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第32話 鷹司御家騒動と初めての反抗(下)

 馬から右に落ちていく二位殿こと鷹司与十郎冬明殿。僅かに左手で馬を掴もうとしたが、力なく空を切って地面へと落ちた。


「二位様!」


 こちらへの警戒から左と後方にいた護衛たちが馬を止め、叫びながら慌てて駆け寄る。

 こちらも追いついて馬を降り、その場に近づいていく。


「二位殿はご無事か!?」


 自分も近寄ろうとすると、護衛していた武士の1人が行く手をふさいだ。持っていた槍でこちらを牽制けんせいしてくる。


「お待ちくだされ!敵意がないであろうことは分かりますが、それでも斎藤の方々とは敵味方。お近づけするわけにいきませぬ!」

「何を言っている!目の前で倒れた以上、救うために最善を尽くすべきだ!」

「……貴方様が新九郎様ですか。医術に関しては日ノ本でも随一とお聞きしております。」

「だったら!」

「ですがっ!」


 武士は若干辛そうにしつつも槍を下げる様子はない。


「ですが!ここは戦場!貴方様は今はただ我らの敵の将でしかないのです!それに医に通ずる者は毒にも通じます。無理なのです。」

「新九郎様、彼の御方をたくば目の前の兵を討つ他ありませぬ。」


 平井宮内卿信正は傍に来ると俺に向かってそう言った。小姓たちが槍を構え、相手の武士を狙うように構えた。

 周りには二位殿に声をかける騎馬から降りた武士と、こちらを窺う武士が4人に増えていた。


「それに、ここに居る者は揖斐いび殿の兵で御座います。主の五郎殿から彼の御方を守るよう命じられているでしょうから、退くに退けぬのです。」


 言われてみると、二位殿の連れていたような華美な武装ではなく、実戦的な装備で固めた武士しかいない。


「首を渡すわけにもいかぬのです。ご容赦を。」

「でも、今ならまだ!」


 少しずつ顔が青ざめていく二位殿がここから見ていてもわかる。揖斐の武士が3人がかりで馬の背に載せ、逃げようとしている。


「新九郎様、御下知おげちを!」

「ならぬ!それだけはならぬ!」

「殿!!」

「ならぬと言うておる!!」


 何故生きている者を、それも本来なら味方の武士を討たねばならないんだ!



 口の端から泡を吹きつつ馬の背に載せられた二位殿が、両端を揖斐の武士に支えられながら逃げ始めた。


「新九郎様、貴方様はとてもお優しい。それに付け入らせて頂いたこと、御許し頂きたい。御礼はこの首にて!」


 槍を構えていた武士は二位殿を連れた一行が随分離れてから槍を捨てた。


「討ち取られませい!」


 刀を抜いてこちらに突っ込みながら叫んだところで大沢次郎左衛門正秀が素早く飛び出し槍で一閃した。小姓随一の槍捌きが、相手武士の首と胴を一瞬で二つに分けた。

 呆気にとられたまま、俺はその場で立ちつくすしかできなかった。


 ♢


 美濃国 大桑守護屋敷


「此度は某の息子、新九郎が私闘に乱入することになり、まことに申し訳ございませんでした。」


 評定の間で、父と左衛門督殿が深々と太守様に頭を下げた。自分も続く。

 それに対し真っ先に反応したのが太守様の脇にいた歯ぎしり御曹司こと二郎頼栄サマだった。


「全くだ!何という事をしてくれた!土岐の忠臣を討ったという事は、土岐に叛意はんいを持つも同義ぞ!」

「静かにせよ猪法師丸。利政と話ができぬ。」

「私は二郎頼栄です!」

「静かにせよ。」

「………!」


 あぁ、歯ぎしりがっ!表面のエナメル質に深刻なダメージがっ!


「此度の件は大通寺への無断立ち入りをとがめる為だった。そう聞いている。」

「なっ、あの寺には私が許可を、」

「寺の首座からも押入られて本陣に無断で使われたと鷹司に抗議が入っている。土岐所縁(ゆかり)の寺に押し入ったとなれば新九郎が動くのも仕方ない。新九郎を半年の謹慎とする。其方は特にとがめぬ。」

「寛大なる処分、有難き幸せに御座います。」


 もう一度一緒に頭を下げる。今日のお仕事はこれだけである。


「っ!何故このような!」

「猪法師丸よ、私はまだ、其方を後継ぎとは一言も言っていないぞ。わきまえよ。」

「………!」


 凄い形相でこちらを睨んだ後、二郎頼栄サマは勝手に評定の間を出て行った。

 太守様は大きく溜息をついた後、何事もなかったかのように話を再開した。


「鷹司の家は左衛門督に継がせる。此度の戦は兄弟の私闘。それで良いな。」

「「ははっ。」」


 本人や国人たちに否やはあるはずもない。左衛門督殿も二位殿の首級をとり長瀬城を接収すると、早々に京の本家鷹司に荘園は元の如く守ると書状を出したらしい。今の京にいる公家は皆困窮している。収入さえ保証されればあまり細かいことは言ってこないだろう。縁はかなり薄くなっただろうけれど。


