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第63話 ひらかれゆく道

最後の方は化学の話なのであまり面白くないかもしれません。

色々用意しているんだな、程度でも大丈夫です。仕込みの段階なので。

 美濃国 稲葉山城


「つーん!」


 わざとらしく私は怒っていますアピールする蝶姫こと濃姫。


「むーっ!」


 どう反応すべきか悩んでいるとちらちらとこちらを横目で見てくる。


「ふんっ!」


 可愛いなと思いつつ、新作のおもちゃで釣るのは分かりやすすぎたかと少し反省。

 これに安易にかかってくれた福姫と自分は違うぞというアピールも兼ねているのだろうが。


「すまなかったね蝶。忙しかったのだよ。」

「わっちは、別に、寂しくなかったもん!」


 美濃弁がすっかり板についた蝶姫こと濃姫は、一人称が「わっち」になっていた。最近は背も伸びてきて抱っこすると重い。種痘もして衛生面には特に気をつけさせているのでこのまま順調に育ってくれることを願うばかりである。


「でも、一緒に遊ぶ時間が減ってしまってすまない。」

「……別に、いいもん。」


 そう言いつつも目は遊びたかったオーラが出ている。仕方ない、今日は一日一緒に遊ぼう。


 というわけで手作りの迷路ゲームである。箱型の穴が空いた迷路に鉄球を入れてうまく鉄球を転がしてスタートからゴールまでいけるように遊ぶ。穴に落ちたら最初から。


「むぅ、転がりすぎる。わっちはそこまで転がれと言うておらぬ!」

「あねーぇ、次福がやるー!」

「待て待て!揺らすな福ー!またわっちの玉が落ちたではないか!」

「はいはい、順番ね、順番。」


 作るのが大変なので1つしかないのがまずかったか。鉄球は滑らかじゃないと遊べないから無駄に鍛冶の作業が大変である。職人に3日かけてヤスリをかけてもらったものだから、これまた大衆向けではない。


 遊び道具は戦国時代ではとても採算の合う物ではない。絵本も子供が生まれた家臣の家への祝いとして喜ばれているが、逆に言うとプレゼント用と孤児教育の教科書用としてしか木版印刷を使っていないわけで。


「おーっ!この難所をいけたぞ!わっち上手すぎー!」

「福もー!福もやりたいー!!」


 最早完全に自分のことが忘れられているが、まぁ、妹たちが楽しそうだから良しとしよう。


 ♢


 畿内を駆けずりまわっている間に、ガラス職人がシリンジの製作に成功したという連絡を受けていた。注射器に重要な部品であるシリンジは口径が歪みなく厚みも統一されていないといけない。ガラスを作り始めて4年、偶然とはいえこれだけの物を1つだけでも作れるようになって良かった。

 型を使ってこういった製品を作れないか試しているが、実際はなかなかうまくいかないのだ。


 むしろ吹きガラスで簡単なガラス容器やコップ・皿的なものを作る方が軌道に乗っている。堺や尾張で人気が出つつあるそうだ。



 シリンジと合う針作りが秋から年明けまで続き、そして同時期に押し子とガスケットの作成となった。

 しかし、当然ながらゴムがない。押し子は木製でもなんとかなったものの、ガスケットはゴムのような密閉機能がないとシリンジに入った薬液が注入できない。隙間があれば空気が入り込むので、血管に空気が入れば塞栓になって人を殺すことだってあり得るのだ。


 類似する物として色々作っては水瓶で吸出し・注入を進めると、いわゆるファクチスがある程度使えることが分かった。ゴムほど形状が安定しないため20回まで使えずにガスケットを交換することになるものの、10回程度なら求める役割をきちんとこなしてくれた。


 ファクチスはサブとも言われる硫黄と油、石灰で作るゴムの類似品だ。練り消しとかに結構入っていると聞いたことがあっただけだったので3年ほど配合などで実験をしていたが、安定した品質になったのがこの冬だった。


 もしも安定したファクチスが出来なかったらコンニャクでも使おうかと悩んでいたところだったので正直ほっとした。芋作りといわゆるコンニャクへの加工に専用のビーターからになるので水車の新設までやるのは嫌だったのだ。


 冬の寒さで凍結乾燥が進み、完成した寒天で培養作業を進める。培養液を注射器で吸い出す。

 きちんとシリンジに気泡が入らずに中身を充填出来た。世界にたった1つの注射器の完成である。


 南蛮貿易が出来るようになったらゴムを仕入れないといけない。ただし、欧米人は今の時点でゴムを見つけているか知らないのでまだ見つけていない可能性もある。3年後に火縄銃を持ってくる南蛮人がゴムを見つけていてくれるよう願うばかりである。南蛮人がゴムを知っていればコネを使って全力で連絡を取りに行きたいところだ。


