第52話 国境を越えて その2
4分割になっております。2話目です。
山城国 上京
京都に到着した後、京都の半井驢庵殿の屋敷を拠点として活動を開始した。
最初は近隣の公家の方々への挨拶回りである。持明院家と飛鳥井家は物資の集積などで協力してもらっているので、特に念入りだ。
「此度は御屋敷の一部を貸して頂き御礼の仕様も御座いません。」
「ほほほ。息子の尭慧から文が来ておる。遠慮せず頼られると良い。」
権大納言飛鳥井雅綱様は50歳を過ぎていながら背筋が伸び、足腰のしっかりした人物だった。健康の秘訣を聞くと、
「ほほほ。其方も蹴鞠をすると良い。蹴鞠は背を丸めては美しゅうないのでな。」
と言われた。なるほど、蹴鞠健康法か。
「其方の種痘を受けたいと言う者は数名居る。都では不破の関を痘瘡が越えられぬと専らの評判での。それでも躊躇いなく試そうというのはそこまで多くないの。」
「受けようと思っていただけた方がいるだけでも有難いことです。」
「ほほほ。其方が挨拶に来るというので種痘を受ける者1人は既に呼んでおいたぞ。」
なんて話をしていると、雅綱様の御夫人が1人の男性を部屋に招いた。
服装が公家のそれなので頭を下げるが、雰囲気は自由人のそれである。上品さは顔つきからは感じられず、浅黒く日焼けした顔は野生の雰囲気を仄かに漂わせている。
「良い、良い。典薬大允よ。今日は此方が願いを聞いてもらう立場よ。」
「ほほほ。此方が内蔵頭山科言継殿よ。殿上人一の奇人、変人よな。」
「いえいえ。朝議の場はいつも魑魅魍魎が跋扈する場にて、人であるだけましと自負しておりますぞ。」
殿上人は天皇に会える官位官職を得ている人のことである。一応二郎サマも従五位下を頂いたので殿上人になっているはずである。つまり殿上人一の奇人は歯ぎしり御曹司である(証明終了)。
「と、話が逸れたの。ほほほ。」
「然り然り。種痘のことに御座います。」
「典薬大允の種痘のこと、公家の者共に説明するのが大変でな。まずは幾人か医術の心得のある者が受けてみることにしようと、こうなったのだ。」
「まずは種痘を公家は山科殿に。帝は山科殿に万一があってはと危惧されておったが、逆に言えば山科殿は日ノ本各地を訪ねて内蔵頭として台所を管理する立場の御方。下向先で痘瘡に罹られては困るでの。」
つまり、山科殿で種痘の安全性を証明してみろということらしい。持明院様が受けたのを彼らは知らないし、美濃に居るので証明しようもない。京にいる人にやってみせなければならないということだろう。
「で、同時に其方には商家や町人たちに施しや種痘を施して貰いたいのよ。」
「左様でございますか。では山科様と人々への様子で……」
「然り然り。皆を納得させてほしいのよ。」
「少し日を空けて次は刑部卿錦小路盛直殿に種痘をして貰うことになる。典薬頭も務めた方故、山科殿より医術にはお詳しいからの。」
「然り然り。所詮薬種商にお墨付きを与えるだけの身故な。薬には相応の自信があるがどの医術にも詳しいわけではない。きちんとした御方にやり方は確認してもらうからの。」
医家の名門に種痘はチェックされるらしい。兎に牛まで使っていると言ったら何て言われるか少し怖い。
「では、一思いに頼むぞ。」
服を脱ごうとした山科様を慌てて止め、準備のために許可を貰って豊を呼ぶことにした。この人思いきり良すぎないか……自由人らしいというのは間違っていなさそうだ。というか、殺すみたいな言い方止めてください。
♢
山科殿への種痘を終えて半井殿の屋敷に戻ると、門の前で番人と問答している頭を丸めていながら帯刀した人物がいた。
「ですから、その御坊様は今典薬大允様がお世話している最中でして。」
「明宗様に確認いただければ某のことは分かります!ですから何卒会わせて下さいませ!」
近づいてみたが見知らぬ人物だ。危険があっては困るのでまずは警戒した奥田七郎五郎利直を先行させることにした。自分の身を守るためとはいえ、これは面倒この上ない。急患の時のために身を守れる医師を育てておきたいところだ。
「如何なされた?」
「え、な、何という……。そ、某は河田伊豆守入道で御座います。」
