第38話 それのあるなしで変わるもので
美濃国 稲葉山城
斎藤の家から浅井領へ兵を派遣せずに済んだため、父はかねてから計画していた稲葉山城の改修を始めた。
作業には浚渫用に作った猫車が動員されたが、道具として明らかに足りていない物があった。
掘る道具だ。とにかく致命的に数も足りていないし種類もない。
掬鋤という名前でスコップがあるらしいが、これが直線的なデザインで掘るにはやや不便だ。
しかも硬い地盤や岩盤に対する道具も片鶴嘴という名のツルハシが少量あるだけだ。この程度の量でどうやって土木工事が進むというのか。強度もイマイチだし。
というわけで大量発注をしようとしたが、受けてくれる職人が少ない。どうやらスコップもツルハシも農耕用の道具(つまり野鍛冶と呼ばれる人たちの仕事)だと考えているらしい。刀鍛冶や鎧鍛冶は見向きもしてくれなかったというので、スコップの刃先の部分を鋭利にし、曲線をつけて戦場の道具として刀鍛冶にも一部作ってもらった。
それでも協力してくれたのは片手で数えるほどのものだった。スコップの先端は鋭利だと戦場で使える、は軍オタだった高校時代の友人(その後、某リズムゲーム的なアイドルのスコップ持つ娘に御執心だった)のおかげで覚えていたネタだ。逆に言えばスコップネタ以外にこの時代に有益な記憶はなかった。戦車も戦闘機も爆撃機もこの時代にはないんだ。
「父上、鍛冶が足りません。他国から雇ったりすることは出来ませんか。」
「鍛冶か……。ふむ、なんとかなるかもしれんぞ。」
「どこかに伝手でもあるのですか?」
「違う。これから伝手を作るのだ。」
何言ってるのこの人。ついに働きすぎて脳の言語野の1つブローカ野あたりがおかしくなったのか。
「まぁ、任せておけ。最近は金回りが良くなっているのでな。」
石鹸の販売は堺含む畿内向けで順調。東海道でもそこそこ数が出るようになってきている。和紙の方も少し値下げして今まで以上に畿内向けが売れているそうだ。本来なら公家も公用では越前和紙を使うところ、先日の法華宗と比叡山の争いによる火事で生活がますます苦しくなってしまい、安くなった美濃和紙を使う人が増えているそうだ。
♢
浅井と六角の間で話し合いが始まった。小谷城の麓まで六角軍が迫ったため、浅井の側からギブアップした形らしい。京極の当主をどちらにするか京極高明と高慶が話し合っているらしいが、高慶の背後には六角が大軍で威嚇している形だ。ほぼほぼ間違いなく高慶が後継者として上平寺城などを相続するだろう。
で、父は太守頼芸様と相談して今回の六角から貰う報酬に、国友村の鍛治師への紹介状を浅井・京極・六角の三方から得るという項目をまず入れたらしい。国友周辺は今回の戦でかなり荒れた。付近では逃散した農民もいて、仕事にならないとそれなりの数の鍛治師が関周辺に移住して来るようだ。国友は本願寺派の影響が大きい地域だが、今回は本願寺派以外の宗徒が主で移住してくるそうだ。今後は移住する場合高田派への改宗を条件にしないといけないかもしれない。
それ以外の内容は現在話し合い中らしい。朝倉もそうそう簡単に正統と認められないところがあるようだ。交渉が難しいのは仕方ないか。
太守頼芸様からは先だっての歯ぎしり御曹司の不手際を内々に収めた報酬として、表向きは関の鍛治をより発展させるためとしてこれを進めてもらった。名目上家中誰でも仕事を頼めるが、新参にも仕事を頼まないといけない程鍛治師が不足しているのはうちだけだ。事実上うちの独占だろう。馴染み以外に頼むのを普通は躊躇うものだ。
「国友鍛冶の一人、大崎兵衛四郎と申します。此度のお声掛けに移らせていただく鍛冶を代表し、御礼申し上げます。」
