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第65話 関東物見遊山(できるとは言っていない) その1

関東編、始まります。

 伊豆国 安良里あらり


 船で尾張の大野湊から海路で伊豆を目指した。津島からの商船として数名の紙商人と同行し、数度の寄港を経て無事到着した。


 春先なので波が落ち着き始めていて、船酔いなどには遭わずに北条の勢力圏に辿り着くことができた。

 なお、一緒に来た奥田七郎五郎利直は連日ゲーゲー言いながら吐き続けていた。チョレイマイタケが希少だがあまりに酷いので途中から漢方の五苓散ごれいさんを飲ませて落ち着かせた。船酔いも二日酔いもこれがあるとかなり変わるから常備していて良かった。


 4月初めに着いた安良里の湊には石巻いしのまき右衛門尉家貞(いえさだ)殿が待っていた。


「これは石巻殿。文では須賀すが湊で出迎えると書いてありましたが。」

錦小路にしきこうじ様、此度の御来訪天の配剤としか思えませぬ。本当にありがとうございます。」

「……なにかありましたか?」

典薬頭てんやくのかみ様で御座いますね、お初にお目にかかります、北条左京大夫が家臣、石巻右衛門尉と申します。」


 そして、石巻右衛門尉家貞殿はその場で土下座せんばかりに頭を下げた。後ろに控えていた家臣一同もそれに合わせて頭を下げる。


「お願い致します。我が主を救っていただけませぬでしょうか。」


 そう、懇願された。


 ♢


 相模国 小田原


 北条左京大夫氏綱。かの北条早雲の子で北条氏が関東の雄となったのはこの人の力が大きいと美濃で教わった。今関東で最も恐れられている大大名。しかしその大大名が、目元に隈を作り、目の前で床に臥せっていた。


「10日ほど前から咳が止まらなくてな。夜もあまり眠れぬのよ。」


 挨拶もそこそこに症状を聞くと、こんな答えが返ってきた。


「医者も労咳ろうがいにしては体の熱が高いという。流行り病の気もあったそうだが、今は違うという。息切れもしやすくてな。」


 作ってある聴診器(木製で片耳用の物だ)を胸に当てて音を聞く。喘鳴ぜいめいとは違う、単純に弱っている肺の呼吸音。いわゆる気管支や喉の近辺の音を聞いても特に異常はない。

 しかし咳こんだ瞬間の音がコポコポというか、ププププッというか、いわゆる水泡音と呼ばれるものだった。連続性ラ音でもない。


「肺炎……の可能性が高いですね。」


 連れてきた半井なからい兄弟に水泡音を聞かせた上で、そう結論付けた。といっても曖昧さはどうしたって残る。せめてレントゲンを撮れれば話は変わるが……ない物ねだりはもうしない。だから断定もしない。


「肺炎ですか……如何いった病で?」

「単純ですが、何らかの目にも見えない小さな虫が口から喉を通って肺に入り込んだのでしょう。虫が悪さをして肺に水が溜まり、思うように呼吸ができないため体が徐々に弱っていくのです。」


 そう説明すると、「如何して肺に水が入るのか」とか後ろで唸っている北条の家臣たち。錦小路盛直(もりなお)様は「なるほど。そういうことか」とか言いながら以前プレゼントした美濃和紙のペーパーバックのメモ帳に書き込んでいた。去年の年末に使い方を教えたばかりなのにもう木炭も使えるようになっているとは、適応力が高い。


 石巻殿は気が逸る様にこちらに「治るのですか?」と聞いてくる。概ね他の家臣も同じ顔つきだ。


「体の中の虫によっては治りません。しかし、治せる可能性は相応にあります。」

「ならば、それを頼みたい。」

「大殿、如何様な治療法かわからぬのに即決なさっては……」


 家臣の中には不安視する者もいる。インフォームド・コンセントは大事とわかる一幕だが、そもそもこちらの話が終わらずに決める左京大夫氏綱様がおかしいのだが。


 石巻殿が代弁者となっているので、彼と問答することで治療の説明をすることにした。祈祷や陰陽術の類もある時代なので別に細かく説明する必要もないのだが、弟子たちへ教える意味と家臣団に出来る限り理解できる治療法にすることで不安を除いてあげるためのものと言える。


「先程言った肺の中にいる虫を殺す薬を入れますが、血の流れている管に直接それを入れます。」

「血の中に薬?典薬頭様、それは無理に御座います。体を切れば血が噴き出します。その中に薬を入れるなど……」

「そのために専用の道具、注射器を使います。」


 先日作った注射器を見せる。先程沸かしておいてもらったお湯につけてあり、仕上げでアルコールも使用済みだ。


「それが血の中に薬を入れる物で御座いますか?」

「矢が刺さってもいきなり血が噴き出さぬように、これを刺しても血は出ません。更にこの玻璃はりの管の中に入れた薬液を針先から血の中に送り込むことで血の巡りによって薬が体内を周り、肺に達して虫を殺すのです。」

「ううむ。針は細いのですな……。これならば血はほとんど出ないですぐ傷も塞がりそうですな。」


 予備の針を石巻殿に渡してみせる。やる事が分かってきたためか動揺は少し落ち着きだしたようだ。


「しかし、粉状の薬か何か知りませぬが、血に混ざっても問題ないので?」

「ご安心ください。入れる薬液は肺炎の悪い虫などの体に悪い物を攻撃し症状の元を絶つ物。5日ほど経過は観察しなければなりませんが。」


 使うのはペニシリンだ。アレルギー反応が起こる場合もあるので72時間――3日は経過観察しアナフィラキシーショックが起きないか注視する必要がある。病状も考えれば5日はつきっきりになるだろう。


