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第4話 マムシの親と家訓

 

 美濃国 稲葉山城


 鍛錬といっても年齢的に体は未成熟で(とはいっても体感で125㎝くらいある。母が大きいから遺伝で大柄なのかもしれない)、体を動かすのに慣れるための動きがメインだった。なので思い出したラジオ体操や高齢者のリハビリでよくやる体操をやるようにしていた。

 それを見た指南役の堀田正兼殿が真似をして、わずかな間に気づいたら家中に広まっていた。掛け声まで広まり、夜明けの稲葉山や城下の井ノ口で1,2,3,4の声が響くようになった。


「いい具合に体が温まりますな。全身が目覚めるようです。」

「うむ、悪くない。何より孫と一緒にやるというのがいい。」


 そして、毎朝の体操を一緒にやるようになったのは家臣たちだけではなく、祖父の長井正利もやるようになった。3月に重病をわずらって隠居したので激しい運動はできないそうだ。


「体を壊して隠居してからやることがなかったが、この程度ならむしろ外に出る理由にもなるしの。」

「お爺様は元々妙覚寺の御坊様だったと日顒にちぎょう様から伺いましたが。」

「坊主やるには根が悪すぎて御仏に匙を投げられてな。油売りをしたがその芸を武士にバカにされたので、武芸で見返そうと槍を磨いたんじゃが、肝心なその武士が戦で死んだのでそいつより偉い武士になろうと思ったんじゃよ。」


 そんな理由で乱世のマムシ一族は生まれたのか。


「豊太丸も覚えておけ。そなたには武士の教育はしているが、武士の作法と考え方は身につけても己を武士と思うな。所詮油売りまで身を落とした武家の生まれよ。使えるものは何でも使え。命危うくば逃げよ。面目も名誉も必要なら捨てよ。選択する時はより多くの利があるものを選べ。ただし場当たり的に動けばいつか致命的な失敗をするからな。」


 ま、幼いお前では覚えていられんかもしれんがな。と呟いて祖父は笑ったが、話している最中の眼は野獣のような鋭さを放っていた。

 なんとなく、この親子が出世してきた理由がわかった気がした。とにかく生き延びて何でも利用する。でも目先だけのためには動かない。


 よく考えれば父の左近大夫規秀は(自分の記憶の限り)主君を裏切ったことはほぼない。土岐左京大夫頼芸を最後の最後、自分が国主になれるタイミングで追放しただけだ。それこそが利の選択なのか。自分にはできそうもない。


 ♢


 年末に入った頃、二、三日寝込んだ祖父はあっさりと死んでしまった。常在寺の医師を呼ぼうかなんて話をし始めたところだった。家中は隠居していたこともあって動揺はほぼなかったけれど、個人的にはショックだった。

 この時代の人間はあっさり死ぬことを改めて思い知らされた。もう一度人生を一からやり直せることと、史実ではあと25年以上生きられることにタカをくくっていたともいえる。

 周りで死ぬ人は当然出てくるし、自分の知っている歴史通りになるとも限らない。少し考えればわかることじゃないか。この時代に来てしまった時点でもう歴史が同じではないとも言える。

 国譲りだってどうやって成功させるか全く考えていないのにも同時に気づいた。このまま惰性で進めば父は周り中を敵に回すだけだろう。どうすればいいか、まだ表舞台に出る前の今のうちに考えておかないといけない。焦るな。時間はあるはずだ。



 色々考え直すべきことに気づいた中で葬式が行われ、一族みんな49日の間喪に服して死を悼んだ。父は中間と呼ばれる小間使いを使って各地に文を出していた。こんな時でも休めないとはやはり城主や大名はブラックだと思った。


 そして、年が明け喪が明ける前日に、稲葉山城に急報が入った。


 土岐氏の重臣、長井景弘が急死したのである。

次は17時頃を予定しております。

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