 ♢


 評定が終わった後、父に聞きたいことがあった。他の家の人間は誰もいない廊下に出た時部下もいたが、そういえば2人きりで話したことはない。部下を気にせず話しかけた。


「父上、あれは父上ですか?」

「そうだとしたら如何する?」


 答えた父の顔は、特に表情のない冷たい色を帯びていた。


「書状を盗ませた透破すっぱを使ったので?」

「人には向き不向きがある。物を盗むに長じた者、特徴が覚えられにくく、かつ弓で相手を射抜くに長じた者。色々だ。」


 間違いない。あれは父の手の者だ。長井長弘殿もそうだったのかもしれない。


「何故ですか?」

「土岐の朝廷工作はこれ以上は不要だ。」


 父はそば付きの者と先に歩き出す。顔が見えなくなる。


「次の土岐に権威は要らぬ。今の土岐は十分だ。」


 父の下剋上が近づいているのを感じる一言だった。


「でも、命を奪うのは許されませぬ。」

「其方は人の命を奪うのをいとうようだな。」

「人命は……重いです。とても……重いのです。」


 僅かに父が足を止めた。


「そうだな。だが、この乱世では、目の前の命だけにこだわると失うものが、得られぬものが多すぎるのだ。」

「それでも、だからこそ、できる限り、私は命を大事にしたい。」

「青いな。だが、初めてわしに楯突いた。その気概は、失うでないぞ。」


 僅かにこちらを向いた顔は笑顔だった。なんとなくだが、負けたと思った。



 父と屋敷を出ようとすると、中庭で二郎サマが小姓も連れずにたたずんでいた。

 父はこちらを手で制しながら中庭に降り、話しかける。


「先程のように評定を勝手に抜け出すのは感心致しませぬな。次期当主を目指すならあの場は残らねばなりませぬ。」


 父の物言いに、軽く歯ぎしりした後射殺さんばかりの視線を向ける二郎サマ。


「次期当主に相応しいと露ほども思っていない貴様がそれを言うか……!」

「確かに、わしはお前さんを太守にしたいとは一切思っておらん。」

「……っ……!」


 敬語も何もない態度で話し出した父に、二郎サマは驚いて二の句が継げない。


「だが、今土岐の名を継げるのはお前さんと越前の次郎頼純(よりずみ)だけだ。だからどちらの父親がより太守として担ぎやすいか考えて、国人たちはお前さんを神輿にしようとしている。」

「み、神輿とは無礼な。」

「尾張の武衛、播磨の赤松、三河の吉良、関東にいる公方……皆もはや神輿以上の力はない。土岐の家も実態は家臣の連合によって成り立つ家でしかない。其方の父上は十分それを理解しておられる。故にその権威を高めるべく書画を極め、和歌に通じ、周辺諸国や中央と我ら家臣の間を取り持っていただいている。だから我らは太守様の下に集まっている。」

「と、土岐は尊氏公の御代以前からの美濃の支配者ぞ!」

「そう思っている限り、土岐一門以外は貴方の味方にならぬでしょう。」

「わ、私の偽りの風聞を国中に広める佞臣ねいしんが何を言うか!」

「だとしたら?」


 父の言葉に二郎サマは絶句する。


「だとしたら如何致しますか?」

「……じ、次期当主に歯向うつもりか?後継ぎたる私を引きり下ろそうと?」

「わし含め、美濃の国人たちが欲するは都合の良い主君に他ならぬ。其方がそうなる気がないなら、国中の願いを叶えるべく動くのが守護代たるわしよ。」


 不敵に笑った父は、二郎サマに背を向け中庭から戻ろうとする。


「……い、今の言葉、ち、父に報告するぞ。」

「御随意に。今の言葉、全て美濃のため考えたわしの本心だからな。」


 二郎サマが歯でガチガチと不快な音を鳴らしながら、怯えるようにその場を去るのを見ながら、やっぱりマムシだなと思った。

 そして、これが父による土岐への初めての反抗の意思表示だった。



 きっとこれから何かが起きて、父は下剋上をするのだろう。

 今回のようなことはもう二度と御免だ。戦があること自体は仕方ないし、戦を命じるのも仕方ない。

 でも、今の流れは変えなければならないと思った。父のやり方に任せていれば、美濃で多くの血が流れる。


 それだけはなんとか変えようと決心した。

決意の回です。


言質はとらせず相手に確信だけさせていくスタイル。マムシはマムシ。

前世合わせて42年目の主人公と現在44歳の道三、人生経験でもちょっと分が悪いです。

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