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第67話 関東物見遊山(させてくれない) その3

関東編その3です。最初は三人称。♢♢から一人称になります。

 信濃国 小諸城


「報告!矢沢の軍勢が東から現れました!」

「敵大井貞隆(おおいさだたか)の軍勢、板垣様の先鋒と乱戦の御様子!!」

「ええぃっ!何故矢沢がこちらに来ている!?」


 武田大膳太夫晴信は絶叫していた。

 本来であれば楽なはずの戦だったのが、1人の人物の復活によって大きく狂わされたからだ。


 北条氏綱が河東へ兵を率いて現れたことで、予定されていた海野うんの一族のいる小県ちいさがた・佐久への侵攻は大きく予定を変更していた。

 そもそも氏綱が病で倒れ、北条が身動きが取れないと知った武田信虎が村上義清むらかみよしきよ諏訪頼重すわよりしげを誘って海野一族の領地を攻め取ろうとしたのが今回の戦だ。


 それが根底から覆された。氏綱は輿こしには乗っているものの、多くの乱波がその生存を視認した。まるで健在を見せつけるようだったという。


 晴信の父である武田信虎は北条への対応のため今川義元に援軍派遣を決定。自らは出兵を取りやめ、兵の多くも駿河へ派遣された。

 結果として今回の戦の発起人だった武田が最も出した兵力が少なくなり、佐久郡の大井貞隆との兵力差がほぼ無くなってしまった。


 そして大井軍の先鋒である芦田信守あしだのぶもりに粘られ、かつ援軍として小県からやって来た矢沢頼綱やざわよりつなに側面から攻撃を受けたことで大乱戦になってしまった。

 こうなるといくら才覚を認められる大膳太夫晴信でも状況把握がやっととなってしまう。若年の晴信に事態の打開は厳しいものがあった。焦りからか彼は左耳をしきりにいては陣内を歩き回る。


「上田方面の村上は如何しておる!?」

「先程の情報では、真田幸隆さなだゆきたかに諏訪様の軍勢が切り崩されたためその立て直しを手伝っていると!」

「くそ、だからあんなうだつの上がらなさそうな男に禰々(ねね)をやるのは反対だったんだ!」


 吐き捨てるように叫んだ武田の若き大将に、追い討ちをかけるような一報がもたらされる。


「報告!海野の若大将が村上勢の後背に突撃しまして御座います!」

「まずいな……村上の様子次第で撤退せねばならん!念のため準備をせよ!」

「はっ!」


 村上が自身のことで精一杯になれば諏訪が潰走し自分たちが優勢になっても戦に負ける。そう判断した彼は被害を抑えるべく準備を始めるのだった。


「しかし、父上は今川に肩入れしすぎだ。東西を敵に挟まれた今川に味方しても先は見えぬ。父上はそれがわかっておらぬのか……!」


 彼の懸念はその後村上義清本人が馬廻りを率いて海野勢を撃退したことで当たらずに済んだものの、決着をつけることも出来ず両軍は撤退を余儀なくされた。


 その後、諏訪頼重が山内上杉氏を経由して単独で海野氏と和睦を結んだことで連合軍は解散。

 武田は佐久郡の一部を追加で押さえたものの大きな勢力拡大は叶わず、村上は収穫らしい収穫を得ることなく撤退することとなった。


 逆に、この一戦で劣勢を凌いだ海野・真田・大井・望月ら佐久・小県の諸将は山内上杉の支援の下結束を強めていくことになった。


 ♢♢


 相模国 小田原城


 6月。日差しも強くなり、北条家中に美濃和紙の扇子が人気になりつつある。


「というわけで、武田は信濃で思い通りに行かずに困っているようです。」

「はあ。それは何よりですね。」

「やはり戦の話はあまりお好きでないようで。」


 にこにこと笑みが絶えない石巻家貞いしのまきいえさだ殿。錦小路家の隠居屋敷の準備も順調だそうで、氏綱様の病気を回復させて都への太いパイプを作れた石巻殿は皆の前で褒められたそうだ。ご機嫌にもなる。

