、圧倒的な力を持った誰かが現れない限り終わらない。


「この身に何かあったら2人にはこの寺を経由して典薬頭様の地に逃がす所存です。縁戚とはいえ那須も江戸も争いが絶えませぬ。他に伝手がなければ彼らを頼ろうと思っておりましたが、尭慧様からお誘い頂きましたので。」


 郎等に加え、芳賀郡の機織り職人も一部に渡りをつけてくれたそうだ。芳賀(真岡もおか)は古墳時代の機織り機が見つかるほど機織りの文化が根付いているらしい。

 職人は簡単には育たない。彼らが尭慧殿を経由して美濃に来るなら十分な診療報酬になる。


「まぁ、職人は確実にお届けしますが我が子が世話になるかはわかりませぬが。伝手を得るためなら安いものですからな。」

「いえいえ。とても有り難いことです。」


 北条からも僅かに三浦木綿の職人の指導と栽培ノウハウを貰うことになっているが、職人本人の移住はそれとは比べものにならない大きなことだ。

 尭慧殿、ほんの少しだけ兄と心の中で認めてあげることにしましょう。


 ♢


 夜高田派の僧に大歓迎を受けた翌日。


武茂むも氏から典薬頭様にお会いしたいという人物が来ております」という連絡を受けた。

 話を詳しく聞くと武茂氏を頼って三河から逃げた大久保党の面々だという。


 面会の部屋には代表して老若6人が居た。代表は岡崎城に籠城し討死した大久保忠茂の子である大久保忠俊(ただとし)


「御目通り叶い恐悦至極に御座います。」

「お父上の件は残念でしたね。」

「いえ。我ら一族の考える忠義はああせねば示せませんでした。なれば松平のために我らがすべきことをしただけで御座います。死は恐るべきものに非ず。恐るべきは我らが我らでなくなることにて。」


 何この人たち怖い。主家の事情より主君の立場を考えるより自分たちらしさ重視なのか。


「え、えっと。今日は何用で御出でになるなられたので?」

「我ら一族の松平復帰を典薬頭様にお執り成し頂きたく。典薬頭様の下で陣借りを許して頂ければ必ずや武功を立てまする。それをもって岡崎に復帰を願い出たいのです。」


 陣借りは手弁当、つまり自費で戦に参加することだ。かかる経費は自分たちで出さなければならない上、活躍しても正規に雇われるとは限らない。


「流石に何も出さぬのは如何かと思いますので陣中での兵糧は用意しますよ。ただしこちらの指示には従うことです。」

「かたじけない。勿論活躍の場さえ頂けるならご指示には全て従いましょう。」


 それ活躍できなさそうなら独断で動くってことじゃないかね。


「それはお約束しましょう。場所は朝倉か畿内になるでしょうが。」

「望むところです。あと、お願いを聞いていただく感謝の意に我が弟の子を典薬頭様の側に仕えさせて頂きたく。」


 そこで後ろにいた忠俊より少し若いが壮年に僅かに手がかかるかといった容姿の男が半歩ほど身を乗り出した。


「某の息子、新十郎と弥八郎を御奉公させまする。何卒宜しくお願い致します。」


 聞くところによると新十郎は数えで10歳、弥八郎は数えで5歳だった。

 実質的な人質として差し出してきた形だ。とはいえ今の状況から徳川の復活は困るわけで徳川譜代の優秀な武将は織田や斎藤で確保したいのも事実。自分は知らないがきっとこの2人も将来は優秀な武将になるだろう。


「典薬頭殿、義兄もなかなか使えるでしょう?」


 面会が終わった後に尭慧殿にそう言われた。確かに職人や様々なコネを得られたことは素直に感謝したいところだ。


「というわけで、今度来るときのために専修寺の本堂の天井を義弟殿の背丈に合わせるため少し御寄進があれば更にこちらもお役に立てるのですが……」


 揉み手に笑顔でそう迫って来る尭慧殿を見ながら、俺はやはり当分義兄とは思うまいと心に誓うのだった。

本日より先日書いた通り年末4日間毎日投稿始めます。


明日の分で関東編は終わりになります。ですのでそこで主人公の関東編での行先などを地図にしたいと思います。


真岡綿は江戸時代からですが、文中にある通り機織の文化はかなり昔からあったようですので

そのまま職人がいたことにしています。


関東ではコネと職人、そして人材と嫁(予定)を得ました。

明日の分と合わせてこれがどう後世に影響するかも書いていく予定です。

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