第41話 風が吹けば桶屋が儲かる。川を浚渫すれば……
♢♢の部分は三人称です。
美濃国 稲葉山城
1539(天文8)年になり、明智彦太郎は無事十兵衛光秀となった。浅井は大人しくなり、朝倉は孝景と景高で争い、尾張は三河に目が向いて……平和だねぇ。美濃は雪が多い以外困ったことがない。それすらスコップと猫車で雪かきが楽になっているので例年より過ごしやすくなっている。川まで雪を運ぶのは水路と猫車の合わせ技だ。
一向宗も高田派が勢力を拡大し大人しくなりつつある。怒りの矛先は主に土岐ではなく高田派に向かうので巻き込まれることも少ない。
桑名商人も例の虫垂炎で手術した伝兵衛が助けてくれて販路は確保している。まぁ運んでいるのは六角の商人だし、長島の本願寺もそう簡単に手は出せない相手だ。よほど情勢が変わらない限り問題ないだろう。
膝に乗っている蝶姫と暖をとりながら幸とまったり囲碁を打つ。炬燵も欲しいな。蝶姫は天然ホッカイロ状態だが、やはり冬は炬燵でミカンだ。
「今、他の娘のこと、考えた。」
幸の鋭い攻め手が来た。今まではケイマで手堅く攻めて来たのに、今日は大ゲイマで大分切り込んできたな。
「蝶のことだよ。」
「ちょうはいごのことわかりませぬぞー。」
「打っているのは私。」
「それは悪う御座いました。」
あえて相手の石にツケて乱戦へ持ち込む。先を読みにくくし、守りつつも攻防を曖昧にしていきこちらの攻めの橋頭堡を作りに行く。
「こうやって乱戦にして誤魔化そうとする。若様の癖。」
バレテーラ。
♢
春が近づいている。浚渫した分雪解けの増水は抑えられている。今年に入ってから雪だけでなく雨も降って酷い天候だったものの、川が氾濫しない程度になんとか収まりそうだ。
町の整備と城の整備が終わったら本格的な堤防作りを考えるらしい。意見を出せと言われた。千本松原はそのうちやろうと思っていたけれど、先に稲葉山付近の堤でもやるべきかもしれない。堤防は固めるのが大事と教わったし。
幸とのんびりと白湯を飲みつつ和紙の収入増加分をどう使うか考えていた時、長島でそこそこ規模の大きい河川氾濫が起こったという報せが入ってきた。
♢♢
伊勢長島は本願寺にとって欠かせない重要な拠点である。周辺物流の大動脈である木曽三川の中州に作られ、攻めにくく守りやすいだけでなく物流を仕切ることで物資は途絶えず、多くの稼ぎをもたらすことで本願寺経営にとって重要な地になっていた。
現在本願寺を実質的に運営する光応寺蓮淳・顕証寺実淳親子もかつては長島の願証寺にいたし、現在の願証寺の3代住持である証恵は蓮淳の孫で実淳の甥である。2年前から一向宗高田派が美濃で拡大を始めて以来、上流の美濃での影響力低下に伊勢北部への高田派進出もあって輪中の拡大が当初より遅くなっていた。
そこに、大雨と雪解け水が合流することで増水した濁流が襲いかかったのである。最初は輪中以外の沿岸地域に水が流れ出したが、一部の堤作りが遅れていた輪中や尻無堤と呼ばれる下流側にある堤を作らない構造の輪中にも水が流れ込んだ。大部分の住民は助命壇と呼ばれる高台のある神社へ逃れて助かったものの、高台へ逃げるのが遅れた住民が水の冷たさで後に体調を悪化させたり、場合によっては死に至る例も出た。
更に、食糧の浸水で一部の輪中は生活が困難になり、願証寺経由で石山本願寺へ食糧支援を求めざるを得なくなった。輪中の拡張も当面の間中止され、全面を堤で囲う作業が進められることとなった。
「現世の試練は斯くも厳しきものか。氷が如き冷たき水は大の男でも足の指を失いかねないものであった。」
願証寺証恵は、そう後に記している。
♢♢
伊勢の輪中の中には死者も出たらしい。
「若様が川浚いをしていなければ、このあたりも危のうございましたね。」
報告を聞いた明智十兵衛光秀の言葉に、胸が痛んだ。
確かに稲葉山や土岐の領内の人々は今回の件で救われた側だ。しかしそれによって下流の人々に死者が出たのはよくない。失敗といったら救えた美濃の民に失礼だが、やりたいことが全部できたと手放しで喜べる結果ではない。
