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第36話 反骨の亮政

全編三人称、浅井家の話になります。


若干地図を修正しております。参考になれば幸いです。

挿絵(By みてみん)

 近江国 小谷城


 浅井の評定の間では重苦しい雰囲気が漂っていた。


「鳥羽上城は京極高慶(たかよし)の軍勢に攻め込まれ、苦しい状況になっております。」

「城に入った荒尾殿はまだ戦えると申しておりますが……。」


 浅井の家臣たちは眉間にしわを寄せながら、絞り出すように報告をしていく。浅井亮政は、目を閉じて報告をじっくりと味わうように受け止める。


「厳しいか。」

「左様に。」


 軽く天井を見上げながら、亮政は頭の中で思案する。


「朝倉の援軍は?」

「兵糧は送って来ましたが……やはり公方様と決定的に対立するのは避けたいようで。」

「で、あろうな。」

「和睦のために公方様に文を出している故、今は耐えてほしいと。」

「はっ、その和睦、誰のための和睦であろうな。」


 自嘲じちょうするように薄笑いする亮政は確信している。朝倉孝景はここで和睦をまとめて朝倉の価値を高めたいのだ。朝倉は長い間浅井を、亮政を助けてくれている。だがその本質は義侠心ぎきょうしんでも親切心でもなく、自己保身からのものだ。朝倉にとって浅井は六角と国境を接しないための盾でしかない。


「それでも、他に頼れるものもなし、か。」

「……如何なさいますか?」

「荒尾には適当なところで城を捨てて逃げろと伝えよ。端城はじろ1つのために勇将の命を落としたくない。」

「ははっ!」

「各々軽挙は慎むように。この戦は次のための負け戦。名を惜しむな、命を惜しめ。」

「「ははっ!」」


 そう告げると、亮政は評定の間を後にした。


 ♢


 小谷城の中でも少し風変わりな華美さを持つ一角に亮政はやってきた。北向かいの出丸で次期当主となる猿夜叉さるやしゃ―元服して浅井左兵衛尉久政が住むくるわである。

 亮政は奥まった一室のふすまの前に立つと、大きくはないが響く声で室内に呼びかける。


「久政殿、わしじゃ。中に入るぞ。」


 襖を開けた時、部屋の主はあかり障子を開けて付書院つけしょいんで書物を読んでいた。床に全て畳が張られた書院造の一室は、小谷城にはこの部屋を含めても3部屋しかない。

 慌てて姿勢をただし亮政に頭を下げようとする久政に、亮政は手でそれを制しながらにこやかに室内に入っていく。


「そのままそのまま。久政殿はまこと勉強熱心で良いことじゃ。」

義父上ちちうえ様、私はそんな……。」

「いやいや、武士と言えど猪武者になっては困る。特に其方は浅井の次期当主!まつりごとに長じなければ家中を治められぬからな。」


 頼もしいことよ、と呟く亮政に、久政は少し困ったような表情をしつつも口元を緩める。


「お役に立てるように、頑張ります。」

「うむうむ、期待しているぞ。しかしそれに比べて六角には困ったものよ。」

「今、かなり攻め込まれていると聞きましたが。」

「もうすぐこの城まで来るであろう。高清様は京極の後継者を確かに高広様に指名したというに……。」


 亮政はやれやれといった風でやや大げさなため息をつく。


「それに、ゆくゆくは甥が継ぐはずの北近江を何故荒らすのか。わしが死ねばこの地は其方のものだというのに。今年は民のためにも徳政を出さねばならなくなりそうだ……。」

「…………」

「まるで其方が力をつけて六角の家を乗っ取るのを恐れているようじゃ。」

「わ、私は、浅井の当主になるつもりです!」


 語気を強めた久政に、亮政は小さく口の端を上げる。


「そう。其方は浅井の棟梁とうりょうになる男だ。なのに六角は元同族が棟梁となる家を信用していない。義久殿も助けてはくれない。其方は信用されていないのだ。」

「わ、私は……。」

「大丈夫だ。私は信頼している。その知識があれば必ずや浅井を強くできる。」

「…………」

「京極も上平寺城に籠ってこちらに援軍は出してこない。あれも味方ではない。」

「京極も……敵……」

「そうだ。」

「六角も……敵……」

「そうだ。」

「私は……浅井、左兵衛尉、久政。」


 久政の瞳は、くらい決意に満ちていた。


 ♢


 部屋を出た亮政に、1人の女性が声をかけた。


「あまりうちの子を操らないで頂きたいですわ。」

「失礼な。妖術は使えんぞ。あれが、自分で、そう決めるのだ。」


 浅井千代鶴(ちよつる)。亮政の姉にあたる人物で、久政の実母だ。六角から久政が養子に入るのに合わせて小谷城の北向殿きたむきどのに共に移り住んできた。


「良く言うわ。本当六角が嫌いなのですね。」

「違うな。浅井の地を荒らす者が嫌いなのだ。故に京極も六角も武田も土岐も嫌いだ。」

「朝倉は?」

「お互いがお互いを使える同盟は理想的だと思わぬか?」

「一代で成り上がるって大変ですわね。人としてゆがむわ。」

「美濃のあの男ほど歪んではおらぬわ。」

「あの男?太守の土岐……なんとか様?跡継ぎがとんでもない猪武者だって聞きましたけれど。」

「違う。美濃の毒蛇よ。」


 怪訝な顔で亮政を見る千代鶴に対し、亮政は平坦な声で言う。


「覚えておけ。あれは守護代などで収まろうとする性質の男ではない。斎藤左近大夫利政、奴だけは信用してはならぬ。」

久政は今後位置関係的によく関わることになりますが、定説より俗説(養子説)の方が話が作りやすかったので本作ではそちらを採用しています。ご理解いただければと思います。

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