 5月半ばに行われた信濃の戦で武田が負けはしなかったものの勝てずに撤退したらしい。どうやら武田の敵である真田がすごかったそうな。


 真田って武田の家臣じゃないのか?と思ったが、どうやらこの時期は武田と真田は敵対しているらしい。

 逆に、戦国ゲームでは武田の最初の敵だった村上義清と武田は協力しているとか。10年でこのあたりの関係性が一気に変わるのか?なんとも不思議なことだ。


「石巻殿、それで今日は一体如何いった御用件で?」

「小田原まで来て頂いたのは、此度の御礼がしたいというのが理由で御座います。」


 そう言った石巻殿は、奥の部屋に用意された酒食の席へこちらを案内した。

 御礼と言われて悪い気はしない。何よりこの時代は診療報酬などが明確に定義されていない。これが一種の診療報酬だろう。賄賂ではない。賄賂ではないのだ。



 席には既に北条の若殿である新九郎氏康様と錦小路盛直様、そして小田原に居る家臣一同が並んでいた。新九郎氏康様と家臣達はわざわざ立ち上がって歓待してくれる。


「良くぞ来てくださった、典薬頭様。父は河東かとうから動けぬ故某が接待させて頂きます。」

「某などのために過分な取り計らいを頂き、却って申し訳ないですね。」

「何を仰る。天下一の名医に礼節を、それも父を診て頂いてそれを欠くは関東管領の名折れに御座います。」

「左様左様。素直に歓迎を受けられよ。」

「錦小路様がそう仰られるなら。」


 錦小路様の隣、最上位の席に座らされる。

 隣の新九郎氏康様が側にいた家臣に合図すると、奥の下座側から襖が開き、続々と女性陣が酒と一部の膳を運んできた。


「殿、こちらにあった物と併せて先ほど御毒味を済ませてあります。美味な物ばかりですよ。」


 側に控えていた新七がわざわざ告げに来る。いや、別にそんなこと疑ってないけれどね。それより温かいうちに美味しい物が食べられるお前が羨ましいよ。


「失礼します。こちら伊豆で獲れましたかつおに御座います。」


 自分の膳を運んできたのは若いというより幼い女の子だった。膳に頭が隠れるくらいの年齢だが仕立ての良い着物と品のある立ち居振舞い、そして耳に心地良い華のある声だ。おみつの色気のある声と違って心が落ち着くタイプの声である。


「ありがとうございます。」

「い、いえいえ。なにかそそうなどあれば、すぐにおもうしつけくださいませ!」


 近くで室として席に呼ばれていた豊が「作法も完璧、御美事です。」とかつぶやいているが、確かに粗相とかしそうにないくらい理知的な娘である。


「典薬頭様、その娘は私の長女で御座います。初めての子で父にとっては某の初孫に御座いますので可愛がられておりまして。此度の典薬頭様の医術で父が救われたことを大いに喜んでおりまして、何か御礼をしたいと言って聞かなかったのです。」

於春おはるともうします。六つにございます。」


 満年齢で5歳である。それはさぞかし可愛がられていることだろう。


「もしも何か御無礼を働いたら遠慮せず仰って下さい。歓待するための席で御不快な思いをさせるわけには参りませぬ故。」

「ませぬゆえ!」


 周囲の雰囲気を和ませた時点で既に素晴らしい仕事ぶりである。



 さて、料理の鰹である。

 美濃は山国なので魚といえば鮎だった。鰻は今山葵(わさび)とたまり醤油の栽培や試作をしてもらっている段階なので、下魚扱いで変わっていない。骨をカリカリに揚げた煎餅をカルシウム源にするくらいである。


 なので川魚メインで海の魚はかなり久しぶりだった。塩漬けの鰹はそのまま食べると辛いくらいだったが、湯漬けに入れるとまろやかになり出汁が出ていた。

 うまい。旨味が濃縮されている。まだまだ出汁の文化が発達しきっていないのでこれでも十分なくらいだ。


 鰹節のことを聞いてみたがまだないらしい。カチカチになるまで乾燥させて出汁をとると話したら「そこまで干すとなると時間がかかりますな」と言われた。何か工夫でもあるのか?前世で鰹節を作る患者さんはいなかったからわからない。


「海産物は山国である美濃では手に入りませぬ。これからも保存がきく物があれば是非我が家で食べたいものですね。」

「海で獲れる保存がきく物ですか。尾張では手に入りにくい物をこちらでも考えさせていただきましょう。その分典薬頭様の薬と石鹸については……」

「御安心下さい。互いの友好を踏まえて商うよう津島にもお願いしておきます故。」

「有難い。しかし美濃和紙は近年お安くなっておられますが、何か秘訣でもあるので?我らも伊豆の修善寺しゅぜんじで和紙を作っておりますが、なかなかあの薄い和紙をあの値では作れませぬ。」