自分の目の届く範囲の人を救うためにどこかの誰かを犠牲にする。医師としての倫理について大学で習った時のことを思い出す。あの時は全員救える方法を次のために考えることで償いとする、なんて答えたんだったか。
ならば次のために考えておこう。やったことに責任を持つことを忘れないために。まだまだ自分は甘いのだ。
なんてしんみりと考えていたら、父左近大夫が供数人を引き連れ部屋に来た。
「でかしたぞ、新九郎。」
「何のことでしょうか?」
「惚けるな。まさか川浚いが長島の本願寺に対する攻め手にもなっていたとはな。」
「いえ、そんなつもりではなかったのです。」
「違うぞ、新九郎。そういうことにしておくのが大事なのだ。」
やっぱりマムシだこの人。ドン引きです。俺が反省と命への申し訳なさを痛感しているというのに。
「結果から行いと意味を導くのだ。これを利用して福勝寺をいよいよ高田派に乗り換えさせる。2年仕込んだものがいい味に仕上がっていたからのぅ。」
「民が苦しむのは嫌ですよ。」
「安心せい。其方のおかげでうまいこと最小限で済ませられそうだからの。」
美濃でもはや唯一となった本願寺派の福勝寺への工作を進めていた父は、どうやら何かこの出来事を利用してやる気らしい。言いたいことだけ言って父はさっさと部屋を出て行った。本当にブラックな上司そのものである。例え何回解脱できずに輪廻転生しようともああはなりたくない。
♢♢
尾張国 荷ノ上城・城外
織田弾正忠信秀は長島周辺の河川氾濫の情報からわずか4日で部隊を展開した。
目標は服部党が治める荷ノ上城。蟹江城の西にあり、本来ならば蟹江城より至近にある長島本願寺の援軍が来るため攻めるのが難しい輪中にある城だ。
では何故今ここを攻めるか。
「やはり報告は正しかったか。長島から兵が出て来れぬようだな。」
弾正忠信秀は左の口角を上げた。長島は川の氾濫で服部党の援護をしている余裕がない。そして川は今もある程度増水したままで、船で行き来する余裕もない。
隣の武将が話しかける。名を織田四郎次郎信実。信秀の弟である。
「兄者、佐治水軍の船が着いたぞ。海からなら侵入できるそうだ。」
「よし、一気に荷ノ上を落とす。服部左京進を討ち取った者は褒美をとらすぞ!」
「「おおーっ!!」」
船着き場が川岸にあり増水で使えない服部党に対し、弾正忠の軍勢は佐治水軍による海上からの支援で輪中へ進軍した。一気の大規模攻勢で荷ノ上は孤立し、6日ほど経って川の水が落ち着きを見せた頃には荷ノ上の南に位置する鯏浦に織田方の陣地が完成していた。長島は自分たちの食糧すらままならず、一か月間の織田による荷ノ上への攻勢をただただ見ていることしかできなかった。
春の陽気が日本を包み始めた頃、服部左京進は僅かな徒党と共に長島へ脱出した。荷ノ上城は焼き尽くされ、鯏浦には新しく城が造られた。織田四郎次郎信実が鯏浦城主として入り、長島は目と鼻の先に難敵を抱えることになった。
♢♢
荷ノ上城陥落の報から一週間後、福勝寺の住持が地侍に殺された。住持の息子は即座に高田派の寺院に連絡し高田派へ所属を変えた。
福勝寺周辺の地侍は次に戦になっても今の長島本願寺では援助が来ないと悟り、住持の息子と話し合った末に決断したらしい。最初住持の息子は父親を押し込めるだけのつもりだったらしいが、強硬な住持に地侍が怒って斬ってしまったようだ。地侍は伊勢方面に逃げたそうだ。
父の仕込みがどこからどこまでかはわからない。ただ、自分がやったことが巡り巡ってこういう変化を引き起こすことに、今更ながら恐怖を感じる出来事だった。
先々まで予測しながら策を練らないといわゆるバタフライ・エフェクトで却って酷いことが起こる。大胆さと慎重さを共に忘れないようにしないといけないと改めて感じた。
浚渫を始めて3年になったため、史実の災害への影響が出ています。
美濃は水の許容量が増えた分、長島は史実より状況が悪化している関係からこのような結果となっております。
そして織田信秀にとっては経済面の好転と長島の苦境が良い方向に動きつつあります。