第24話 求められていないのに完璧な仕事を求めてしまうのは社畜の典型的症状です
明日は残業確定なので感想の返事が遅くなります。予めご容赦いただきたく思います。
さて、面倒だけれどまだ実力を信じてもらえていないのはわかっていたので、そのための準備から始めた。
ところが、教え始める日の前日に宮内大輔驢庵様から連絡があった。勉強を3日ほど遅らせたいという。そのままこの件をなかったことにしてほしいと思ったが念入りに謝罪と3日後お願いしますと言われてはこちらも断れなかった。
「改めまして、2人をお願いいたします。」
「「よろしくお願いします。」」
体中にかすり傷を負った2人を連れて宮内大輔驢庵様が来たのに驚いたが、どうやら官位を理由に年下で武士の自分に教わるのを拒否しようとした弟の瑞策を兄の寿琳が窘めたそうだが、宮内大輔殿がそれを聞いて兄の方も弟子の態度ではないということで、3日間武芸の鍛錬という名のシゴキを加えていたらしい。
「仏門に入りたるといえど拙僧も元は武家の一員。それがいくら官位を持つとはいえ、同じ武家の師となる方に礼儀が尽くせぬでは横柄な人間になりましょう。」
「はぁ。」
「というわけで、近頃宮中で勘違いさせられていた息子ですが、見捨てず鍛えて頂けると嬉しいのですが。」
そう言われては何とも言えない。ただ、根本的に自分の実力を疑うのも当然なので、まずはそこを示そうという話になった。
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とりあえず、稽古で打ち身になっていた場所に手っ取り早く効く漢方作りを見せることにした。温湿布だと糾励根は唐辛子がまだ手に入らないので、今回は江戸から明治時代に作られたという百草湿布だ。胃腸薬の百草丸を作るためにキハダはそこそこ確保してあるし、ペパーミントは石鹸のためにも少しずつ増やしている。アルニカはチョウジギクで代用し、樟脳、柳の樹皮でサリチル酸、植物油を少し加えてビタミンEの皮膚摂取を促しツナギのゼラチンで劣化版の完成だ。
冷湿布薬なのでペパーミント効果もあって体に貼るとヒンヤリして気持ちがいい。なんとも言えない清涼感は現代日本人なら湿布感が得られ漢方でも重宝する。
早速配合して布に塗り、2人の出血などのない背中とふくらはぎに貼ってみた。
兄の寿琳は目を丸くしながら足を引き寄せ匂いを嗅いだり質問したりを繰り返していた。弟の瑞策は未知の感覚に小さな悲鳴をあげ、慣れた後も違和感があるのか湿布をよく気にしていた。背中がむず痒いらしくその日はそわそわしっぱなしだった。にやり。
当然のように宮内大輔殿も興味を持ったので貼ってあげたが、作るのには稲葉山の漢方畑の材料が必要と言ったら残念そうにしていた。
そもそもこの時代だとこれはまだまだ値段が高い。膠の職人にゼラチン作らせるし樟脳もまだ量産まではいけていない。ペパーミントも石鹸作りで量が足りない。そのうちガラス瓶が作れるようになる頃には量産できるだろうけれど。清涼感はわかりやすく感覚として得られる「薬が効いている」気がするものだ。その冷たさと清涼感は痛覚より強力な信号を発して痛みを忘れさせてくれる。2人ともそれに気づいた時には唸るような声を出していた。
翌日には打ち身の痛みが大分ひいたらしく、2人とも態度がかなり変わっていた。だが、こんなもので終わりにはしない。別に舐められたことを根に持つわけではないが、医学に対してはそれなりにプライドというものがあるのだ。
というわけで、次の日は先日討たれた野盗を使って人体解剖の授業である。冬場だったので城下で晒されても腐らずすんでいたので幸いと使うことにした。手術着に帽子・マスクの予備まで総動員である。
犯罪者といえども死ねば無下にはしたくない。数秒とはいえ手を合わせてから解剖と説明を始めた。
「ここが心臓。これが脈動といって規則正しく動くことで動物は生きています。これで基本の臓器は終わりですね。」
「ふむ。つまり我々の考える五臓六腑と実際は少し違うものということですか。いやはや、長生きはするものですな。」
