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第58話 殿上人の世界

最後の♢♢から三人称です。

 近江国 観音寺城


 京に向かう前、近江で六角様に誘われて観音寺城に向かうことになった。


 山全体が大きく切り開かれ、多くの人が籠ることのできる巨大な城は今まで見たどの城よりも視界を圧倒するものだった。

 流石畿内最大の戦国大名。本気になれば万をやすやすと動員できるだけのことはある。


 屋敷で出迎えてくれたのは六角家臣でも重臣として知られる蒲生定秀殿であった。彼は六角弾正定頼の腹心中の腹心として知られるので、随分厚遇されたものである。


「ようこそ参られた典薬頭てんやくのかみ殿。遠回りをさせて申し訳ないな。」

「いえ。弾正少弼だんじょうしょうひつ様にお会いできて望外の喜びで御座います。」

「こちらこそ、天下一の名医、薬師如来の生まれ変わりと名高き斎藤の御嫡男に会えるのを楽しみにしておったのだ。何せ以前の和議ではお会いできなんだからな。」


 綺麗に切り揃えた髭を撫でながら、六角弾正定頼はかっかっと笑っている。


「奥でおもてなししていた家臣からは只者でないとあの時報告を受けていたが、正にその通りのようだ。」

「いやいや、お戯れを。まだまだ未熟者に御座います。」

「御謙遜を。皇子様に種痘しゅとうをなされるなど医師として至上の名誉。それをその歳で認められるは本物である何よりの証であろう。」


 不思議と嫌味を感じさせない物言いである。流石は大大名六角の当主、公方様も彼の機嫌を損ねることはできないと言われるだけはある。


「残り少ない種痘の提供、感謝する。」

「いえいえ。六角の御家が安泰なのは太守様にとっても良いことですから。」


 残る種痘は僅かしかない。なのであくまで六角一門と重臣数名分のみである。

 それでも跡継ぎの四郎義賢様や御正室などが今後痘瘡(とうそう)に罹る危険が無くなると喜ばれた。いや、もう一回追加接種必要なのですがね。


「して、お持ちになった刀、良きこしらえですな。」


 目敏く十兵衛光秀に預けていた妙純傳持みょうじゅんでんじソハヤノツルキウツスナリを見られたらしい。実は自分の刀にするにあたり、柄など一部を作り直した。更に帰郷後試作を始めた組紐くみひもを装飾として付けている。これは豊と幸の薬籠にも付けている。


「斎藤守護代家随一の猛将であった妙純様が持っておられた刀で御座います。相応の飾りは必要かと思いまして。」

「ふむ。妙純といえば最期は父の軍勢に討たれたのだったな。」

「はい。そもそも六角様に叶うわけが御座いませぬ。対立する必要がないのですから。」


 髭を撫でつつも思案顔になった後、少し前のめりになりながらこちらに笑いかけてきた。


「せめてやるなら我が娘との間に嫡男が生まれてからにせよ。そうあの男に伝えておけ。」

「えっと……仰る意味が。」


 わかりたくありません。


「目が泳いでおるぞ。賢いが顔は作れぬようだな。うちの娘がさっさと男を産めばあの小僧なぞ廃嫡できるものを。其方も苦労しておろう。」

「あ、いえ。二郎サマはとても勇猛で素晴らしい跡継ぎでイラッシャイマスヨ。」

「土岐に求められているものはそれではなかろうに。分かっておらんな。なに、娘に嫡男ができればあれは不要だ。その時は公方様にもこちらから言い含める故、うまくやるが良いぞ。その刀が、其方の決意を示してくれた。」


 違う。誤解だ!と叫びたかったが、相手の手前そうも言えず、更に言うなら血は流さずとも似たようなことは考えているので否定もしきれず。


 ポーカーフェイスができるようになりたいと思ってしまった。前世も症状の進行度合いや手術の進捗とかであまり隠せないタイプだったからな。隠せるようになったのは疲れすぎて表情とか感情とか考えていられなくなってからだった。……普通に練習しておこう。


