第53話 国境を越えて その3
山城国 上京
明宗殿は体調が回復した後、息子と合流して稲葉山で活動したいというので書状を渡して見送った。聞けば父親が河野宣高という人物で、稲葉良通殿の祖父と兄弟関係だそうだ。つまり明宗殿と稲葉殿の父親は従兄弟同士となる。
世の中狭いものだ。
河田伊豆守はお嫁さんを京都に連れてきた。家財道具ほぼ全部売って合流した形である。まぁ家臣1人くらいは養う金もあるのでとりあえず炊き出しの手伝いをさせることにした。朝のラジオ体操でかなり驚いていたが、土岐家中で広めている健康法だと話すと実に素直に取り組んでくれた。
施餓鬼や施行と呼ばれる寺社の炊き出しは、こういった飢饉での人々のセーフティネットになっていたらしい。
今回は北野天満宮と協力して施餓鬼を行うことになった。一応こちらが官位持ちなのもあり、応対してくれたのは松梅院の吉見禅光殿だった。禅光殿は比叡山の御坊様だが、同時に北野天満宮の宮司の仕事もしているらしい。寺なのに神社とは……これが前世で習った神仏習合なのか。
「道真様も典薬大允様の行いに大層お喜びで御座いましょう。」
「そうだと良いのですが。」
北野天満宮は大学受験の時父がお守りを買って来てくれた思い出の場所だ。前世は御礼にお参りしたが随分と境内が寂しく感じた。秀吉が茶会を開いた場所のはずなのだが……秀吉が建物を造ったのか?
飛鳥井の井戸で汲んだ水も使い、美濃から持ってきた米を粥にして人々に配った。味噌で味付けしているので猫まんまに近いものになったが、塩分やタンパク質も不足しやすいことを考えてのメニューである。
「前の施餓鬼より味があって美味いの。」
「美濃におられる典薬大允様か……ありがたやありがたや。」
「味噌味なんて久しぶりに食べたな……沁みるのぅ。」
集まったのは1000に届くであろう人。今回は全員に食事をなんとか届けられたが、時によってはもっと多くの人が来るという。
そうなると蔵から持ってきた米では1週間分にしかならないだろう。
「困った……何とかしなければ。」
種痘は商家などで大山崎の商人などから順に始めており、やり方・扱い方を覚えた半井兄弟や看護師として育てている豊を含む手際のいい女性陣で少しずつ回っているところだ。護衛も必要なので施餓鬼の人員含め結構ギリギリの人員かもしれない。
子供は原則無料で料金は金のある人からは僅かだけ徴収し、これを追加予算にすることは決まっていたが……それでもかなり足りないだろう。
飛鳥井様に相談してみようと思って片づけ作業に入っていると、多くの護衛を連れたやや年上くらいの青年が境内に現れた。
青年は周囲を見渡し御坊様の1人に何か尋ねると、御坊様はこちらの方角を示して頭を下げていた。
ぐんぐん近づいてくる姿に、嫌な予感がしてくる。偉い人の息子とかじゃないだろうな。
顔と顔が視認できる距離まで来たところで一行は立ち止まり、青年がにこやかに挨拶をしてきた。
「お初にお目にかかります。某名を三好伊賀守利長と申します。管領細川様の家臣にて、一族が阿波国におりますが摂津越水の城主を務めさせて頂いております。典薬大允様に御話がありまして参った次第です。」
もしや前々から疑っていた三好長慶(仮)さんではないか。
「お、お初にお目にかかります。某斎藤典薬大允利芸と申します。美濃太守土岐左京大夫様の家臣に御座います。」
「ご丁寧にありがとうございます。貴方様は正式な官位で羨ましい限りです。」
「あ、いえいえ。そんな大層な者では御座いませぬ……。」
あの三好長慶(仮)に褒められたが、確かに相手の伊賀守は自称でしかない。こちらは従六位下と共に正式な官位官職なので、実際はこちらが格上ということになる。
「御謙遜を。医術の腕は日ノ本各地へ轟いておりますぞ。此度の種痘とやらも是非お願いしたいところで。」
「あ、はい。それはもう、こちらこそ是非お願いします。」
「いやいや、お願いするのはこちらですよ。……成程、物腰の柔らかい不思議な御方だ。貴方になら、いや貴方とこそ……。」
「え、えっと……それで、如何いった御用件で?」
「あぁ、失礼致しました。実は施餓鬼に我らからも寄進をしたいと思っておりまして。」
「おお、真ですか!」
これは有難い。正直資金など悩みは尽きなかったのだから。
「ええ。阿波は比較的安定した作柄でしたので、余裕のある分の米を安宅の水軍に運ばせます。」
「とてもありがたいことです。では、宜しくお願い致します。」
「こちらこそ、8日後にはこちらへ食糧が届くと思いますので。」
歴史上の偉人の1人(仮)と共同作業である。父などとは違った感慨深さがある。
翌日からは三好からも人員が派遣されて手伝ってくれることになった。責任者はというと、
「お初にお目にかかります。某名を松永弾正と申します。」
あの松永弾正久秀だった。この時点で三好長慶の仮は外れた。間違いない。彼が後の三好長慶だ。
「典薬大允様にお会いできて光栄に御座います。某、前々から斎藤の皆様のことお慕いしておりましたので!」
実物のギリワンさんは、とてもそうは見えない好人物だった。これは演技なのか?それともよく聞く人物像と実際が乖離しているのか。目がキラキラ輝いているぞ。