「こ、これが新九郎様が切除したという虫垂……。」
「腎のそばにあるこの副腎なるもの……このようなもの、聞いたこともなかった……。」
最初は穢れがどうこうと五月蠅かった兄弟も、知らないことが出てきたことで一気に近くで見たり触ったり質問したりしてくるようになった。東洋医学の五臓六腑では説明できないものが多いため、かなりカルチャーショックを受けているようだ。
筋肉がリアルに体を動かすと縮む・伸びるのも見たことで「人体とはすごいものですな……」とか言って驚いていた。血管の各部による太さの違いや、背骨に通る脊髄にも相当驚いていた。
翌日会った時の顔つきを見て、もうこの2人がこちらを舐めることはないだろうと確信できた。パワハラやアカハラで言うこと聞かせるよりこの方がずっと物事はスムーズだ。何れ正しい知識のある医者を増やしていかないといけない。せっかく知識を持って転生したのだから、自分の長生きは第一としてもできることはしておきたい。それにいざという時自分を診断してくれる実力を誰かが身につけていないとまずいのだ。鍛える意味はある。
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想定以上にやる気になった2人に色々教えなければならなくなったので、冬の間にチョーク作りと黒板作りをすることにした。黒板は以前長野旅行で行った開智学校にあった生徒用のミニ黒板と教師用の2種類だ。初期の黒板は漆と柿渋を使って作ったと聞いたことがある。木曽川の軽石の粉末と近江国の日野から取り寄せた漆、それに砥石の粉を混ぜ、出来た塗料を杉の板に厚めに塗り、砥石と柿渋で仕上げる。
チョークは石膏が大垣で取れるので、褐炭で焼いて粉々にしたら水で溶かして型に入れて完成だ。長年吸うと塵肺の恐れがあるので、あまり肺に吸い込まないようにだけ注意だ。
どちらも配合比までは分からなかったので春前までかかったものの、なんとか試作品が完成した。紙用の打解機として作ったはずの2つ目の水車を真っ白にしてしまったが、まぁ許されるだろう。
完成品を確かめ、黒板消し用の布を用意してから人体の仕組みについて授業をやってみた。
まだ雪解けが終わってないためこちらに来て暇らしい叔父や、小姓の面々と豊も参加した。
骨の話、血液の話、筋肉の話あたりは皆理解できたようだが、内臓あたりから脱落者が増え、神経の話は医者3人組しかまともにわかっていなかった。彼らは実物を見た分実際の理解が早い。
手術をして足りないと思ったルーペが欲しくなった。顕微鏡も将来的には欲しい。ガラス工房の職人見習い達は少しずつ上手くなっているがまだまだだ。結局アルコールの蒸留は陶器製で1つ作ってもらった蒸留器でなんとかしたのだ。ちなみに清酒は米を使いすぎるのでアルコール作りで全部使った。飲む用を作るとしたら塩水選と正条植えができる環境が整い、四角い田んぼを作って増やして米の生産量自体を増やしてからだ。
なんとか板ガラスを作れればレンズは作れるはずなので、記憶を探して板ガラスを作ることにした。
ドロドロに熱したガラスを耐熱性のあるトレー型の容器に一気に流し込むと板ガラスになるという一度テレビで観た記憶を頼りに試したところ、少しムラはあるものの板のガラスになった。
あとはそこそこの厚さのものをレンズの反射を計算して型を作り、レンズ用の型を作って合わせれば完成だ。
レンズの計算と型の製作で今年一杯は残業と職人に試行錯誤をしてもらうことになるだろう。顕微鏡は更に先になるな。一歩一歩地道にやるしかない。
しまった、これサビ残だ……。
東洋医学の五臓六腑自体が完全に間違っているというわけではないですが、より細かい臓器まで把握できているのは(すくなくとも19世紀初頭までは)西洋医学の利点ですね。
穢れ思想は根強いのでどうしても出てしまうでしょうが、現代医師としての特殊な倫理観が彼にはありますので穢れはあまり気にしません。そして医師としての知識欲がある3人が欲を刺激されないわけもないでしょう。
杉田玄白や前野良沢よりハードルは低いはずですので、このような展開となりました。