 ♢


 山城国 御所


 火熨斗ひのしでパリッと仕上げた正装で御簾の前に座った。


 御簾の前とは言ったが所詮ギリギリの殿上人扱いなので実際には部屋三つ分くらい手前である。天皇陛下への拝謁なんて前世でもガチガチになる自信があるのに、この時代は更に雲の上の人扱いである。


 顔が強張っていると3分おきくらいで臨席した二条様や飛鳥井様に指摘されるが、肩にも妙に力が入るし下手に身動きできないと思うと却って体が震えて変になってしまいそうなのだ。


 やや和やかだった公家の皆様が、僅かな衣擦れの音と共にすっと姿勢を正した。

 帝が来たのであろうか、とにかく言われていた通り畳に擦り付ける様に頭をつけた。出来る限り背中を丸めずに土下座って結構辛い。


 御簾の奥に意識なぞできぬまま帝が着座したような音が聞こえた。しんと静まり返っていたため、その音は思った以上に良く響く。


「皆、面を上げよ。朕はいつも大仰な出迎えは好かぬ。」


 その言葉に公家の皆様が顔を上げる。自分はまだ任官されたばかりなのでそんな気軽な立場ではない。


「典薬頭、其方も顔を上げ少し近くに寄れ。都を救った傑物の顔を見せてほしい。」

「し、失礼いたします。」


 思った以上に声がかすれた。緊張で顔を上げるのもカクカク動いてしまった。優雅さのかけらもないだろう。3歩分くらい前に行くが、「もっとだ」と言われ、更に2歩分くらい近づいた。


「施餓鬼の件、種痘の件、大儀であった。大風の時も多くの子らを助けてくれたそうだな。」

「お、お、お褒めに与り畏れ多いことに御座いましゅ。」


 今度は噛んだ。もう無理。恥しか晒してないぞここに来てから。


「あまり固くなるな。朕は直接礼を言いたくて呼んだのだ。」

「典薬頭に任じて頂いただけでも身に余る光栄に御座います。」

「いや、本当はそれは種痘と施餓鬼についてのみで渡そうと思っていた。大風と皇子の種痘については別途何かと思っていたのだ。」


 何というか、口調の柔らかさが包まれるような気分にさせてくれる。これが帝の雰囲気なのか。優しいというより暖かい雰囲気だ。少しずつだが言葉の一つ一つに肩の強張りを解いてもらっている気分である。


「四季のさきに鬼あり。」


 ん?どういうことだ?