 ♢


 堺の商人経由で中国から手に入れた唐灰とうあくと呼ばれるかん水の素。そして伊勢から手に入れた辰砂しんしゃ。これらを使って化学の発展を目指すことにした。


 唐灰は四川でとれるかん水の素らしい。煮詰めて乾燥させた結晶になっており、堺の商人が博多経由で取り寄せてくれた。これを水に溶かすことで主成分を分けるのだ。


 このかん水の主成分である炭酸カリウムと炭酸ナトリウムだが、水溶性は圧倒的に炭酸カリウムの方が良い。

 なので水に溶かした後水分をある程度飛ばすと炭酸ナトリウムだけが先に水溶の許容量を超えて結晶化して出てくる。

 炭酸ナトリウム――ソーダ灰が確保できるわけだ。残った水はバランスのいいかん水になるので中華麺を作れるので無駄がない。


 とはいえ輸入は高いのでそのうち工業的に作れるようにしなければならないだろう。電気分解か。とりあえず磁鉄鉱は恵那で採れると地元出身の理科の先生が言っていたはずだ。次の休暇までの宿題かな。


 辰砂は硫化水銀であり、試作させたレトルトを使って熱することで水銀と二酸化硫黄ガスになる。気体を冷やせば水銀が液体で確保できる。


 温度計と圧力計には水銀が一番手早いし量産できる。容器の中で熱しているとはいえ危険性を考えマスクに眼鏡必須の作業だったがなんとかできた。普通に冬場なので水銀まではすぐ冷えた。

 そして下方置換で二酸化硫黄を回収し、別の実験用を除いて大部分は水に溶かして回収。これで亜硫酸の完成である。


 水銀をまず回収してガラス容器へまとめ、蓋を確実にしておく。

 温度計と圧力計には水銀が一番手早いし量産できる。白粉用として出回っている辰砂は今後全て回収し有効利用しつつ、栽培中のキカラスウリの根からとれるデンプン白粉と薬としても使うため日本中から集めている滑石かっせきの粉末で作る白粉で辰砂白粉を駆逐する予定だ。

 これらは典薬頭としての名声で辰砂の白粉を止めさせるためだ。辰砂はこちらで買う代わりに白粉としての流通を今後なしにしたいという考えだ。水銀中毒の女性はこれ以後出したくない。

 尾張でもお願いして既に栽培が始まっている。薬座で買い取り保障しつつ織田と斎藤で作った無害な白粉で市場を変えるのだ。



 亜硫酸は過酸化水素水があれば即硫酸にできるのだが、とりあえず板ガラスの蓋をした上で酸化して硫酸になるのを待つことにした。時間をかけることで硫酸となるので、このあたりは根気が大事である。


 これ以外では国境の温泉から炭酸水素ナトリウム――重曹を作ってもらい買い取っている。重曹は主に重曹泉の石徹白いとしろそばにある白鳥の温泉を使っている。すぐそばにあった白山中宮はくさんちゅうぐう長滝寺ちょうりゅうじが天台宗だったために実に協力的に重曹が手に入っている。

 天台宗は薬師如来を大事にしているので、薬師如来の生まれ変わり説を利用させてもらっている形だ。先日の施餓鬼の協力も効いている。


 一応下呂でも重曹は採れるが、下呂温泉は三木氏の領地だ。手に入るなら勢力圏内が良い。

 塩化ナトリウムも相応に混ざっているので水に一回大量の乾燥粉末を溶かして分離する。

 これも塩の方が重曹より大量に溶けるのでお湯にある程度溶かして冷やすと重曹が残る。冬なのでよく冷えるから塩も析出しないよう調整に苦労した。これも大量生産には色々必要なものが多すぎるのが問題だ。


 化学は薬作りにも産業発展にも欠かせない。危険性の高い薬品は専用の蔵を造って保管しているが、ある程度生産できる人材を育てないといけない。理系の素質がありそうな孤児が出てきたら手伝ってもらわないといけない。


 水銀も硫酸も重曹もソーダ灰もかん水もこれからのために大量に必要となる。千里の道も一歩から。化学の発展に犠牲(資金)はつきものだ。決して昔やった理科の実験が再現できるようになって楽しいだけではない。訝しげな父がたまに実験をしているのを見ているが問題ない。


「何に使う物かわしにはわからぬが、きちんと最後は斎藤の家を強くするために使うのだぞ。」


 犠牲はつきものデース。

美濃弁で全部書くのは大変(というか私の力量では無理)なので基本は一人称だけ使わせて頂きます。わっち、可愛いですよね。


石徹白の白鳥温泉は開湯時期がどうにもはっきりしないのですが、地名の由来である白鳥が浸かった湯だという伝承が地元にあり、かつ地域に薬師如来の天台宗寺院がある(しかも平安時代に改宗)ということで関わりがあるのかな、と判断しました。なのでもう開湯している設定にしています。


ファクチスはある程度厚みがある形なら代用できるのですが、薄くすると耐久性の問題で使い方次第ですぐ壊れるのですよね。タイヤとかにすると壊れやすいので、早くゴム(南蛮人)来いという状態です。それまでは劣化注射器で繋ぎます。


かん水は井塩と現地では言って宋代に固形物にしていたようですが、日本に入ると唐灰と呼ばれる不思議。堺との関係が出来て手に入るようになりました。

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