第48話 救うために殺すというエゴ
今まで経験した戦場とは違う。
張り詰めた空気は兵の足を、手を重くし。
やや離れた距離に見える敵をやけに大きく見せ、味方を心細く見せる。
比較的近くにいる足軽の装備の錆や紐の解れが何故か鮮明に見えた。
戦場に響く怒号と共に、朝倉勢の黒坂景久が村山芸重殿の軍勢に襲いかかる。二郎サマを追いかけようと軍勢が前に動き始めたところを横から奇襲されたため、600を率いる村山殿がせいぜい100しかいないように見える黒坂勢に良い様に押されていた。
どうせ二郎サマは自分では止められないし止まらないだろう。だから村山殿をまず救わないといけない。
「恐らくですが、わしが思いますに敵の狙いは最初から二郎様の首級のみに御座います!」
「こちらの情報が漏れていましたか!?」
「いいえ、考えてみれば分かりやすいことで御座います!大将は出てこない、遠藤殿は主家不在で先陣はない、新九郎様は多勢過ぎて和泉では展開が難しゅう御座いますれば!」
言われてみれば尤もだ。実際、今だって熊野神社に関殿は残っている。この戦場で戦うなら二郎サマと村山殿が一番動きやすい。
相手は最初から穴間や石徹白を守るために来たのではなかった。いや、守れるなら守ろうと考えただろうが、それ以上にこちらに何がしかの損害を与えたかったのだろう。
そして浅井などから事前に情報を得ていた二郎サマに朝倉孝景が目をつけた。従軍していた次郎頼純の旗指物を直前まで隠し、布陣して最も血気盛んとなった二郎サマを突出させに来た。
そして村山殿を早朝から山越えをさせた黒坂景久の少数部隊で足止めをし、暴走を誰も止められなくする。策としては完璧にはまっている。してやられた。
「村山殿を救え!!」
「応ッ!!」
黒坂勢と接敵した。中に入り込んでいない後方の兵を、徒歩の奥田七郎五郎利直が突っ込んで文字通り蹴散らした。軽くジャンプするだけで6尺7寸(約2m1cm)の巨体は相手の頭部に強烈な蹴りを入れることができる。そのまま空いたスペースに立つと槍を近くの敵兵に突き刺し、あっという間に敵兵2人を串刺しにした。
慌ててこちらに振り向いた他の敵兵も、初陣の明智十兵衛光秀の弓から放たれた矢で首を狙われ絶命したり大沢次郎左衛門正秀の槍の一閃で槍の穂先を失ったところを同じく初陣の谷小太郎改め谷大膳衛好に討たれたりしていく。
「斎藤守護代家を乗っ取った狡猾な一族が来たか。相手にとって不足なし!!」
村山殿の傍まで来ていた黒坂景久は、こちらを視認すると囲まれると判断したのか兵の厚い村山殿の方向ではなく、山からの道を塞ぐように細長く乱入したこちらを突破しようとやってきた。
持っている槍は通常の物より一回り太く、まるで丸太を振り回しているようだ。怪力の熊殺しは伊達じゃない。
「一人で戦わずとも良い!協力して捕縛や討ち取った者全員に褒美を与える!!」
1対1で徒に兵を殺されたら困る。全員で囲ってでも討つよう呼びかける。
敵も黒坂景久の供周りが彼の背中を守るように動きつつこちらと戦っている。
「助かり申した!二郎様のところへ行かせて頂く!!」
「頼みます!!」
村山殿の声に振り向かずに応え、目の前の怪物に向き合う。既にうちの隊が来たことで村山殿の兵は落ち着きを取り戻し、半数以上が彼と共に二郎サマの救援に向かった。黒坂勢は一気に半数以下まで数を減らしている。
「こうなれば狙うは大将首よ!!」
叫んだ黒坂景久に、数人の近習らしき兵がこちらに向かって突撃を仕掛けてきた。
生の殺気が強く感じられるが、自分の前には50近い兵がいて彼らが冷静に敵兵を受け止め、連携して討ち取っていく。
すると黒坂景久はこちらとは逆方向の山中へと身を翻し、斜面を一気に駆けあがり始めた。
初めから家臣を囮に逃げる心算だったらしい。叫んだのもはったりか。
「逃がすでない!首級をとった者は格別の褒美を与えるぞ!」
平井宮内卿の声に奥田七郎五郎ら数十名が斜面を追いかけ始める。予め七郎五郎には大将首を追うよう命じてある。彼とその近親者たちは行く手を阻む兵を討ちながら肉薄していく。坂道を走った距離でうちの兵が負けるはずはない。
周囲の兵が戦いの手を止めていた。もはや降伏した兵と黒坂景久を逃がす兵しか残っていないようだ。周囲の血で塗れた情景は、普段見慣れた自然の中にあるとこれほどまでに非日常的になるのかと思わされた。
吐くまではいかないものの、手術中の眠るような顔つきか痛みで歪んだ表情とは違う恨みや怒り、そして後悔を感じさせる死体の表情には手足を震わせる感覚があった。
