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第66話 関東物見遊山(したいとは思っていた) その2

久しぶりの火曜日更新です。関東編が今週は続きます。

 相模国 玉縄たまなわ


 北条氏との友好関係は武田・今川という脅威を考えると積極的に進めたいと思っているわけだが、左京大夫氏綱様の運命を大きく変えるほどにはうまくいかなかったのだろう。史実であと何年生き延びる予定だったかはわからないが、良い結果を生むことを願うばかりだ。


 そんな氏綱様のことでイマイチ割り切れない話し合いがされた翌日。

 今度は氏綱様からもう1人診てほしいと頼まれたのでその人物の元に向かった。


 氏綱様は自身の健在を示すため体調が安定し次第駿河の河東かとう地域へ出兵するつもりらしい。輿こしに乗る形らしいが、自ら出陣することで今川に圧力をかけたり支援している堀越ほりこしの今川氏(南北朝で有名な今川了俊はこちらの家らしい)に協力関係維持を示したりするためという。


 病み上がりは無理しないでほしいと伝えたら「どの道準備で相応に時間がかかるから良いのよ」と感謝されつつやんわりと否定された。

 病人でも働かねばならないとか……労基署と厚労省の設立を急がなければならない。頑張れ未来の信長。我が義弟よ。



 さて、頼まれた北条為昌ほうじょうためまさ殿は玉縄城主を務める北条氏の御一門である。氏綱様の3男だが、2年前から体調を崩して床に臥せる日が増えたらしい。

 会った瞬間、その顔色の悪さと対照的な首元の赤さに違和感を感じた。起き上がるだけでも少し大きく息を吐き、軽くジョギングでもしたかのように呼吸が乱れる。


「天下の名医としても名高き典薬頭様に来て頂けるとは、親不孝な息子で父上に申し訳ない。」

「何をおっしゃいます。大殿は症状が落ち着きました。もうすぐ戦に行かれる予定なくらいですぞ。次は貴方様の番で御座います。」


 側に控える小姓に脇を支えられながらこちらを向き、頭を下げてくる。


「御体が宜しくないのです。そのままで大丈夫に御座います。」

「いいえ、まずは父上の病を楽にして下さったことを御礼せねば、北条の名が廃りまする。」


 礼儀正しい人なのだろう。元々寺社の管理や交渉を任されていたと聞いている。短時間だがそれもわかる人柄だ。

 治せる病気は限られているが、問診と各種診断をすることにした。


「足、少しむくんでますね。この状態長いですか?」

「ここ1月くらいまともに寝床から出ておりませぬゆえ。体がだるいので足が張るのも仕方ないかと。」

「……他に特徴的な事があれば、何でもいいので臥せるようになる前後からで気になることを全部教えてください。」

「そうですね、最初に寝込んだ時は体の熱と喉の痛みなどが数日。辛くて大変でしたがその後なんとか熱が治まったのです。しかし熱が治まった10日ほど後にまた喉が痛みました。」

「ふむ……その痛みは何か違いましたか?」

「喉は特に変わりませんでしたが……体の節々が痛みまして。」


 症状としては風邪やインフルエンザにも見えなくもない。

 ただ、気になったのはそれらが断続的に、定期的に罹るということ。


「先日、一度血の尿が出まして。余り外にも出ないようにしておりましたし、書状以外は活動しないようしているのですが、体調の良い時悪い時が不安定でして。」


 徐々に体調は悪化している。その上血尿と関節痛である。


溶連菌ようれんきん……年齢的には微妙なところですが、ありえなくもないか?」

「ようれんきん?それは如何いった病で?」

「基本的には、まだ幼い子供が罹りやすい、目に見えない小さな虫のような物です。」


 溶連菌――即ち化膿レンサ(連鎖)球菌は細菌の中でも世界中に存在していたと考えられている。19世紀にドイツのビルロートに発見された時には世界各地に存在したからである。レンサ球菌全般が世界中で生息していたと考えていいだろう。


 産褥熱さんじょくねつと呼ばれ多くの妊娠女性の命を奪った病気もレンサ球菌とブドウ球菌が主原因と言われている。

 前世の医療環境では溶連菌は幼児以外にはあまり馴染みのない細菌だったが、衛生環境も不完全な上体調が悪ければ感染することもあるだろう。免疫力はきっと前世の人間の方が低いが、衛生環境が整っている分感染は滅多に起きないのだ。


「少し舌を見せてください。はい、あーん。」


 舌を見ると小児の救急で見たことのあるイチゴ舌だった。ついでに作っておいた舌圧子ぜつあつしを使って喉も見てみる。やや赤く腫れているがそこまで酷くはない。やはり見るべきは舌の状態だ。