「明の新しい技術を使い始めまして……」


 とりあえず大陸万能説である。誤魔化すために於春ちゃんに美濃和紙の扇子をあげることにした。狩野元信かのうもとのぶ様の息子である狩野直信かのうなおのぶ殿の作である。ヤマザクラが美しく華やかに描かれている。


「こ、このような素晴らしい物を宜しいので?」

「これからの両家の繁栄を願ってということで。それにヤマザクラは確か花言葉が『純潔』『美麗』といったものです。まさに御息女に相応しいかと。」


 扇子は末広がりで一族の繁栄を示すとして縁起が良いとされる。櫛もこの時代だと夫婦になって欲しいという意味合いが出てきている(苦も死も分かち合うという意味らしい)と聞いて幸と豊に贈ったが、この時代から既に贈り物には意味がこめられる時代となっているのだ。


「花言葉……ですか。聞いたことはありませぬがなかなか風流な考えですな。」

「え……ないのですか、花言葉。」

「ふむ。少なくとも京では聞いたことがありませぬな。明の風習ですかな?」


 ないのか……しまった。ここはまだ見ぬ地ヨーロッパに託そう。


「南蛮より更に西の地にてその様な文化があるとか……」

「すてきな絵です。きれい……」


 とりあえず於春ちゃんが喜んでくれたので良しとしよう。


 ♢


「於春は如何でしたかな?」


 左京大夫氏綱様が戻ってきて早々、俺に言ったのはそんな一言だった。


「良い娘ですね。明るく場を華やかにする娘です。」


 孫を褒められて機嫌が良くなるのは世の常か。是非自分の娘もあんなかんじの良い娘に育てたい。まだ結婚してないけれど!


「なるほど、気に入って頂けましたか。」

「ええ、錦小路の娘になるにも相応しい器量良しですよ。」


 横にいた錦小路様が嫌な予感のする一言を発した。ちょっと待て。


「北条と斎藤の繁栄を願って扇子を贈って頂いたのです。両家のためにも、是非直接御縁を結びたいところですな。」

「こちらとしても、典薬頭の家柄たる錦小路家を途絶えさせずに済みますからね。いや、まこと有難い。」


 はめられた。はめられたのだ。どう考えても幼女だぞ。流石に守備範囲外だ。


「花言葉なる雅なものも聞けましたしな。異国のものとは言え、それがあれば和歌にも幅が出ましょう。宗牧そうぼく殿も喜びましょうぞ。」

「和歌は苦手とお聞きしたが、異国の風流を御存知とは油断できぬ御方よ。」


 父には……根回しが終わっているに決まっているか。錦小路様が駿河まで出かけるわけだ。父は今頃高笑いだろう。


「ちなみに豊殿も『器量の素晴らしき方ゆえ歳を重ねれば立派に殿を支えてくださるでしょう』と言っておったぞ。」


 近寄ってきた錦小路様にそう耳元でささやかれたが、豊まで既に味方につけていたというのか。錦小路盛直様、恐ろしい人。


「何、輿入れするにしてもまだあと数年はかかるのでな。今はまだ幼き故、嫁入りの準備を進めるだけになる。花嫁姿は見られぬであろうが、孫に良き縁を遺すことができて何よりだ。」


 そう言って笑う左京大夫氏綱様を見ては、こちらも否と言える雰囲気ではなくなってしまうのだった。


 完全にはめられた!

【追記】

史実でいう海野平の戦いになります。

史実ではこの戦で真田幸隆は一度信濃を追われ、その後武田配下で復帰することになっていますが、本作では合戦自体に大負けしなかったので領地を維持し武田と敵対したままです。


信濃の情勢はこの後もかなり大きく変わりますので、その頃に地図付きで紹介させていただきます。

この頃は武田VS真田とかしていたわけで、世の中わからないものです。

史実では川中島前後から活躍していた武将でも、この時期は武田と敵対している人が結構いたりします。


女性関係のフラグは今回でほぼ出尽くしたので、後は身内と伏線のある女性のみ関わっていく形となる予定です。


贈り物ですが、櫛については江戸時代の庶民文化として伝わるものです。ただしこういった文化は上流階級から庶民に伝播するのが常なので、今作ではこの時期から女性に櫛を贈る=夫婦になりたいと申し込むという文化が生まれだしたという設定にしております。


花言葉の始まりは17世紀で普及が19世紀。意外と新しい文化なのですね。知り合いのお花屋さんに聞いた時は驚いたので必ずネタにしようと思ってました。

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