俺が直接戦うことはなかった。しかしここにいる兵は事情があるとはいえ自分が殺すよう命じたのだ。心臓がウサギより速く拍動している気がする。戦場の音が聞こえていたのに、気付けば耳にそれらが入って来ない。
「新九郎様っ!」
宮内卿の声に現実に引き戻される。俯いていたのに声をかけられて気づく。乗り越えなければならない。俺は多くを救う為に今日戦で人を死なせた。殺したのだ。
でも止まっている余裕はない。止まっていることで犠牲は増えるのだ。顔を上げて戦場を見渡せば、魚住勢の弓矢が二郎サマを狙って放たれていた。まずい、このままでは相手の思う壺だ。
「七郎五郎を待つ部隊を置く!明智殿・関殿と共に我らは二郎様の救出に向かう!」
「ではわしが残りましょう。負傷した者中心で150ほど残していただければ山の警戒もできましょう。」
「宮内卿、お願いします!」
部隊をまとめて二郎サマの突撃していった方へ軍勢を向ける。きっと顔面はまだ蒼白だろう。でも行くのだ。そう決めたのだ。戦うと。自分の中のエゴと。このどうにもならない戦乱の時代と。
♢♢
土岐次郎頼純は盛んに兵を鼓舞していた。そこには兵への気遣いもあるが、何よりすぐそばに居ながら討ち取れない1人の男に対する焦燥感もあった。
「あの猪馬鹿の首はまだとれんのか!?」
「申し訳ありません。周りにいた兵はほぼ討ち取ったのですが……」
「くそ、無駄に本人の武は優秀か……!」
ここにいる大部分の兵は元々次郎頼純の兵ではない。今回率いているのは前の大野郡司である朝倉景高に従っていた兵だ。
彼らは景高罷免後に当主朝倉孝景に従ったものの、疑心暗鬼からこの和泉の戦で主家に忠義を示すよう命じられ、次郎頼純の部隊として参加させられていた。
そして、本来この兵を率いるべき初陣の副将は細かな舌打ちを周囲に響かせながら、戦況をじっと眺めている。
「式部大輔!其方何か良い策はないのか!?」
舌打ちが止まる。不快な音が止まったことに安堵する兵と、以前から慣れている兵が表情ではっきりわかる。前者は次郎頼純の兵、後者は景高の兵だ。
そして現在後者の兵はこの舌打ちの男、朝倉式部大輔景鏡に従っていた。
「そうは仰られましても、魚住様の弓ももう期待できませぬし、次郎様が御自分の兵であの若武者を討ち取りたいと仰ったわけで、我々も兵は出せませぬし。」
「うっ、そうなのだが……そうなのだが!まさかあそこまでとは。景久殿にこちらを任せるべきだったか。」
「あの御方がこちらであった場合、後方の村山隊を足止めすることはできませぬし。」
「くそ、ままならぬ!」
そこへ、再編した村山芸重の部隊が救援に駆け付けた。僅かな供周りで戦っていた二郎頼栄も、これにはほっとした様子で後ろに下がっていく。
魚住景栄隊も遠藤隊と小競り合いを始め、既に次郎頼純の部隊に対する支援は期待できない。
「どうやらここまでか。くそ、何とかあの猪馬鹿だけでも討ち取りたかった。」
「おや、もう兵を退くおつもりで。」
「余は猪馬鹿とは違う。初手で起こした混乱を利用して頼栄を討つつもりだったが、もうこうなっては無理だ。引き際は大事だぞ。元々こちらが不利な状況だ、負けは決まっておった。」
「はぁ。であればうちの兵で殿をしましょう。魚住様も既に退き始めておりますし。」
見れば、遠藤盛数の軍勢が隘路を抜けて魚住勢に肉薄していた。後方は既に兵を退き始めており、撤退戦が始まることになる。
「任せたぞ、余から上様に大野の兵の忠節偽りなしと伝える故な!」
「はぁ。それが何よりありがたいことです。」
式部大輔景鏡の声を聞いたかどうか分からない程の速さで次郎頼純は撤退を開始した。敵は体勢を立て直したのか、少しずつこちらに近づいている。
舌打ちを再開しつつ、逃げていく次郎頼純を見ながら式部大輔景鏡は呟く。
「全く、親爺も面倒なことをしてくれた。なんで息子が尻拭いに命かけねばならぬのか。」
先程以上にビートの早い舌打ちは周囲への不快さを強める。
「まぁいい。ここで多少血を流せば、次の大野郡司は継げるだろう。孝景様も負い目が出るはずだ。しっかりやれよ、お前ら。」
応、と応えた兵を見てにやりと笑うと、式部大輔景鏡は舌打ちを止めて村山芸重勢に突撃を命じた。
♢♢
村山芸重殿が前線を落ち着かせたことで二郎サマを討ち取れないと判断したらしい敵の動きは早かった。
早々に対岸にいた魚住景栄の本隊は撤退を開始し、遠藤盛数殿の兵数では追い縋るのも厳しく整然とした撤収を許した。
そしてこちらの主力がいた岸では、川と山の斜面が近い隘路で少数の敵兵がこちらの軍勢を押し留めていた。
掲げられた旗は先程までの土岐のものとは違う、三盛木瓜と呼ばれる朝倉氏の家紋である。朝倉の一族の誰かが隠れていたのか。しかし何故旗を出していなかった?