 舌の先端部には味蕾みらいと呼ばれる粒状の味覚器官がある。だがこれとは別に粒状の突起物が舌に現れるのがイチゴ舌だ。味蕾は舌のやや内側に近い部分に集中してあるが、イチゴ舌になると舌全体に突起物ができるので、見分ける指標の1つになる。


「舌の状態から見てほぼ溶連菌で間違いないですね。なので御父上と同じペニシリンの注射を打ちます。」

「おお、あの父の病を数日で治したという万病に効くと家臣が言っていた。それならば長く皆に迷惑をかけていたこの状態も脱することが出来よう。」


 とはいえ、今回は保菌状態が長かったようなので(恐らく定期的に体調が悪化してリウマチ熱などを発症していると推察される)少し長く見てペニシリン注射が必要になる。持って来た分で足りるとは思うが、現状のペニシリンはナマモノなので保存ができない分作り置きが無い。


 早めに長期保存できる体制を作りたいが、必要な技術が流石に記憶にも知識にも断片しかないのが辛い。製剤化できるなら製剤化したいし、どこまで生きている間にできるかわからない。歯がゆいものがある。


 栄養価の高い食事をとってもらいつつ、暫くはこの城で治療を続けることにした。その間に錦小路盛直様は薬座に関する話し合いを氏綱様や石巻殿と調整すると言っていた。うまく橋渡しをしてもらえるとありがたいので頑張ってほしい。


 ちなみに、イチゴ舌なども許可を得つつ連れてきた医師のタマゴたちに見せた。流石に注射まではまだ任せられないが、少しずつ知識を蓄えることで万一自分が病に罹った時、自力で確認できないものがあっても診断できるようになってもらいたいものだ。


 ♢


 為昌殿は2週間ほど掛かったものの症状が改善へ向かい、溶連菌由来と思われる症状は一気に見られなくなった。

 体調が安定するまでにその後10日間をかけた。話を聞いていると、為昌殿が体調を崩した原因はどうやら亡くなった正室の養勝院ようしょういんと関係がありそうだった。


「御正室が亡くなられたのが3年前ですか。」

「ええ。今思えば室は白粉をつけたかのように顔面蒼白で亡くなりました。恐らく私と同じようれんきんの仕業だったのでしょう。」

「で、御体の具合を悪くしたのはその直後。」

「はい。ですが室とは症状が異なるものだったので。」


 恐らく養勝院の死因は急性糸球体腎炎きゅうせいしきゅうたいじんえんだったのだろう。体調悪化と血尿。顔面蒼白などから推測でしかないが。自身も出た血尿のことで為昌殿が思い出したので関係性が見えてきた。


 養勝院の亡くなったのが1538(天文7)年の17歳、数えなので16歳だ。溶連菌の発症が多い15歳以下にもかなり近いといえる。生まれの日次第では満年齢なら15歳だったかもしれない。そして接触が多かったのも夫である為昌殿なら当然である。



 亡き正室の父でもあった朝倉政景殿は、これを知って己が責任だと当主を名目上譲り受けた相模守氏康殿に報告したそうだ。当然御咎めなどはなし。それよりも為昌殿に忠節を尽くすよう諭されたそうだ。


「御蔭様で玉縄衆はより一層結束できました。某は寺社の管理を任されております故、今後北条の領内では高田派の寺院について十分配慮させていただきます。」


 というわけで、我が懸命の治療は高田派の利益へと繋がるのだった。


「義兄の為に北条と便宜を図ってくれるとは、いやはや良き縁談でした。」


 満面の笑みの尭慧ぎょうえ殿だが、正式にはまだ兄弟にはなっていない。腹黒そうな顔を見ながら、絶対直前までは兄と思ってやらんと決意を新たにするのだった。

氏綱は史実だと7月に亡くなりますが、本作では5月段階で出陣できる程度に復活しています。

とはいえ輿に乗ってなので自身が直接戦場に立てるほどではありません。歴史は変わってきています。


明確にレンサ球菌が発見されたのは1868年のビルロートが最初のようですが、それ以前から世界中でレンサ球菌は猛威を振るっていたのが間違いありません(産褥熱は『源氏物語』でも出てくる病気です。この時代には当然のように日本中に存在したでしょう)。


北条盛昌は病で第一線を退いた後も4年ほど生きてはいます。長期的な病でありながらたまに文書の発給ができる程度に体調が回復し、隔離された形跡がないことから今回は溶連菌の仕業としました。つじつま合わせしやすい正室(側室説もある)の年齢と病死の情報もあったためです。


病状については安定したり安定しなかったりしているため病状の説明が前後したり混ざったりするようにしています。患者本人がそこまで病状の経過をそこまで覚えていることはそうそうないですし、時代を考えれば医療だけでなく祈祷も強い時代なのでそういう意識がないと考えています。ですので余計病状の経過まで明確には覚えていないかなと思います。主人公はそれもある程度織り込み済みで診断しています。

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