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第5話 マムシの毒は痛みなく回る

♢♢から三人称が入ります。

 

 父左近大夫規秀(のりひで)の元主君である長井長弘の遺児で、唯一元服していたのが景弘だった。永正14年(1517)から享禄3年(1530)年頃まで、美濃守護の土岐氏の後継者をめぐって土岐左京大夫頼芸(よりのり)と土岐次郎政頼(まさより)が大きな争いになった。この時小守護代の家柄である長井家は、大部分が頼芸側について守護代斎藤氏を追い出した。その長井家がガタガタになるとまずいから景弘はゆるされて跡を継ぎ、その補佐も兼ねてうちは長井姓をもらっていた。


 そんな長井家惣領(そうりょう)(家の当主)の長井景弘が死んだ。死因は鷹狩り中に弓で何者かに射られたためだそうだ。

 どう考えても殺人事件である。真っ先に犯人として疑われたのは父の左近大夫規秀である。彼が死ねば惣領になれる可能性が一番高いからだ。


 しかし、これは父親の喪に服している最中にそんなことをやるか、という武家的な常識から否定された。そもそも乗っとるなら長井長弘の上意討ちをした時に長井の名を継ぐ話はあった。なぜその時しなかったのかとなったらしい。


 らしい、なのは廊下でたまたま話していた家臣の話を聞いたからだ。まだ数え7歳なのでわからないだろうと思われたらしい。かわやに行く途中で誰もそばにいなかったのも幸いだった。



 喪が明けて出仕した父左近大夫規秀はまず、謀反で討った長井長弘の遺児である弥三郎を元服させて惣領にすべきと土岐左京大夫頼芸様に言ったらしい。更に、土岐次郎政頼と一緒に越前に逃げていた斎藤帯刀左衛門尉たてわきさえもんのじょう利茂の手の者が、最近美濃領内に盛んに出入りしていたことも報告したそうだ。何を考えているか、外から見ている限りさっぱりわからない。


 ♢♢


 美濃国 守護所・枝広館


「斎藤帯刀(たてわき)殿が美濃への復権を伺って間者を放っていると思い、喪中も調べさせて景弘様に伝えておりましたが、殿にお伝えするのが遅れ申し訳ありませんでした。」


 左近大夫規秀が額を板の間につけて左京大夫頼芸に謝る姿を見て、その場にいた人間は誰もがこの一件の犯人を帯刀左衛門尉利茂と考えるようになった。


「いや、それならば仕方あるまい。兄上も幕府と我らが接近していて、いつ名ばかりの守護職を解かれるかと気が気でないのだろう。このような暴挙に出るとは。」

「せめて彦四郎様が生きておられれば、斎藤の名跡みょうせきで抑えてくださったものを……。」


 誰かがこう呟いたのに、左京大夫頼芸が反応した。斎藤彦四郎は頼芸方についた数少ない斎藤氏の一族だったが、既にこの世にはいない。


「斎藤を誰かに継がせる、か。ふむ。それがいいかもしれんな。長井が小守護代になれるのも斎藤から養子で来た長弘の父利隆(としたか)のおかげだ。」

「では、弥三郎殿に斎藤氏を継がせると?」


 左近大夫規秀が言うと、頼芸は首を振って答える。


「いや、斎藤氏を継ぐのはそなただ、新九郎。そなたも形式上は長弘の子だ。問題はない。それに斎藤守護代は代々稲葉山にじゅうしていた。そなたも稲葉山の城主だ。」

「いや、では長井の家を支えるのに私では余所者になってしまいます。」

「では其方そなたの弟を弥三郎の補佐につけよ。竹ヶ鼻の城主をしていただろう。今後は弟もここに出仕させよ。」

「確かに弟も長井に姓を変えましたが・・・。」


 周囲も含め、困惑が場を支配する。


「今は危急の時であろう。左近大夫以外にが下で国中をまとめられるものはおるまい。」

「……恐悦至極きょうえつしごくに存じます。」

「あとは斎藤の守護代を継がせるためにも幕府から正式に守護に任じられねばなるまい。六角弾正(だんじょう)からも繋ぎをとるか。」

「であれば、以前から浅井・京極と繋ぎをとっておりますので、三者で和睦できるように斡旋あっせんしましょう。北が落ち着けば六角も京方面へ兵が出せます。管領様も喜ぶかと。」

「それは良いな。話の手土産になろう。任せる。」


 ♢


 美濃国 稲葉山城


 評定ひょうじょうを終えた左近大夫規秀は、自室に帰ったところで低く笑い出した。


「まったく、これほどうまくいくとはな。」

「まさか斎藤の、守護代の惣領までいただけるとは思いませんでしたな、兄上。」


 そばにいて応えたのは弟の長井隼人佐(はやとのすけ)道利である。


「長井の惣領を反感なく手に入れられれば良いと思っていたが、天はこちらに味方したぞ。」

「てっきり斎藤傍流の利匡としただ殿の遺児か景弘様の弟を斎藤守護代にするかと思っていましたが。」

「利匡殿の家は守護代から血筋が離れすぎだからないとは思っていた。しかしまったく、良い時期に死んでくれたな、景弘様は。」


 意味深な言葉は天井に吸い込まれ、兄弟以外の耳には届かない。


「では、兄上との手はず通り京極には私が話を。」

「頼むぞ。浅井と六角にはわしから話をする。朝倉は加賀の一向宗と争った傷が癒えておらん。斯波の当主は傀儡かいらいのまま、その下の織田は一族で争っている最中。今が好機ぞ。」

「わかっておりますよ。これで美濃の過半は我らの意のまま。であればこそ、ここからは慎重に進めねばなりません。」

「そう。目先の利益だけで動けば逆に損をする。先々まで見ながら利を計算しなければ、な。」

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