第26話 福利厚生を整えることこそホワイトな職場への偉大な一歩
美濃国 稲葉山城
浄土真宗について、父左近大夫は早速動き出した。太守土岐左京大夫頼芸様の許可を得て浄土真宗を鎮圧すると同時に石山からの返答について噂を流し、同時に無量寿院の応真に僧を派遣してもらって多芸郡に寺院の建立を開始した。
5月に応真殿が亡くなってからはその養子堯慧の派閥が美濃に入り、本願寺派の切り崩しを進めてくれた。
実は越前にいる後継者争いのライバル真智への牽制もあって、伊勢と越前の中間である美濃での勢力拡大は堯慧派にとって渡りに船だったらしい。幕府にも土岐・六角が働きかけたことで堯慧が後継者と認められそうらしい。
一方の本願寺側は先年に長島願証寺2代住持の実恵が死去し、3代目の証恵が若くして伊勢・美濃・尾張のまとめ役に任命されたばかりらしい。そのため美濃の支援にまで手が回らず、こちらの方針がかなりうまくいっている一因になっている。
夏に太守様に直々に挨拶に来た堯慧はまだ数え11歳の同い年、つまりまだ子供だった。会談の後少し私的に話をした。
「堯慧様は確か飛鳥井のお生まれとか」
「はい。従二位権中納言の飛鳥井雅綱が五男に御座います。こちらに来る時に公方様に猶子にしていただきました」
猶子は養子とあまり変わらないが、若干養子より関係が緩いものらしい。猶子になったことで将軍家と縁ができ、伊勢での活動がやりやすくなる上、後を継ぐのに異論が出にくくなるわけだ。
特にライバルである真智は常盤井宮家出身で後柏原天皇の猶子という皇族系の出身だ。こちらも将軍の猶子にでもならないと張り合えない。しかも真智は朝倉の支援を受けている。大野郡・医学に続いて土岐VS朝倉の第3ラウンド開始である。
「伊勢の支持は固まったのですか?」
「はい。今回の件で美濃の信徒が増えましたので、伊勢の宗徒は皆私を支持してくれています」
「それは何よりですね」
「はい。しかも多芸で布教が進めば長島の本願寺を南北で挟む形になります。本願寺に圧力をかけられます。加賀でやられた分しっかりとやり返さないといけません」
どうやら相当本願寺が嫌いらしく、すごく悪そうな笑顔だった。世の中一番恨みが強くなるのは自分と近しい人間だというし、同じ浄土真宗同士だからこそ恨みも深いのかもしれない。
最後に今後も連絡を取り合うことを約束した。改宗は丁重にお断りした。太守様に開けと言われている碁会にも呼ぶべきか。足利将軍への貴重なパイプでもあるし、この縁は大事にしないといけない。
♢
本願寺との小競り合いで怪我をした兵の応急処置を稲葉山城でしたものの、彼らは治療が終わるとすぐに領地に戻らなければならないと知った。
特に骨折した農兵などは動き回れないため、骨折部位に関わらず脚力などが落ちる。筋力低下が避けられないのに領地に戻ると重労働をしなければならないので大変な思いをするらしい。
となれば必要なのはリハビリテーションである。それも短時間である程度効果を出す必要があるので、加圧トレーニングを導入することにした。当然これは現代でも短時間で高効率なため有意だが、正しい知識がないと却って逆効果になる。自分で管理できる範囲の患者のみで進めることにした。
そのうち加圧トレーニング専門の医師を育てるべきかもしれない。
やり方は難しくない。本来使うベルトではなく革の分厚い紐を使って血流を一定程度減らして筋力トレーニングを行うだけだ。
ただし、トレーニングをやる人物の体調や元々の筋力なども見ながら調整が必要なので、専門に講座などを受けていない人は軽い気持ちで手を出さない方がいい。間違ったやり方だと鬱血や神経を圧迫して逆効果になる。用法・用量を守って正しく、という文言はなにも薬だけではない。
ついでに木地師に依頼して松葉杖も作った。ある程度治った後は少し動くくらいでないと筋力は加速度的に落ちていく。ちなみに治療とリハビリ専門の施設は稲葉山城の入口に近い場所にした。侍の場合見舞いに家族が来やすいし、患者が運び込みやすく逃げ出しにくい。農兵の中にはリハビリが終わっていないのに村に帰ろうとした奴がいたが、城そばの坂を降りられる体力が戻っていなかったのですぐに連れ戻すことができた。治るまで退院などさせるわけがないだろう。
きちんと体力を取り戻した兵はしっかりとした足取りで元の生活に戻っていく。この瞬間が嬉しくて救命救急含む医者業続けていたんだ。働きすぎて死んだけれど。
美濃国内や周辺国では俺の医学的な名声が着実に広まっているらしい。最近弟子入りしたいという医師が来た。素性がわからないのでひとまず断っているが、よくよく考えてみれば寿琳と瑞策の半井兄弟だけしか教えないのは非効率だ。せめて衛生兵でも組織するために誰か一緒に色々教えるべきかもしれない。紹介状を持って来た人がいたらしいのでその人から受け入れるべきかもしれない。
最近は瑞策も随分大人しくなった。やはり人体解剖を見せたのが効いたらしい。反発している余裕がなくなっただけかもしれない。以前の講義内容を覚えるまで先に進めないから2人とも必死である。
♢
人間どれだけ鍛えていようと死ぬ時は死ぬ。それも今後伝来する火縄銃が普及したら侍だろうが剣豪だろうが容赦なく死ぬようになる。
だからせめて死ににくくなるように、小姓や一部の配下とされている部隊と鍛錬は欠かさないようにしている。自分も手術をやりきる体力がまだまだ足りていなかったのもあり、鍛錬の中心は体力作りだ。
つまりマラソン。中継地点として屋敷の中庭に水分補給ポイントを置き、城への山道を降りて登ってを繰り返すハードなトレーニングだ。
体力のある人間から徐々に重りをつけさせている。最終的には完全武装状態でも10㎞くらい息が上がらずに走れるようになってもらいたい。
走るフォームも統一した。自分が先頭で走ったり、先頭を入れ替えたり、最後尾についたりとパターンを変えながら走る日々だ。
「よし……今日の鍛錬は、終わりにしよう」
「あ、ありが……ぅ……ざぃましぁ……」
小姓でも年下の谷小太郎は毎日終わると息も絶え絶えで屋敷の中庭に座り込んでしまう。最初の頃はこれを奥田七郎五郎利直が諌めようとしたが、俺が全力で頑張った証だからむしろ褒めてあげるべきと言ったら以後何も言わなくなった。
最近はちゃんとクールダウンしてから座り込む程度には余裕ができている。幸が持ってきた手拭いで顔や体の汗を拭きつつ、確かな手応えを感じた。
体力がある程度付いたら改めて武芸を磨かないといけない。自分で戦う場面はあまりないだろう(というか出来ればそんな場面はあってほしくない)とは思うが、万が一の時のために必要だ。
ちなみに前世で武道の授業選択は柔道だった。なので剣術も槍もゼロから教わった。
乗馬もやったことが無かったので慣れるまでが大変だった。新七任せに最近はしないようにしているが、相変わらず慣れてくれない。でも馬の世話まで全部やっていると忙しすぎるんだ。それでいて小姓の馬に触ると更に機嫌を悪くする。ツンデレか。いや、ツンツンである。少しはデレてくれ。
本願寺派・高田派の世代交代や高田派の後継者争いへの朝倉の関与など、調べれば調べるほど何故かここが変わると綺麗に土岐VS朝倉の対立が激化する不思議。