屋敷に挨拶にやって来たのは浅黒く焼けた男だった。見える指先は普通の男性より二回りは大きく、所々火傷の痕が見える職人の手だった。太守頼芸様に一番のお得意様になるだろうから挨拶してこいと言われたそうだ。
「頼もしいな。何か作ってもらう時は主にこの新九郎が頼みにそちらに行くことになる。期待しているぞ。」
「ははっ、国友の技で若様のお望み、叶えて見せましょう。」
よし、言ったな。鍛冶は良く分からないから全力で無茶振りするから覚悟しておけよ。
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城下の町にも今回は手を加えることになった。焼けた一部の神社の管理などから統廃合も行われ、城下町における街路がある程度規則的に整備されることになる。
石鹸や紙の関係で枝村や桑名の商人が支店を増やすらしく、以前より町は活気が生まれることになりそうだ。大桑の城下で焼け出された人も一部こちらに来る予定だ。
本当は街路はローマみたいに石の道路にした方がいいと思うが、歴史の授業で写真を見ただけではやり方もわからないので特に何もできなかった。
その分長良川の浚渫で出た石を利用して、町の整備は予定より早く進むそうだ。ツルハシとスコップも大いに役に立った。
♢
紙漉きと石鹸が順調なのはいいものの、定期的に彼らは「洗濯休み」なる休暇をとる。理由は洗濯が一日仕事なので、服を洗うために1日を使うというものだ。
これは問題だ。休暇がではない。せっかくの有給休暇を洗濯で潰してしまうことだ。
というわけで洗濯板を作った。昔の道具については小学生の時に勉強したが(じゃないと不織布の時の火熨斗も思いつかなかっただろう。記憶チート万歳)、使えるものは多い。小学校の勉強もバカにできないものである。
「これと共に特別に薄荷油の入っていない石鹸を休暇ごとに与えるので、洗濯を早めに済ませてきちんとした休みをとるように。」
「えっと……でもせっかく洗濯が楽になるならその分働いた方がいいのでは?」
おのれ憎むべき週休の概念なき中世。いや、そもそも一週間という単位が人々の中に存在しないのが問題なのではないか。しかし月の満ち欠けで生活する太陰暦だと一週間に代わる概念がない。
苦肉の策として朝廷や貴族が使っているという七曜を復活させて一週間を単位とし、石鹸と紙の職人は日曜に休むようにさせた。紙は特に原料の楮に限りがあるので、無理して働く必要がないのだ。ナギナタビーターはやはり優秀だ。
休みの日の職人は見世棚で買い物をしたり、家で家族と過ごすよう命令としてまずは徹底させた。休むという行為を強制的にさせてみないとダメとは、本当に戦国時代はブラック極まりない。
結果として、石鹸職人たちは休みの日に嫁さがしを始めたらしい。最近は石鹸職人といえば城で働く給料がしっかりもらえる人気の結婚相手である。元住んでいた農村に帰るとちやほやされるらしく、これからも仕事を頑張ると気合いを入れ直して次の日からの仕事に精を出していた。やや遠方から来た面々も年末を楽しみにしているようだ。
いいぞいいぞ。きちんと飯が食える人間が増えれば衛生に気をつける人間も増える。金が回るほど生活が豊かになり、それが病を遠ざけるのだ。
富のあるなしは寿命に直結する。長生きできる土壌は少しずつ出来てきている。
国友が少しずつ史実と違う道を歩き始めております。軍事関係で改良されるものは基本少ないと思います。浅井・朝倉は少しずつ史実より苦しくなっています。
夜は仕事ないから言うほどブラックじゃないという意見もあるでしょうが、休みの日ってやっぱり大事だと思うんですよ。天候がかなり大きな影響を及ぼすので休める日もあったでしょうが、前々から休めると思って迎える休みがあるって素晴らしいですよね。