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第39話 モーニッケの偉大さとリア充の恨めしさ

 美濃国 稲葉山城


 畿内が戦乱に巻き込まれると人々は家を失い、治安が悪化し、不衛生な生活環境の人間が増える。

 彼らの間で疫病えきびょうが流行ると、それは京の都全体のパンデミックに繋がる。


「というわけで、法華宗を追い出した際の火災の影響で、都では痘瘡とうそうが流行し始めているそうです。」


 都を追い出された側の法華宗(日蓮宗)の僧であり、情報を教えに来てくれた日顒にちぎょう様は、御仏がお怒りなのです、としたり顔だ。


「しかし、それが畿内各地にまで広がっては困ります。」

「左様ですな。既に摂津の一部や大津でも痘瘡の病者びょうじゃ(患者のこと)が出ているとか。」


 となると痘瘡こと天然痘対策が必要になるか。数年かけて準備していたあれが完成することだし、今年はこれを頑張るしかない。



 さて、春の間から牛の調達を開始した結果、夏には農業用に使われていた年老いた牛がそれなりの数揃うことになった。これに、可哀想ではあったが兎の実験体たちからあるものを移植する。繁殖用とは別にこのために用意していた兎である。


 この兎には手に入れた天然痘が打たれている。そして兎の腎臓細胞でできる低温順化ていおんじゅんかされた天然痘を牛の睾丸こうがんに打つのだ。これで雑菌を除去したワクチンの完成である。

 低温順化された天然痘ウイルスは人間の体温37度前後に非常に弱く、健康な人間なら問題なく治癒し抗体が作れる。更に、野口英世先生による牛の睾丸での雑菌除去法を使うことで更に確実性を高めていくのだ。


「こんなものでまことに安全に痘瘡が治るのですか?」

「治らないよ。これは牛がかかった弱い痘瘡で、その弱い痘瘡に新七が罹ってもらうのさ。」

「えっ!で、ではこれは牛に対する祟りなのですか!」

「祟りじゃないよ。痘瘡も病の1つでしかない。だから治癒できるんだ。」

「……新九郎様でない方が言ったなら信じなかったですよ。」

「気持ちはわかるよ。」


 苦笑しつつグリセリンで固めた天然痘ワクチンを二又針につけていく。二又針は大分前に手術道具と共に作ってある。呪い扱いの天然痘だが、昔から世界中で呪いや祟り扱いされてきた病気なのは事実だ。

 グリセリンは一部の高級石鹸作りの過程で塩析させたものだ。固めるのにグリセリンは邪魔になるので、固形の方が評判が良い高級品はグリセリンをある程度抜いているのだ。で、グリセリンはワクチン保存と雑菌増殖の防止に欠かせない。

 フェノールを作れるようになったらこれも添加したいところだ。コールタール関係の設備にはまだ手が足りていない。


「で、本当に良いんだな、新七。」

「はい、覚悟はできております。それに、この命新九郎様に捧げると覚悟しておりますので。」


 元々、この弱毒化した天然痘ワクチンによる抗体獲得は自分を最初の検体にする予定だった。低温順化されたものは人体の場合その体温でほぼ確実に治せる。それでいて治癒することで天然痘への抗体が獲得できるから画期的なのだ。

 史実で開発された頃にはインドでも撲滅が近づいていたので活躍の場がなかったが、現在はアメリカの保存ワクチンより質が良いとして注目されている。国内の緊急時の備蓄ワクチンは全部これだった。


