第34話 親子
♢♢の後は三人称になっております。
父の向けた刃が首筋をわずかに這う。
「……動揺せぬな。童でも通ずる歳では不自然ぞ。」
父が僅かに口角を上げる。
「今すぐ殺す気はないと思っております故。」
「ほう。わしが息子相手なら躊躇うとでも?」
「まさか。父上が私を殺さないのは、何故この結論に私が至ったかわからぬからですよ。」
そう。父は実に合理的な人間だ。頭のなかに冷徹な天秤を持っていて、常に損得利害を天秤で量っている。
そんな父にとって、太守様に下剋上をして国主になろうとしていると知られた、知られる材料があるというのは問題がある。
実の息子とはいえそれに気づいたなら他の誰かが気づかない保証がない。だから何故気づいたかは知りたいはずなのだ。
「それを知らないと父上は太守様にとって代わるには不安が出てくる。だから話している今は殺そうとしないはずです。」
「……賢しらだな。だが悪くない。わしの息子だけはある。」
刃が自分から離れた。とはいえ鞘には納められず、常にこちらを襲える形を父は保っている。
「で、そう答えたからには理由を説明した上でわしに殺されぬようできるのだろうな。」
「最終的な判断は父上ですが。」
「その物言い、昔のわしに似ておるな。」
くっくっと笑いつつ、視線だけはこちらから離れない。
「病で倒れてから其方は別人のようになった。深芳野は大らか故そこまで気にしていないが、道利もわしもわかっていた。父もわかっていた。だが本質は変ではないと言っていた。」
祖父正利も気づいていたらしい。いや、母上は寛容すぎないかね。
「それに其方のもたらした物は決して悪くない。むしろ最近はそれが斎藤の家の力となっている。其方が何者であれ、それが利用できればそれで良かった。いざ問題を起こせば斬れば良いと思っていたしな。」
好きにさせてくれたのはそういう意図があったのか。
「だが、土岐を食うつもりなのはまだ誰も知らぬ。道利にすらまだ話しておらぬ。……何故知り得た?妖術か?」
「いえ。そのようなものは使えませぬ。」
「ならば何故分かった?まだ仕込みは殆ど始めておらんぞ。道利すら守護代として美濃を牛耳るためと思っておる。」
ここが正念場の1つだ。どこまで信用されるか。
「あの病で倒れた時、夢を見ました。」
「……続けよ。」
「夢で父上は太守様を追放して美濃国主になっていました。しかし、国人の反発が強く、結果として最後はその裏切りにあって討たれていました。」
「夢……夢か……。夢の中で誰かに会ったか?」
「五十瓊敷入彦命、と名乗っておいででした。」
「伊奈波の御祭神、か。」
この時代、信心深さから夢は侮ってはいけないものだ。父も祖父が寺育ちのため寺社には多少遠慮がある。そして五十瓊敷入彦命は垂仁天皇の皇子として伝わっている御方だ。稲葉山でも最大級の神社である伊奈波神社の祭神でもあり、奥州を武で平定するも陸奥守豊益の讒言によってここ稲葉山で朝敵として討たれた人物だ。
「武をもって征してもより大きな武に敗れる、とでも言いたいのか。公方様か、六角か、朝倉か。それらが協力するか。」
「さぁ。ただ、今の父上のやり方そのままではダメでしょうね。」
「其方はどうなる?」
「……あまり長生きできない未来でした。」
「なるほど。それで医術や薬となるものを集めているのか。」
言えない部分は多い。ただ、嘘を言っても父なら見抜きかねない。言葉選びは慎重に、だ。
「で、それをわしに伝えて其方は如何したい?何を望む?」
「……二郎様でも美濃はまとまらないと思います。」
「だろうな。わしの讒言以上に酷い。上に立つ器ではない。廃嫡させる予定だったが、わしが何もせずとも暴走し続けている。今回も浅井領に自分が兵を率いて初陣し浅井を滅ぼしてくれるなどと吹いておったわ。」
相変わらずですね、歯ぎしり御曹司殿。
「ですが、父上の目指すやり方でもまとまらないでしょう。」
「五十瓊敷入彦命様がそう其方に伝えたというなら、そうかもしれぬな。」
「だから、血をできるだけ流さずに、それでいて多くの者が納得する方法を、まずは考えたいです。」
「命……命か。命に拘る男だ。それは遠回りだぞ、新九郎。」
「それでも、流れる血は少ない方がいいです。そして、いつか天下泰平の世の中で長生きがしたいです。」
その言葉に、父が一瞬きょとんとした顔を見せた。その後、すぐに俯き顎に手を当てた。初めてこちらから視線を外した。
「天下泰平……天下泰平か。美濃の支配者になるではなく、日ノ本全ての話か。」
