第56話 継承者
最初が三人称です。
感想欄で二郎サマが人気でとても嬉しい。
三河関連地図(kRhCt8Rg0様のご協力で作れました。この場をお借りして感謝します。)
間違えて東条だけ城入れてますが、気にしないでください。
三河国 安祥城
多くの人々に囲まれながら、2人の男が対峙していた。
上座に座るのは織田弾正忠信秀。先日この城を攻め落とした尾張の虎。
下座で頭を下げ平伏しているのが松平清定。桜井松平氏の当主で、本来上野上村城の城主だった父が岡崎城を乗っ取った関係で岡崎城主となっていた人物である。
「では、約束通り上村城の包囲を解きましょう。岡崎城の状態は?」
「既に当家の者は退去しました。全孝殿が引き継いで城内に入ったと聞いております。」
佐久間全孝入道へ城を明け渡したという清定の答えに満足気に頷く弾正忠信秀。しかしその顔は僅かな時を経て一変することになった。急報を知らせる使者がやってきたためである。
耳元でその報告を重臣の林佐渡守秀貞から聞いたところで、彼の顔は渋いものとなった。
「どうやら、大久保党が本丸を占拠して騒いでおるらしいの。」
「……大久保たちは父上の言うことでさえ全く聞きませんでしたから。」
眉間に皺を寄せている清定から、岡崎支配はほぼうまくいっていなかったことが見て取れた。
「で、状況は?」
弾正忠信秀はわざと清定にも聞こえるように佐渡守秀貞に問いかける。
「本願寺が協力しているようで。石川党、夏目・渡辺・加藤・内藤らが呼応しているようです。」
「本願寺か……服部党のことか?」
「それも御座いましょうが、最近高田派が三河で勢力を拡大しております。そして高田派協力者の一人が斎藤守護代。」
「我らと昵懇の仲よな。なるほど。敵の敵は味方、か。」
納得した顔で、しかし苛立ちを隠さない様子に、清定は困惑したのか目線を右往左往させるのみである。
「他に清康の重臣といえば……鳥居と酒井、本多か。あれらは如何している?」
「酒井はこちらに従う意志を見せております。酒井将監なる者が殿に会いたいと来ております。鳥居党と本多一族は妙に静かですな。」
「不気味な。何かあるな。」
酒井将監忠尚を使者に送った酒井氏は岡崎城の北、目の前といっていい距離にある井田城を治めている。鳥居党は矢作川の水運を握っており、両氏の協力は岡崎支配に欠かせない。
「とはいえ、きちんと城の明け渡しに応じ弾正忠の下につくと明言したのだ。上村城は約定通りお返ししよう。」
「あ、ありがとうございます。それでは、今後は息子をこちらに出仕させます故。」
清定は頭を下げると部屋を出て行った。入れ替わりに書状が1通届く。弾正忠信秀は封を開いてそれをじっと読むと近習に矢継ぎ早に命令を下す。
「東条の松平と形原の松平に連絡をとれ。桜井はダメだ。あれは何一つ己で決められぬ男の顔よ。」
「殿の御機嫌伺いしたければ、大久保党を自らが討つ程度言えば良いものを。」
白けた顔の林佐渡守秀貞に、鼻で笑った弾正忠信秀が諦めの強く出た口調で応える。
「あんな男より本願寺よ。なんと面倒な。」
「とは言え、堅田の元本願寺門徒だった僧が本願寺派の寺院の切り崩しに参加し始めたそうで。うまくいけばこの騒ぎも収まるかと。」
「ふん。坊主任せで今後は決められぬわ。急ぎ上村城を囲っていた部隊を岡崎と安祥南部に展開せよ。」
その言葉に、佐渡守秀貞は首を傾げる。
「安祥南部に御座いますか?では今来た吉良からの文はこちらに付くと言ってきたので?」
「それもあるが、吉良の文に牟呂の城に松平の嫡男が戻っているとあってな。」
「ほぅ。ならば脅かすので?」
すると、もったいぶった素振りで尾張の虎はそれに否を示す。
「佐渡守は分かっておらぬな。脅かしながら文でこちらに付くよう揺さぶるのよ。」