「で、殿。典薬頭様にお任せして宜しいですか?」

「元々、わしは任せると言っておる。皆も異論ないな?」


 今度は全員が一応不満を示さず頷く。


「仮にわしがこれで死んだとしても、それはわしの体が手遅れだっただけと心得よ。典薬頭様を責める愚か者が出たら斬れ。」


 そう言い放った北条の大黒柱は、顔色悪くも覇気は決して失っていなかった。


 ♢


 壺に入ったペニシリンを取り出し、沸騰した水を冷まして生理食塩水にしたものと混ぜる。注射時に浸透圧で薬液が血管に入らない状態を防ぐためだ。


 薬液は普通、血管をとおって胃・胆汁・副腎・骨髄などで成分であるペニシリンが処理され、残りが肺や肝臓まで送り込まれる。なので必要な量が肺に届くためには意外と多めに必要である。


 ペニシリンの作成法は色々あるが、注意したいのは寒天培地を作る時だ。

 培地は細菌の増殖に使う物であり、今回で言えばペニシリン用のアオカビの増殖に使うのだが、アオカビのみを増殖させるのは結構難しい。


 大学時代の実験室レベルでも他の菌が何もしなければ一緒に繁殖するので、寒天で培地を閉じ込めて他の菌が増殖する余地を許さないことが求められるのだ。寒天は培地を覆うことで他の雑菌の侵入を防げる。選択的にペニシリンを作るなら欠かせない物だ。信長の御父上には感謝したい。


 重曹で最後に分離する時は以前作った温泉の分離分で行っているが、重曹の分離についてはやはり単離まではなかなかできなかったようだ。結局ペニシリンを試作した壺は他の理由も含めて半分を作業工程の中でダメにした。

 液自体の利用については試作品による実験でも肌に塗ったり軽傷の傷口に染み込ませたりして検査した。問題ない壺が最終的には最初の工程から3割ほどまで減った。安定供給の道は長く険しい。



 針を刺すという行為のため、念のためにと数名の家臣がやや遠巻きにこちらの作業を見守る中での注射となった。アルコールの染み込んだ布で肌を消毒した上で、左腕の肘関節付近の静脈を狙う。少し薬液を針先から出して中に空気が入り込んでいないことを確認。予め手先を温めてもらい、豊にサポートをさせながらやや寝かせた針を刺し込んだ。

 お願いしておいた通り錦小路様が話しかけていたため、左京大夫氏綱様は気づいた様子無く刺すところまでいけた。

 そのまま薬液を慎重に送り込む。ほんの少し温めた分、痛みや異物感は少なくできているはずだが。


「不思議な感覚を覚えるな。注射、なんとも奇妙な医術よ。」


 気づいた左京大夫氏綱様は注射器の様子をじっと見ながら呟いていた。



 注射の後、身の回りの世話をする女性に注意点を教える。下痢や血尿は比較的出やすい副作用だ。体温が高くなった時も教えるよう伝えておく。とはいえ体感しか今は情報が無いので、少しでも異常を感じたら呼び出すよう厳命しておく。



 二日目にやや体温が高めと報告を受けたが、喉の様子や胸の音を聞く限り改善へ向かっているので体の抵抗が頑張り始めた証と判断し生理食塩水の摂取などを引き続き進めた。

 10日ほどで顔色がはっきりと改善した。水泡音も止まり、息切れが治まったのだ。ペニシリンが効いた。効くタイプの肺炎だったと思って良いのだろう。氏綱殿は笑いながら、


「せっかく用意していた遺言も当分日の目を見ずに済むかの。」


 と笑っていた。それでもと嫡男の新九郎氏康様(同じ名前だ)が言ったので、氏綱殿は五カ条になった訓戒を渡していた。


 ♢


「で、わしは後何年生きられる?」


 15日ほどで肺炎が完治したとみられる祝いの席が設けられ、その後2人で話したいと言われ別室に行くと礼と共にこう言われた。


「長くて3年。短ければ次の年の早い時期には……」


 肺炎の症状が治まってから肺の音を聞いていてわかった。チリチリというか、ヒューヒューというか、そういう音が微かにしていた。水泡は肺炎が治って聞こえなくなったが、雑音が混ざっている。肺が弱っている証拠だ。検査手段がないが肺癌の可能性だってある。


 何よりまずかったのは肺が厳しい状況で1月以上まともな治療ができなかったことだ。肺のダメージは完全に治りきらないだろう。


「やはりか。病は治ったと言えど、以前より起きて話すのが億劫おっくうだ。わしも歳が歳ゆえ覚悟はしていた。」


 現代医療なら或いは救える。でもここではこれ以上は検査手段もないし薬が用意できるわけでもない。もどかしいし悔しい。割り切れていることと、実際に目の前の患者を救えないことへの無力感は別のものだ。


「そう悔しがらないで良いのだ。わしは感謝しておる。それで良いのだ。」


 そうは言われても、前世でなら救えた人が救えない。この手で救える人に限りがあるとはいえ、方法も必要な道具も思い浮かぶのにそれを作る手段がないのがあまりにももどかしかった。ない物ねだりはしないが、だからといってこの悔しさは失ってはいけない。そう思った。

ペニシリン関係は自作実験をした時の失敗談+重曹の精度の悪さから話を構成しています。

純粋な作り方はネットでも結構出てきますので作ってみたい方は探してみてください。

あくまで実験レベルなので人体の効果まではご都合主義も入ってしまいますがご理解いただけると幸いです。


活動報告にも書きましたが繁忙期を抜けたのと関東編をだらだら続けないために火曜日も更新します。宜しくお願いします。

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