「其方、何曾何曾なぞなぞは知らぬか?」

「も、申し訳ございませぬ。武辺の者として生まれ育ちました故、雅な風習に疎いものでして。」

「ふむふむ。……二条、解は如何か?」


 そこで話を向けられた前関白二条尹房(にじょうただふさ)様は扇を広げて口元を隠すと、


「さて、帝の何曾何曾は難しゅう御座います故、」


 と前置きをしつつも、


「然れども、四季の先なれば次の四季、即ち春が巡りて参るかと存じます。春とは花が芽吹く季節にて、花が鬼に向かいますので花木槿はなむくげなどでしょうか。」


 と、凄く雅な口調で答える。なるほど、本当になぞなぞなのか。


「うむ、実に惜しいの。朕の思いの過半を読み解いておる。近衛。」


 次の解答者は関白近衛稙家様だ。スーパーな人形とかでポイント倍増狙いたいくらい自信ありそうである。


「はっ、なれば答えは我が近衛家の御役目たる花扇はなおうぎで如何でしょうか。」

「見事。見事。流石よ。」


 後で聞いたら、花の解釈までは合っていて、そこから花が鬼に逢うから「花逢う鬼」で「はなおうぎ」。だから「花扇」なのだと飛鳥井様が教えてくれた。


「ということは、今後花扇は、」

「うむ。美濃の紙で用意しよう。それで美濃も益々名を上げようぞ。」

「畏まりました。ではそのように手配いたします。」

「頼んだぞ。」


 花扇は毎年七夕に近衛家が帝に献上する花束だ。7種の草花を扇の形にして水引みずひき檀紙だんしと呼ばれる和紙を使って装飾し包んで天皇に献上する。

 で、この水引と檀紙はこれまで慣例として越前和紙を使っていたのだ。それを来年以降美濃和紙に替えてくださるということになったのだ。


 これは革命と言ってもいい。美濃和紙で檀紙は細々と作っていたが、今後は宮中でも正式に美濃和紙を使ってもらえるという意味であり、越前和紙と同等の質と朝廷が認めた証となる。

 資金不足で安い美濃和紙を使っていた公家の方々も、大手を振って美濃和紙を仕事用に使えるということだ。


「そ、某の稚拙な言葉ではお伝えできぬほど感激しております。」

「なに、朕でできるのはこの程度だ。……これからも民のために出来ることをしてほしい。」


 その言葉に、自然と頭を下げてしまったのは我ながら当然だと思った。


 ♢


 皇子様への種痘は万事問題なく済んだ。更に皇子様の弟である曼殊院まんしゅいん門跡もんぜき覚恕かくじょ法親王様にも種痘を行った。


「帝は御子を病で5人も亡くしておられる。」


 だから病を治す者を大切にしているのだ、と覚恕様には教えてもらった。

 戦国時代の医療技術は難しいものがある。しかし典薬頭という立場があればそれも変えていけるはずだ。なんとか少しずつでも良い方向にできるよう頑張ろうと改めて思った。


 その後、種痘を求めて事前に連絡を受けていた方々に種痘を行った。

 細川管領様や公方様、公方様の子である菊童丸様と千歳丸様、更に和議のため京で話し合いを行っていた筒井順昭様と十市遠忠様にもお願いされた。


 木沢様は少し日を空けてから頼むと言われた。まぁ万一があっては困るから幕府の要人でも日をずらすのは当然だろう。公方様と御子2人も少し時期をずらすと決まったし。


 ♢♢


 美濃国 稲葉山城


 宵闇に包まれた一室で、斎藤左近大夫利政は暗すぎて読めない書状をじっと眺めていた。

 そこには典薬頭に補任され、殿上人の一員となった息子のことが耳役から報告されていた。


「くっくっくっくっ。」


 抑えきれない低い笑い声が口から漏れ出る。


「やりおったわ。やりおった。」


 昼過ぎに届いた文に内容を見ても周囲には無反応を決め込んでいたが、誰もいないこの時間になって抑えられなくなっていた。


「殿上人ぞ。油売りまでしたわしら一族が、帝に拝謁する、殿上人ぞ!」


 頬がぴくぴくと震えながら、口元から言葉が出るのが抑えられないでいる。


「毒の子は毒と思っておったが……そういえば、毒からも薬が作れるのだったな。」


 独り言はいつも虚空へ消えるような小さな呟きにしていたが、今日の呟きは耳にする者が出るだろう。


「わしの予想を一つ上回ってみせたな新九郎。ならばわしも、負けぬように進めねばなるまいよ。」


 その目の輝きは、競うべき息子ライバルへの闘争心か、それとも親として息子あとつぎの成長を喜ぶものか。


「これならあそことの婚姻を進めるのが一番利になるだろう……。明日には文を出さねばな。」


 今はまだ、誰にもわからない。

『後奈良天皇御撰名曾』とか今に残るくらいなぞなぞ好きだった後奈良天皇。

それっぽい誤答を作るのに一番苦労した気がします。


殿上人になると会える人や他人からの対応が目に見えて変わるよ、という一幕。


あと、筒井順昭の死因には天然痘説もあったり……これがどう影響するか、当然主人公はそんなこと考えていません。


【追記】

今週まで火曜日投稿します。宜しくお願いします。

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