「なるほど。流石は殿に御座います。勉強になりますな。」
「ついでに、一向宗(浄土真宗)の寺にも脅しをかけねばな。安祥城と岡崎城のそばの高田派は斎藤守護代と仲の良い方に乗り換えたのであろう?」
「そのためかかなり彼らは積極的に動いておりますな。」
「まぁ、坊主も使えるうちは使えば良い。長島の動向にも注意せよ。」
「畏まりました。こちらの現状を那古野に伝えておきます。」
順調に進めつつも、本願寺の抵抗に頭を悩ませる弾正忠信秀に、楽観的な様子な欠片もなかった。
♢♢
美濃国 稲葉山城
今年は一部の田んぼがダメになったものの、美濃全体では平年並みといった状況だった。
近江は帰り道で見ただけでも酷い状況だったが、案の定畿内の米の価格が上がっているらしく近江へ運ばれる米の量は例年より多い。
自分が管理している領内では、昨年新しく開発した田んぼの排水能力の高さが目に見えた成果となった。
新田は四角形に整備されていたが、これが台風の時の大雨による水の泥っぽさを抜くのに役立った。旧来の田んぼの中には複雑な形のために泥水の排水がうまくいかないものもあり、光合成を阻害して成長に差が出たのだ。
特にまだ正条植えが実現できていないため、密度が一定でない分密集していると泥水の影響だけで稲自体が枯れることもある。
新田は大きさが決まっているので事実上の検地を受け容れないといけないが、今回の一件で来年に向けて新田へ移行したいという人が増えた。
受け容れれば田んぼは大きくて四角いものになるのだ。今回変えないことによるデメリットが見えたことでメリットと併せて自動的な検地が進むことだろう。
ちなみに、これを聞いた父は近江・山城へ売った米の利益で早速斎藤の領内全域的に始めるつもりらしい。ため池もちゃんと作ってくださいね、渇水対策に。
秋の収穫が終わり、綿の初めての収穫も終わった頃、斎藤帯刀左衛門尉利茂殿が稲葉山にやってきた。大事そうに袋に包んだ長物を持って来たので、警戒した明智十兵衛光秀と大沢次郎左衛門正秀が脇に控えることになった(いつもなら誰か2人なのだが、警戒する時は追加で2人が側につく)。流石に大丈夫だと思うのだけれど、警戒するに越したことはないのは事実な悲しき戦国の世である。
「典薬頭補任おめでとうございます。京での活躍、聞きましたぞ。流石天下一の名医と謳われるだけありますな。」
「いやいや、持明院様や父をはじめとした多くの方に御尽力頂いたおかげです。」
「御謙遜を。今回の施餓鬼も、貴殿が様々な品を用いて資金を作り、米を増産したが故に出来た事。胸を張りなされ。それだけの大事を為したのです。」
一体どうしたことか。基本的には太守様の側近として守護代に復活した人だ。支持も太守様の他の側近や親族の方々が中心で、国人寄りの当家とは毛色が違っただろうに。
「……本日は一体如何いった御用件で?」
「あぁ、そういえば本題を忘れておりましたな。」
帯刀殿は包みを指さすと、十兵衛光秀に「包みを外して頂けるか」と声をかけた。
彼が慎重に包んでいた布を広げると、そこには見事な漆塗りの鞘に納まった一振りの刀があった。
「………これは、一体………」
戸惑う十兵衛に、帯刀殿が答える。
「妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリ。斎藤妙純様がお使いになられた名刀に御座います。」
斎藤妙純。応仁の乱で活躍した斎藤守護代家屈指の名将だ。しかしそれ以上に土岐の家督争いである船田合戦で、当時の守護土岐成頼と対立し長男政房の家督相続を支持して勝利したことが有名である。斎藤守護代家の繁栄を象徴する人物の1人と言える。
