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第35話 下剋上とは

 美濃国 稲葉山城


 夏も盛りだが、評定には出られないので家で美濃和紙の団扇を仰ぐ日々だ。

 父と叔父が帰ってくると平井宮内卿と4人で話し合いとなるが、それまではあまりやることがない。

 最近は父の傍にいるより稲葉山にいることが多くなった川村図書(ずしょ)と書類仕事をしたり、小姓と鍛錬したりして過ごしている。算盤がこの時代なかったのが意外だった。豊のためにと作ったら勘定や金銭の管理をしている家臣に使い方を聞かれ、結局10個ほど用意させられた。謹慎中だからと扱き使われたようで釈然としなかった。


 家の中でできることとして、兎の飼育を始めた。野良の兎を住居とは別に専用のスペースを作って育てている。

 兎は発情期に一気に繁殖する。ひとまずは雌雄同じスペースで育てて数を増やす予定だ。

 兎は様々なワクチン作りに欠かせない。犠牲にしなければならないことは申し訳なく思うが、人間の命ほど重要ではない。それにいくつかの病気への対応ができるようになれば兎にもメリットが出てくる。

 その代わりこの兎で医学の発展のため犠牲になった兎のための兎塚を町の外に作る予定だ。犠牲は無駄にしないし供養は毎年御坊様を呼んで行うことにしたい。


 ♢


 悪い顔をした叔父さんに連れられ、いつもの4人で話し合いへ。


「六角の援軍が派遣された。1500を揃えて不破関を越え、上平寺じょうへいじ城周辺で牽制役だ。」

「直接戦うことはない形ですか。」

「上平寺は京極の城だ。故に戦後京極高慶(たかよし)が使うことになるだろうからな。荒らさずあくまで敵兵を引き付ける役だ。」

「で、率いるのは何方様で御座いますか?」

鷲巣わしず六郎様だ。最初は二郎様の初陣なので二郎様大将という話も出たが、反対しておいたわ。」

「兄上だけでなく、傅役もりやくの村山越後守も反対していましたからな。」


挿絵(By みてみん)


 いよいよ歯ぎしり御曹司土岐二郎頼栄(よりひで)サマも初陣らしい。跡継ぎ候補最有力なので初陣で大将というのもよくある話だが、傅役の村山越後守芸重(のりしげ)殿も不安と見て反対したらしい。

 で、当主の子を差し置いて大将をできる格なのは太守様の弟である鷲巣・揖斐いび殿くらいだったのだろう。揖斐殿は俺と同じ理由で私闘への参加による謹慎中なので鷲巣六郎光敦(みつのり)殿にお鉢が回ったわけだ。


「浅井は相当苦しいようですな。3月に開戦し佐和山さわやま城・鎌刃かまは城を立て続けに失った。今は六角勢7000が各地に展開していながら、動員した4500が分散されていて身動きがとれない。」


 六角は京極高慶を旗頭に3月に南北近江の境である佐和山城を7000で攻めた。浅井亮政は4500を動員したが、効果的な守りをできず5月に佐和山城は六角の手に落ち、以降は組織的に守れずに鎌刃城を失い、今は小谷城の南西まで六角軍の先鋒上坂定信(こうざかさだのぶ)がやってきているらしい。鳥羽上とばうえ城も京極高慶に包囲され、上平寺城は鷲巣殿の軍勢によって封じられた。


「叔父上、このまま浅井は滅びるのでしょうか。」

「それはないな。六角とて浅井を滅ぼそうとはしておらぬ。」


 ん?どういうことだ?


「新九郎様、浅井が滅べば六角はどこと接するようになりますかな?」

「えっと、美濃の土岐、若狭の武田、越前の朝倉ですね。あぁ、なるほど。」


 朝倉と国境を接するのが嫌なのだろう。そこと揉めるとお互い総力で戦わないといけなくなる。

 土岐とは婚姻関係だからいいが、六角と朝倉はあくまで幕府の臣として協力することがあるだけだ。


「同じことは朝倉にも言える。故に朝倉から和睦の仲介をしたいと公方様に使者が参ったとわしの耳役から連絡が来た。」


 つまり、京極や浅井は大国同士の緩衝材なわけだ。抵抗しない程度に痛めつければそれで良し、と。やはりそういうことを続けているから戦乱も終わらず、人が多く死ぬのだろう。乱世が続くほどそういう犠牲者が増えるのだ。


 ♢


 夏が終わり、そろそろ収穫かという時期、謹慎が終わるまであと1月といったところで、尾張から2つの急報が知らされた。


「織田弾正忠、那古野なごや城の今川氏豊を奇襲し那古野城を奪ったとのこと!」

「松平信定が岡崎城内で倒れたとのこと!」


 織田弾正忠信秀がついに動き出した。

 今川氏豊の居城那古野城(きっと前世の名古屋城だろう)を奪ったことで、弾正忠家は一気に勢力を拡大するだろう。本家筋にあたる織田大和守家、更には尾張守護斯波氏をも上回る力を。直接矛を交えることなくとも、これは間違いなく下剋上への動きだ。


 今川も当主が変わったばかりで奪還の兵力を出す余裕はない。何より三河松平の家中で争いが起こっている。尾張まで手を伸ばすのは厳しい。


 三河の争いのキーマン松平信定が倒れたことで更に事態は混迷するはずだ。彼は兄であった松平清康が暗殺された後、岡崎城を奪い下剋上をした人物だ。だが織田弾正忠ほど鮮やかな手際ではなかったために家中統一はできず、そして今病に倒れた。


 下剋上も周到な準備が必要だ。大胆なだけではうまくいかないのがわかる。元々の父の下剋上は周到に準備していたはずだ。それでも権威が足りずか土岐の権威が残っていたかわからないが失敗した。今世の父はうまく下剋上するのだろうか。それとも先日の意見でやり方を変えるのか。


 どちらにせよ、自分から動かないと良い方向には変わらないはずだ。謹慎が解けてからが勝負だろう。今の土岐でも今の斎藤でも血が流れるなら、別の何かを自分で作りださなければならない。

現代の海岸線をなんとか当時に近づけようと修正していますが、なかなか難しい……文字がみにくいなどあれば感想に書いていただければ次回以降に生かします。

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