「何せ典薬大允様の御祖父にあたる西村豊後守様は私と同郷。しかも豊後守様の御父上は我が父の上司として北面の武士でありましたので!」
え、何それ。世間狭すぎません。稲葉殿と明宗殿といい。祖父西村豊後守正利とはそこまで何度も話ができなかったけれど。
「豊後守様の御活躍は我が父も度々耳にしておりました。しかし父は無骨で真面目な男だったので大恩があるとはいえ北面の武士を辞めるわけにもいかず、遺言で好きに生きろと言われたのが七年前のこと。」
しかし語るのが好きですねこのギリワンさん(仮)。とても謀将とか梟雄などと呼ばれそうもない人物だ。
「三好様にお会いできたのは某と弟の人生最大の幸運!誠に仕えるべき主人を見つけたというもので御座います!……あ、二番目は当然典薬大允様にお会いできたことですよ!」
人懐こすぎて不安になるな。警戒心が抜けきらない。
「とにかく、御一緒に仕事させていただくのは本当に嬉しゅう御座いますので!家臣の方々同様に遠慮なく命令して下さいませ!」
やはりゲームの情報は鵜呑みにしてはいけない。そんなことを考えていた。これで本当は謀将だって言うなら騙されても仕方ないわ。お尻に尻尾生えててブンブン振っているのが幻視できそうなタイプだし。身長6尺(約180cm)で30のおっさんなのにキラキラ視線が眩しすぎだよ、この人。
♢
施餓鬼の現場を明智十兵衛光秀と松永弾正久秀に任せ、ある商家で後家の女性と子供1人が体調を崩したというので診に行くことになった。すっかり看護師が板についてきた豊を連れ、見世棚の並ぶ通りに向かった。
女性は前妻の子が胃腸炎で倒れたのを看病していてうつったらしい。前妻の子は数えで5歳だ。
疑われるのはロタウイルスやアデノウイルスなどだが、大事なのは原因の特定ではなく治療である。そもそも電子顕微鏡のないこの時代でどのウイルスかなんて分かりようがない。
2人に経口補水液を投与しつつ、生活空間の殺菌を行うことにした。使うのは柿渋だ。
柿渋の抗ウイルス能力は非常に高い。タンニンが理由だが、茶などのタンニンより柿渋のタンニンの方が効果が高い。ノロウイルスだろうがアデノウイルスだろうがヘルペスウイルスだろうが問答無用で効果が出る。
柿渋の効果は主にウイルスの細胞吸着を阻害するものらしい。らしいなのは研究が進んでいる最中で自分は死んでしまったためだ。しかし不活化できるのは確かだ。おまけに柿渋の抗ウイルス作用は作り置きしても殆ど失われない。
更に稲葉山周辺は美濃渋と呼ばれる渋柿の名産地である。清酒造りの清澄剤にも使えるので、そのうち米が余るようになればそちらに使ってもいいと考えている。
今回は手術用の余りで残っていた消毒用アルコールに混ぜて柿渋スプレー的なものを作った。いわゆる霧吹きなのでそこまで細かく噴霧できないが、針金から作ったバネも一応きちんと動くおかげでなんとかなった。
後家さんと息子さんの部屋と台所などをスプレー&拭き掃除で消毒した。二次感染の拡大を防ぐため柿渋入りの石鹸を渡して接触前と後に必ずこれで手を洗うことなどを徹底するよう周知。食事より経口補水液の摂取を優先するよう作り方も教えた。京ならば砂糖は高価だろうが手に入るだろう。
4日後、2人は峠を越えて体調が回復し始めた。三好から食料も届き始め、石清水八幡宮も大山崎経由でこちらに協力してくれたおかげである程度の規模を維持して炊き出しを続けられそうだ。
ちなみに大山崎の油座は斎藤の家が協力し石鹸という新しい製品を得たことで座の復活が始まっている。今回の協力はそれへの感謝の意味もあるそうだ。
種痘は用意した数では足りず急遽美濃から追加を頼んだ。商人・公家・一部の武家・そして京に住む子供・女性へ種痘は拡大し、その犠牲者は急激に減少しつつある。感染者への早期種痘で助かった人も出た。
もうすぐ種痘の第一回摂取から3年が経過するので、二度目の種痘のために増産を始めていなければ到底追いつかなかっただろう。
商家や一部裕福な人から一定の謝礼は受け取っているが、ここまでの規模だと紙の販売などで儲けた分を持ち出しで使っている。仕方ないことだ。人の出入りが多い都市は特に種痘を強化していかないと。
種痘を拒否された人もいた。二位殿の件があって、鷹司家には拒否された。そういうこともある。彼らに天然痘が襲いかかることが無いよう祈るしかない。
木曜日でひと段落になります。
明宗の出自は一部記録と推測から組み立ててます。河野宣高が系図にいないので本作ではこうしました。
史実でも施餓鬼は行われていますが、色々絡み合って大規模になっております。
松永久秀については、近年の研究などからその人物像が180度違う説が出てきていますので、それを基に忠犬タイプにしてみました。
十河一存とか暗殺してない。将軍殺害にも関与してない。寺も焼いた指示は出してない。三好当主を裏切る気はない。
そんな松永久秀兄弟と斎藤道三一族は同郷説があります。京都関係では武家で一番作品で関わる人物になる予定です。
柿渋スプレーはノロウイルス予防にとても効果があると近年注目されています。平安以後美濃国内では揖斐渋・美濃渋が有名だったそうです。