今や身長7尺(約210cm)に届きそうな奥田七郎五郎は、普通の武士や町人の横に立つと威圧感が尋常ではない。目の前で名乗った人物も身長的には普通なためか、振り向いた瞬間は絶句していた。その後も気圧された様子がありありと見て取れる。
「美濃守護代家斎藤典薬大允利芸様が小姓の奥田七郎五郎で御座る。して、半井様に何用か。」
「て、典薬大允ということは斎藤新九郎様ですね!お願いです!明宗様に会わせてください!」
「明宗様?」
「御惚けなさらないでいただきたい。堅田からこちらまでお連れしたと聞き及んでおります。」
そこでようやく合点がいった。なるほど、あの餓死寸前だった御坊様の知り合いだろう。少し近づいて話に加わることにした。
「七郎五郎。良い。恐らくこの者、あの御坊様の縁者であろう。」
「若様……宜しいので?」
「其方を前にして嘘が言えるほど強かには見えぬ。それに会わせれば分かるというのも好都合だ。あの御坊様は御自身のことを何も語ってくれぬ故困っていたのだ。」
というわけで、腰の刀を預かる条件で半井殿に許可を貰い、屋敷に招くことにした。
「おお、伊豆守殿……」
「明宗様!御無事で何よりです!!」
御坊様はちょうど半井兄弟の弟である瑞策に食事をもらっている所だった。
米を湯で煮込んでドロドロの粥にした物に梅干しの果肉を混ぜたものと、豆腐をすり潰した物、更に大根おろしと生姜を使った大根湯を匙を使って少しずつ食べてもらっている。長い間まともな食事を摂っていなかったため、胃が固形物を受け付けないだろうという判断だ。
「そうですか。拙僧が誰か分かり申したか。」
そういうと、彼は自分の素性を明かした。
本福寺明宗。堅田の本願寺派に属する本福寺の5世住持である。本願寺で実権を握っている光応寺蓮淳の嫌がらせで何度も破門されたため信徒を失い、毎日の食事も息子優先にしていたら大雨の後遂に倒れてしまったらしい。
たまたま自分たちが通りがかったから助けられたものの、今や本福寺に味方するのは河田伊豆守入道くらいだったそうだ。
「典薬大允様は慈悲深い方とは聞き及んでおりましたが、本願寺はお好きでないとも聞いておりましたので、名乗ることすらできませんでした。この身の弱さをお許しくださいませ。」
「顔を上げてください、明宗様。救うべき命に宗派も身分もありませぬ。」
「なんと慈悲深き御方……。拙僧にはもったいなき事に御座います。」
すると、河田伊豆守殿が綺麗な土下座をしていた。
「御無礼な振舞いを致しました事、申し訳御座いませんでした。明宗様の御命を救っていただきました事、言葉では言い尽くせぬほど感謝しておりまする。」
「あ、いや、そんな大げさな……」
「いいえ!某典薬大允様の御志に感服致しました!帝がお認めになられたというのも当然の事と大いに感じ入りました!」
板の間に涙らしき液体が溜まっていく。おいおい、これ何ml涙流してるの。涙もろいどころじゃないでしょう。
「拙僧も真に人を救う御方とは斯くあるべしという姿を見させていただいたと思っております。薬師如来様の生まれ変わりという噂も納得に御座います。」
いいえ、私は37歳の医師の生まれ変わりで御座います。
「本来なら既にこの世にいなかったであろうこの身、今後は高田派の僧として御身のためにお使い頂きたく思います。」
「えっ。……えっ。」
「某も、草履番でも小者でも何でもやらせて頂きます!無礼を許していただけぬというならこの首差し出します!どうか御傍に置いて働かせてはいただけませぬか?何卒!」
何だこれ。……いや、本当何だこれ。
京都編をだらだらやっても仕方ないので、火曜日・木曜日に投稿して4分割の部分は終わらせる予定です。
河田伊豆守入道元親(憲親とも)は元六角家臣と言いますが、詳細がよくわからない人物です。息子の長親は上杉政虎が日吉大社参詣で出会った稚児というところから六角家臣。本福寺勢力拡大で本福寺の門徒になる→本福寺破門で本願寺と決別、六角家臣辞める→比叡山へという物語を作りました。その途中でインターセプトしたという形で話を作っています。
明宗救出は旧暦5月14日~20日に大雨(大津周辺でも被害甚大)⇒6月6日餓死という流れから思いつきました。ご老人なので長くはないですが、確実に歴史が変わっていくポイントになっております。
史実で彼を助けられる人がいなかったのは時の本願寺有力者蓮淳に誰も逆らえなかったためです。