第7話 濃姫誕生!と生きること
美濃国 稲葉山城
天文4年(1535)早々、
小見の方の出産には
というわけで、事前に辛い時の呼吸法としてラマーズ法と、産湯と手洗いの徹底だけ伝えた。
明の書物に書いてあるって言えば大体信じてもらえるのがありがたい。書名聞かれたからパッと思いついた『解体新書』って答えてしまったから、後で漢字を覚えたら写本ということにして作らないと。厄介だ。
一族皆で待つこと3刻(6時間)ほどで小見の方のお付きの女性が待機していた部屋に入ってきた。
「産まれました。元気な女の子です。
聞き終わるか終わらないかで父の左近大夫規秀は部屋を飛び出した。叔父上は苦笑して、
「豊太丸や姉達の時と全く変わらんな、兄上は。」
と言って部屋を出て行った。ホッと安心したけれど、立場的に会いに行くのもなんとも微妙である。
どうしようかと悩んでいたら、お付きの女性が笑いながら声をかけてきた。
「豊太丸様、御前様は貴方様にもぜひ御子と会って欲しいと仰ってました。」
「あれ?いいんですか?」
「ええ。ご案内します。」
運良くか、小見の方の器の大きさか妹と初対面である。念のために手洗いうがいをして部屋の前まで少しふわふわした気分で行くと、大きな泣き声が聞こえた。
「ううむ、顔を見たら泣かれたぞ。」
「兄上、それは豊太丸の時と同じでありますぞ!」
中からは笑い声も聞こえる。どうやら父上が女の子を泣かせたらしい。怖いからな、さもありなん。
「来たか豊太丸。入っていいぞ。顔を見せてやれ」
「はい。失礼します。」
中に入ると、白い服を着させられた赤ちゃんが泣いていた。小見の方の横で泣く姿に、なんとも言えない感覚を覚えた。
父が手に触れると女の子の叫び声が一段階上がり、部屋にいると耳を塞がないと耐えられないほどになった。
慌てて父が手を放す。
「むぅ。何故この子も泣き声が大きくなるのだ。姉たちもそうだった……。」
軽く父はショックを受けているようだが、今まで行ってきた数々の悪行を思い出せば理由は
「豊太丸殿、貴方もこの子の手を握ってあげてくださいませぬか。」
小見の方に言われ、父が引いたスペースに座る。耳元で「お前も泣かれてしまえ。」と父に囁かれた。器小さいな。
胃洗浄の手術で胃腸を持った時よりそっと手を握った。泣いていた赤ちゃんがふと泣きやみ、こちらを黒い大きな瞳でじっと見つめてきた。
その瞬間、吐き気とは全く別の、何か暖かいものが胸をせりあがってくるのを感じた。
「なんだ、泣いているのか豊太丸。お前まで泣いては格好がつかんぞ。兄として立派な姿を見せねば。」
「殿、豊太丸殿は私の子を見て感動してくれているのですよ。良いではないですか。きっとこの子と豊太丸殿は仲良くなれますよ。」
泣いてる?誰が?俺が?
「あの病から能面のような顔ばかりしていたが、ようやく人間らしい顔をするようになったな。」
そういえば、まともに泣いたの、前世の最後はいつだっただろうか。救急外来4年目に川で溺れた中学生を助けられなかった時にはもう泣かなくなっていた気がする。
そうか、また泣けるようになったのか、俺。
前世の間も産婦人科には特に縁がなかった。救急外来でもたまたまその類いの患者は来なかった。だからだろうか、人の命の凄さと尊さは知っていたつもりだったが、改めて凄いと思わされた。
この子にはうんと優しくしよう。俺の大切なものを取り戻させてくれたこの子を、大事にしよう。立派な兄となれるように、生きていこう。
「さて、この子の名前をどうするか。」
「姉の月姫は満月の夜に御生まれになったんですよね。」
「ふむ。では午の刻に産まれたから馬姫か。」
「兄上、それはかなり安直が過ぎますぞ……。」
おお、名前か。名前は大事だよね。そして父のネーミングセンスは壊滅的だと気付いた。なんだそれ。戦国時代でも女の子に馬はありえないでしょう普通。女の子ってわかってるのかこのマムシ。
「殿、この子はきっと皆から愛されましょう。蝶よ花よと育てられるでしょうから、蝶という名はいかがでしょう?」
「兄上、それが良いかと!」
小見の方の発言にかなり食い気味に叔父上が賛同した。よほど父の名付けはまずいと思っているらしい。わかる。この人すごい人かもしれないけれど名付けはダメダメだ。
「う、うむ。2人がそういうならそうしよう……。それと豊太丸は後で泣かれないコツをわしに教えるように。」
気圧された父がうなづいた。とりあえず
しかしそうか、この子は蝶姫か。
ん?蝶……帰蝶?
あー!濃姫だこの子!
知り合いの過労で倒れた方が陥った症状を参考に感情の起伏が少ない主人公に最初していました。
その人物が感情面で回復したのが「親戚の産まれた子(生後2日)に会って泣いたこと」だったそうです。
彼もここから少しずつ人間らしさが見せられると思います。