すると、傍まで来ていた明智光安殿が、敵の視認できた侍の顔ぶれを見て何かに気付いたらしい。
「あれは大野郡司の兵ですな。先日の稲葉山での戦でも見た兜がいくつかあります。とすれば今回の景高追放で主家に忠義を試されているのでしょう。」
「とすればあれは死兵か。」
「恐らく。死して己が忠義を示さんとしていると思われますぞ!」
厄介だ。彼らは死ぬまで戦う覚悟ができている。それは自分が持っている覚悟よりずっと強力だ。
「無理せず弓で離れたところから対処できないものですかね。」
「彼らを突破すれば背中を向けた首が多数ですからな。真っ先に功を稼ぐならば彼らを自らの手で討つのが最上なのです。」
その時、前を走っていた馬上の明智十兵衛光秀が矢を番え、引き絞った弓から放たれた一閃が相手の指揮官の左肩を貫いた。
たたらを踏んだ相手を見た二郎サマが、すかさず自ら先頭に出て相手を切り崩し始める。
本当に戦のセンスが高いなと感心している間に敵の殿は崩壊した。村山殿と共に追い討ちを始めた二郎サマを見ながら、終わったなと他人事のように思っていた。
兵の損害をまとめ、その応急処置などを進めていると、村人が降りてきて死体を漁り始めた。味方の遺体は出来る限り運ぼうと既に頑丈に作り直した大八車に乗せていたので、敵の兵の装備を彼らは剥ぎ取っていた。
そこに槍のみで武装した見るからに農民という一団がやって来た。後ろには奥田七郎五郎利直の姿もある。
こちらにはすぐに話しかけてこない。傍の小姓に彼らは話しかける。手には布に包まれた何か。
「戦の勝利、おめでとうございます。実は山中でこのような者の首をとりましたので、お納め頂きたいと思いまして。」
農民が広げた布の中にあったのは黒坂景久の首だった。思わず息をのむが、必死に吐くのだけはこらえた。耳の辺りに蹴られたような跡が見える。その表情は無念そのものだ。
「実に厄介でしたが、村の者2人犠牲になって討つことができました。走り続けたせいかフラフラだったのですが、それでも反撃してきたので苦労しました。」
「殿、間違いなく黒坂景久です。某が追いかけていたので間違いございませぬ。……無念です。」
「そ、そうか。……其方、よくやってくれた。後で褒美を集落に贈ろう。」
「いやぁ、助かります。何せ朝倉の乱暴者たちのせいで田畑も荒れてしまいましたからな。今後も宜しくお願いします。」
彼らは言うだけ言ってさっさと離れていった。笑顔で死体漁りをしていたメンバーに話しかけると、彼らから歓声が上がった。
定期的に戦に巻き込まれる農民の強さを感じると共に、彼らの血の気の多さこそこの戦乱を終えるための鍵だと強く感じた。
戦の世を終わらせるために人を殺す。ならば、その先でこの農民たちが、戦に関わることなく笑顔を浮かべられるような日ノ本という国を、造らなければならない。
朝倉景鏡も義龍と同年代だったりします。
ストックがなくなったので明日の更新は不透明です。休日なのでなるべく更新できるよう頑張ります。