第51話 国境を越えて その1
美濃国 稲葉山城
京の都で疫病、特に痘瘡が多発。先年の近江での凶作も影響して、食糧も不足気味。
京の町では多くの人が痘瘡で亡くなり、そのおかげで皮肉にも食料の値が急騰せずに済んでいる。
そんな情報が耳役から入ったため、手元の資金で人を助けられないか父に願い出ることにした。
「三月頃から疫病は特に酷いと聞きます。それなりの資金はあるので、なんとかできませんか。」
「……物事には理由が必要だ。人を救う。結構だ。とても素晴らしいことだ。だがそれだけでは難しい。」
「……従六位任官の御礼に京へ行くというのは?」
「……ふむ。しばし待て。」
部屋で待つことしばらく。父が連れてきたのは、元参議正三位持明院基規様だった。基規様は美濃に荘園を多く持つことからしばしば美濃に来る。今年も春になる頃から食事に困らないこちらにやって来たのだ。そしてその荘園を管理しているのが父左近大夫利政であるため、滞在は太守様の屋敷か稲葉山になる。
「ほほほ。1週間ぶりよな典薬大允。種痘とやらも既に小さくなってすこぶる快調であるぞ。」
「三位様もお元気そうで何よりです。高貴な御方に打つのは初めてでしたので不安でしたが、痕も残らず何よりでした。」
「快癒の祝いで食べた蓮根の料理も美味であった。そちの考えた料理は見目も麗しく味も良い。和歌と蹴鞠さえ上手ければ都の貴族達が放っておかぬところであった。」
「恐悦至極に存じます。」
「で、京へ人助けがしたい、か。」
「はい。」
基規様は口元を美濃和紙製扇子で隠すとむむむ、と思案顔になった。
「都ではまさにこの痘瘡が流行っておる。余りに酷い故、東寺や北野天満宮に祈祷をさせたが、効果なぞ出ようはずもない。其方の言う通りなら、これはただの病なのでな。」
「はい。」
「もしこの状況で都に行って、事態を収められなければ其方は責められるやもしれぬ。否、収めても口さがない坊主や神人に何か言われようぞ。」
「そうかもしれません。」
「……決心は固いか。」
「三位様にご迷惑は決しておかけしませぬ。」
「……良かろう。これを持て。」
渡されたのは、元参議である基規様の御教書だった。それも本来ならまずあり得ない基規様の袖判付き。
「三位様………」
「正三位持明院基規より命ず。京の都にて人々を救ってまいれ。左近大夫も蔵の米をいくばくか持って行って良いそうじゃ。」
「父上………」
「新九郎、どうせやるなら派手にやるのだ。斎藤の家名を京中に轟かせるほどにな。それと、向こうでは我が屋敷と飛鳥井様、それに半井殿の屋敷を頼るが良い。特に半井殿がお前の種痘を喧伝しているらしくてな。参議や大臣の方々でもできるならやっておきたいという方がいるそうだ。」
これはチャンスだ。多くの人を救い、そして天下にその名を知らしめるための。
「行ってまいります!」
胸の奥から思力が溢れてくる気がした。
「あ、それとだが。」
「何でしょう父上。」
「関所には三位様の御力、大蔵卿だった所縁で一部の関銭が免除になるのでな。枝村商人らと協力してある程度和紙を持って行って金にして来てくれ。得た金の半分は民を救うために使って良いぞ。あ、あと朝廷にもきちんと我らの行いを詳らかに報告して来るのだぞ。」
「………」
父を信じた俺が悪かったのかもしれない。
♢
美濃国 不破の関
和暦では5月だが、気候的には梅雨に入る頃、文字通り大雨が日本列島を襲ったらしい。
らしいなのは天気予報も何もないからだ。噂で畿内は酷い被害だったと聞いたものの、美濃近江以外の情報は入りにくい。酷かったのは大津と伏見の間だそうだ。街道が洪水で水に浸かり、家屋への浸水被害も出ているらしい。
そのため、数日の間近江と美濃の国境にある不破の関から自分たちは動けないでいた。
5月半ばには護衛や荷物運び、作業を手伝う医師・看護師など、総勢500名で美濃を出発した。食糧も相応に運んで出発したが、不破の関直前で天候が急変。慌てて関の内部に食料や医薬品、紙を運び来んだところ、三日三晩雨が降り続くことになった。
「厄介な雨ですね。」
「食料が湿気ないか心配だ。カビが生えていないか確認を怠るなよ。」
「はっ。交代で薬の方も水が入らぬよう気をつけさせまする。」
大沢次郎左衛門正秀は真面目な男なので、こういう時は頼りがいがある。主家に忠実なのも父にとってはありがたいのだろう。しかし彼が斎藤の一門になれるかどうかも二郎サマの婚姻次第である。太守の頼芸様が毎日のように説得しているというが……それこそ逆効果なのでは?と思ってしまう。
♢
近江国 大津・堅田
6月になる直前になんとか雨が止んだ。
大急ぎで京極領内に入ると、道中には当然のように食うや食わずやの人がいた。
情報を集める限り、六角の勢力圏はまだましな状況らしいが、京極の佐和山・鎌刃の城周辺では食糧難が発生していたのだ。ウンカの被害と戦乱続きで北近江は酷く荒れている。
しかし京極家中からは助けないで欲しいと連絡され、護衛という名の監視役までついていた。
「彼らは国友の鍛冶職人をとられているので、農民まで逃散して美濃に逃げ込まないかと警戒しているのですよ。」
十兵衛光秀にそう言われてしまうと、こちらが手を出せば場合によっては戦になる。しかもこちらが悪いということになってだ。
それこそ人々を更に苦しめることになるので、救えぬことへの忸怩たる思いで一杯になりながら通り過ぎるしかなかった。
大津に入る直前、御坊様らしき老人が1人倒れているのを見つけた。大津は北部の堅田が本願寺門徒の影響が強いため、そのまま通過して京へ向かう予定だった。しかし行き倒れを見つけては無視できない。細川・六角・比叡山の案内人に許可を得て、その人物を助けることにした。
衰弱しきっており普通の食事では喉を通らないと判断したので、最悪に備え試作していた蜂蜜と塩を使った経口補水液をまず投与した。なんとか飲み込む力が残っていたのでそれを与えつつ、輿を調達して京まで運ぶことにした。
しかし、町の外で御坊様すら衰弱して倒れているとは……堅田の本願寺は何をしているのだろうか。
御仏に仕える坊主が人を救わず、仲間?の御坊様同士すら助け合わないのなら、いくら修行しても極楽浄土にはいけないと思うのだが。困ったものだ。憤りすら感じるが、ここで暴れたり非難しても何も結果には結びつかない。耐えるしかない。
堅田を通り過ぎる時、山間にかすかにだが立派な櫓が見えた。聞けば比叡山の僧兵の拠点だという。土台は石垣でできているそうだ。
それだけの物が造れるのに、何故苦しんでいる人が畿内に溢れているのかと考えさせられる1日だった。
というわけで京都編開始です。天文の飢饉が京都を襲う中で主人公は頑張ります。
京都にはまだ辿り着いておりませんが……。
御教書は三位なので出せますが、他にも色々と六角との折衝なども父のマムシがやってくれています。
マムシもここで儲けつつ名声稼ぎには異論がないため協力的です。