「代々斎藤守護代の家でも守護代にならない予定の者が受け継いでおりました。これを持つことは守護にも刃を向ける証ではないかと言われたためです。」
帯刀殿は淡々と話す。
「しかし不運にも美濃内部の争いの中で一族は次々と亡くなり、預かっていた某に守護代が回ってきました。それでも持っておりましたが、先日二郎様にそれを問い質されまして。」
何してくれちゃってるんですか歯ぎしり御曹司さん。
「とはいえ、手放すわけにもいきませなんだ。そこで、同じ斎藤家中で守護代にはまだなっていない貴殿にお渡ししようかと。」
「えっと……厄介払いですか?」
そういうのに巻き込むのは良くないと思います。
「それだけではありませんよ。これを貴殿が持っていれば、斎藤守護代の正式な一員であると周囲に認めさせられる物でもあります。また、妙純様は晩年に法印権大僧都まで登り詰めた御方。格で言えば十分その域に辿り着けると思うからこそお渡しするのです。」
「抜いてみてください」と言われ、十兵衛から刀を受け取り鞘から抜いてみた。
両手で持った時よりも片手で抜く時の方が重さを感じない。すっと鞘から刀身が姿を現した。
「刃文が美しいでしょう?」
「ええ……素晴らしいものですね。」
別に刀に詳しくはないが、これは抜いて、目で見ただけで分かった。刀身に濁りや歪みが無く、陽光をとても素直に反射する。鏡とは違うが、映る物の本質を見せるような輝きがそこにはある。全てを見通すような透き通った光沢。
「受け取って頂けますね。斎藤守護代の跡取り殿。」
「はい……使う機会はないでしょうが。」
刀で戦うような場面にまで追い込まれたら終わりだ。この刀は手入れを大事にしつつ腰で御守りをしてもらうことにしよう。
「それが宜しいかと。左近大夫様も使ったら腕が未熟故折ってしまいそうで不安だと仰ってました。」
くそ、父の言を否定できないが酷い言い方である。
「大切にしてください。この刀は、きっと貴殿を更なる高みへ導くことでしょう。」
武士として持ち歩くような物には拘ってこなかったが、なるほどこれからは行事等で刀もきちんとした物でないとダメということもあるか。
関の刀工の一品だから問題はなかったが、これからはこの刀に見合う刀で脇を固めるようにしよう。
♢
美濃国 大桑城
従五位下に任ぜられるのもあってまた少人数で京都に行くことになったのだが、その前に二郎サマの婚姻の儀が行われることになった。
相手は稲葉殿の娘だ。伝手を使って三條西実枝様の養女として嫁ぐことになった。どうやら俺が典薬頭になって対等に近い関係になる前に婚姻の儀をしたかったらしい。
婚姻は恙無く終わった。といっても自分の様な参加するだけの人間は特にやることもない。大変そうだったのは森三左衛門可成ら役目のある面々だ。型破りなことをしたがる二郎サマを必死に宥めすかして儀式を無事終わらせたとか。ご苦労様です。アホな上司がいると大変ですね。
で、二郎サマが結婚できたということは、である。
そろそろ覚悟を決めないといけない時期が来た、ということになるだろう。
松平広忠(さり気なく元服しました)の岡崎復帰は1540年説で進めています。
ただ、牟呂城から動けなくなっています。
本願寺と大久保党、そして一向宗系の家臣は切迫して蜂起しました。
とはいえ史実の三河一向一揆ほど兵も人も集まっていません。
岡崎城も本丸以外はもう佐久間に占領されています。
それだけ織田の勢いがあるということですね。
今川が家督争いが終了しきっていないのもこのあたりに影響している設定です。
妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリは縁者が史実では持っていたそうですので、今作では守護代家の帯刀左衛門尉利茂が持っていたことにしています。