「別に私が主でそれをする必要はないと思いますが。でも、戦乱で死ぬ人々を今この時代で終わらせたいと思います。」
「わしは美濃をとるしか考えておらなんだが、なるほど、お前は天下を見据えるか。面白い。面白いな。」
少しニヤつきながら、父は刀をしまった。脇息を手元に寄せ、肘をつく。
「で、そなたは天下を見据えるが望みか。」
「いえ、一番は長生きすることですよ。」
少し唖然とした顔の父は少し面白い。一瞬で眉を顰めたいつもの顔に戻ったが。
「長生きと天下はなかなか相容れぬぞ。天下乱世を治めるには戦が必要だ。戦は重ねるほど命を危険に晒す。」
「宮内卿もそう仰っていました。ただ、世が平和になった方が結果的に救える人は増えますし、私の関わった人々が笑顔で過ごせるような世の中にしたいな、と。」
「苦難の道を敢えて選ぶか。」
「どうやら、苦労をする性分のようです。」
思わず苦笑したが、父は僅かに呆れた顔だ。
「だが、もしその道を行くというなら、わしのやり方を超えられぬようでは如何にもならぬぞ。」
「……そうかもしれませんね。」
「その覚悟はあるか?わしと争う覚悟が。」
父に尋ねられるが、正直争うというのは違う気がした。別に父の行く道を塞ぎたいわけではない。やり方を変えてほしいだけだ。美濃を支配している方が、特に初期の信長の覇業は支えられるはずだ。
「争うのではなく、より良い道を探したいな、と。人の命を徒に失わず、それでいて父上の願いを早めるような。」
「まこと、童の考えではないな。其方は狐憑きか。夢で何を見たのやら、難儀な男よ。」
ある意味別人が乗り移っているわけで、間違ってはいないのが困る。
「まぁ、ひとまずは浅井との婚姻は止めるか。其方は浅井の嫁程度ではもったいないことになりそうだ。邪魔せぬというなら徹底的に利用させてもらうぞ。其方の才覚を。」
「邪魔はしませんが、対案は出しても宜しいですか?」
「むしろいい策があれば教えろ。土岐の名声を落とすのと斎藤の家に頼る国人を増やすのが当分の方針だ。」
「ひとまず、土岐より頼りがいがある存在を目指すというのは?」
「土岐を下げるでなく斎藤を上げるか。それはそれで良いが、なんとか其方の婚姻相手を使って美濃支配の正当性が欲しいな。」
政略結婚は仕方ないにしても、その息子の目の前で言うことじゃないだろうに。
「幸い、小見の方は土岐の遠縁の明智の血脈だ。場合によってはあれの子に土岐を名乗らせるか。いや、無理やりすぎるな。」
「後は、今より多くの味方をきちんと作るべきかと。」
「六角はどの道でも敵対するぞ。どこに作る?」
「まずは弾正忠家が最良かと。商売でも結びつきは強くなっております。」
「弾正忠か……。悪くないな。」
そして、織田信長の義兄になりたい。信長は結構身内に甘かったという話を聞いたことがある。何より天下人は孤独になりやすいと宮内卿は言っていた。
俺は信長の相談相手になりたい。孤独じゃなければきっと信長はもっと早く天下を統一できただろうし、俺の前世の知識はきっと信長ならうまく使える。秀吉も部下として協力するだろうし、家康は……わからないけれど。
でもあの2人ならできるはずだ。それを手伝いたい。長生きが大前提なのに、結局ブラック労働から自分自身が抜け出せなさそうだけれど。でもそう思ってしまったのだ。
だから俺は、織田信長に日ノ本という国を任せてみたい。俺の国譲りは、そんな目標の形でありたい。そして信長の作ったより良い日本で長生きしながら、畳の上で大往生を目指そう。板の間は固いしね。
♢♢
真夜中、誰もいない自室で、左近大夫利政は呟く。
「息子か。器も悪くない。まだわからぬことも多いし足りない物も多いが、わしを継ぐのに悪くないかもしれん。」
口元が緩んでいるのを、本人は意識しているのか。
「父も、同じような気持ちだったのか。上に行ける限り上を目指せと言われ美濃盗りを目指しているが、わしより彼奴の方が上を見ている。」
美濃和紙の障子の先を見通す様に、目を細めながら彼は呟く。
「気づけば45か。……先は長くなかろう。遠回りは性分でない。だが……」
音もなく立ち上がり、寝所へ向かう。
「青臭い未来のある跡継ぎの言葉を、心に留めておくのも悪くない。」
彼は良い夢が見られそうだ、と呟いて襖を閉じた。
矛盾した部分も抱えるのが人間だと思っています。矛盾とジレンマを抱えながらそれでも人生の目標を作り上げた主人公の物語を、今後ともどうかよろしくお願いします。