 しかし、この方法について父に話すと、真っ先に自分を検体とすることに反対された。


「いくら方法が間違いないと其方が思っていても、万が一があればあまりにも影響が大きい。最初は家臣か捕虜などで試すのが当然だ。」


 で、自分から病に罹ろうという人間などいないだろうと思っていたら、新七と豊が名乗り出たということになる。

 幸は豊と前に教えたじゃんけんで勝負して負けたらしい。

 3人は俺のためなら死んでも良いという。重い。命は重いものだ。薬を一から作ること・治療法を一から確立させることの重さを感じる。


 新七にはさっくりと左腕にワクチンを打ち、3週間休みを与えた。直角に、皮膚がへこむくらい刺してワクチンを投与する。わずかに血が滲んだら成功だ。

 新七にも1週間の概念がなかったため何故21日なのかと聞かれたが、ラッキーセブンの考えもないし七曜なんて知らないと言われたので治るのがその位の日数だからということにした。幼順染と過ごせると新七ははしゃいでいた。リア充め。伝えた通り安静にしていろよ。


 豊は幸が屋敷で面倒を見ることになった。というのも経過観察のサンプルとして1人は欲しかったからだ。帰れずすまないと伝えると、


「いえ、新九郎様のおそばの方が安心しますから。」


 なんて言われてしまった。そりゃ医者で好意がある俺のそばの方が良いよね。何故新七は医者のそばから嬉々として帰ったのか。今となっては不思議である。


 豊のワクチンを打つ場所は左腕の脇あたり、目立ちにくい場所にした。女の子だと万一大きな痕が残ったら可哀想だし、そのあたりは細心の注意を払った。自室でワクチンを打つ時に服をはだけた豊に少しドキっとさせられた。そういえば満年齢なら11歳、第二次性徴が女性だと始まっているのか。後ろ向きでも背中の曲線と僅かに見えたうなじに顔が火照った。いかんいかん、俺は医者豊は患者俺は医者豊は患者。しかも前世37だったんだからこれではロリコンだ。幸の時といい前世でこういう感覚になることはなかったのに……。肉体に精神が引っ張られている?落ち着け落ち着け。肌の弾力が新七と違うとか考えるな。


 結局、ワクチンを打ってから逃げるようにその場を立ち去った。

 経過観察でもまともに顔が見られなかった。


 豊は15日ほどでほぼ完治して幸とバトンタッチした。痕もほぼ残らず、白いかさぶたが紅班を経て茶色に変色し熱もひいた。

 幸はいきなり向かい合って座った状態になって服を脱いだため、微かな胸のふくらみが思い切り視界に入り一気に頭に血が上った。慌てて視界を逸らして首を痛めそうになった。きょとんとしている幸を見て、なんで患者の方が医師より動揺してないんだ俺が襲わないへたれに見えるのかと問い詰めたくなった。襲わないけれど。


 幸も15日ほどで体調が元に戻り、新七も21日できちんと帰ってきた。成果を元に家中でローテーションを組んで低温順化ワクチンを広めることにした。

 最後に自分と妊娠していないことを確認した父の女性陣でワクチンを打ち、家中が終わった。症状が出ている最中は早死に予定のこの体が耐えられるかと不安になった時もあったものの、幸と豊が甘やかすように世話をしてくれたのでなんとかなった。頼んだら膝枕もしてくれた。豊の方が僅かに柔らかかった。でもどちらも天国でした。2人もいつもより楽しそうだった。甲斐甲斐しいので大なり小なり好意を持ってくれているのはわかるんだけれど、ね。


 ♢


 家中が終わった後は管理する領地にも順番でワクチンを打っていくことにした。

 男手が減らないよう農繁期を避けつつ二月ほどかけて進めたが、新七の幼順染が順番にいないので彼女の母親に尋ねると、


「実は一緒に居すぎて新七のがうつりまして……。」


 なんとなくではあるが怪しすぎたので新七を問い詰めた。すると、


「申し訳ありません。治ったと思って、その、口吸いなど少し……。ちょっとだけ……色々、その……」


 くそ!リア充なんて全滅してしまえ!

タイトルはモーニッケですが、実際やっていることは牛痘ではないです。ただ、種痘という方法を日本が手に入れたことへの敬意から入れさせていただきました。


(記事通りの方法があるとしたら教えていただければ幸いです→感想欄で該当と思われるものについて教えて頂きましたので削除しました。)

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