第22話 全身医を目指した矜持
著者はこのお話で医療大麻などについて肯定するつもりは一切ありません。
大麻に関する肯定的要素を持たせる意図もありません。大麻は違法薬物です。
大麻関連の意見・感想については予告なく削除する場合がありますので予めご了承ください。
「近くの屋敷に至急運べ!誰ぞ長さ6尺幅3尺ほどの布を用意せよ!」
周辺にいた野次馬たちはいきなりのことに動く気配がない。
こういう急病人が出た時は医者や看護師、あるいは現代教育を受けた人間じゃないとやはり動けないか。
「そこの者、その持っている布をくれ!」
「え、いやこちらは……。」
「金なら後で都合してやる!」
半ばひったくるようにとって広げる。運よく長さも幅も厚みも問題ない。
「仁兵衛!三郎五郎!兵庫!又二郎!布の上にこの者を乗せ四隅を持って向こうの屋敷に連れて行け!」
護衛の侍四人を呼んで担架代わりにして運ぶよう命じる。
「わ、若様……」
「彦太郎!袋を渡せ!それとあの屋敷に先に向かってこの患者が横になれる部屋を用意させよ!」
「かしこまりました!」
「仁兵衛!!急げ!!」
「「は、は!」」
小姓の明智彦太郎こと光秀に持たせていた道具袋を受け取り、屋敷に向かって走り出す。後ろから布を使って簡単な担架を使って患者を運ぶ護衛の4人を見つつ、どこまでできるか不安を覚える。
せめてレントゲンが撮れれば……CTスキャンの装置だけでも転生特典とかで欲しかったと一瞬頭をよぎったが、ない物ねだりをしても目の前の患者は良くならない。
何が原因かわからないが、恐らくこの場で彼を救えるのは俺だけだ。
……俺がやらなきゃ、ダメなんだ!
♢
屋敷は遠方から紙を求めて来る者向けの宿だった。都合がいいので部屋を一つ借りる形で手術に入ることにした。部屋の板の間に患者を寝かせる。お腹を抑える両手を押さえ込んでもらい、上半身を裸にして肌の色を見る。
内出血や骨折ではない。内臓か?だとしたら厄介だ。
下腹部の右側を押すと一際大きい反応をした。少しゆっくりと垂直に押し込んでから素早く手を離すと、先程よりも痛いと騒ぐ声が大きくなった。手先の感触が硬い。
「ブルンベルグ徴候……。微熱は……恐らくある……そこの者!」
「は、はい!?」
「この者、ここ数日で反吐(嘔吐の意)を出したか?」
「あ、えっと、確か、前の市が終わった後にやった酒宴で。そう言えば、あの時はあまり飲み食いしていないのにすぐ席を立ちました。昨日も食が随分細かったです。」
「……ならば虫垂炎の可能性が高い、か。」
患者の名前を呼んでいた商人仲間らしき男がついてきていたので、彼に嘔吐を最近したかなど問診する。本人はそんな余裕はなさそうなので仕方ない。
で、聞いてみれば宴会でいつもより早く吐いていた。しかも最近食欲がない。
現状の情報のみで判断するならいわゆる急性の盲腸の可能性が一番高い。
しかし、白血球数もわからないしCTスキャンもできないので、確証は持てない。
抗菌薬はまだない。それに糞石があるなら開腹して取り除かない限り症状は良くならない。治療できるのは間違いなく俺だけだ。
「若様」
探るような彦太郎の声に軽く頷いて袋を開けた。中にあるのは少しずつ用意してきた医療用具。
メス・剪刀・メッツェンバーム・外科用のゾンデ・ペアン鉗子・鑷子など。精度はイマイチだが、形は似ているしこの時代としてはかなり頑張った方だ。
これに試作した不織布がガーゼの代わりに少し、縫合用の糸少し、アルコールは瓢箪1つ分。麻から作った麻酔に似た何かはいざという時のため少量作っておいたものだ。
最初に麻酔を患者に嗅がせる。先の朝倉が攻めてきた時に怪我をしているにも関わらず暴れていた敵兵相手に試したものだ。チオペンタールがあればと思うが、欲しい薬や道具なんて山ほどある。
石鹸で腹部周辺の汚れを落とし、自分も洗った上で麻酔を少量腹部に垂らしておく。どこまで部分麻酔として効くかは流石に試していない。効けば御の字程度だ。体の向きを整えてしっかり抑えていてもらう。
用意してもらったお湯で道具を煮沸消毒しつつ、患者が沈静化するのを待つ。布の帽子を被り、上着を一枚脱いで少しでも埃のついていない服装に変える。少し寒いが手術が終わるまで我慢だ。それに汗をかかずに済めばそれは悪いことじゃない。更に手術帽・マスクをつけて準備を整えていく。
布の上にいつもの順番に並べた手術道具を置く。ない物が多いのに改めて気づかされる。
「若様、どうされるのですか?」
「恐らくこの商人の病気は虫垂炎だ。体の腑(内臓)の一つが腐って痛む病だ。治すには腹を開いて腐った腑を取り除くしかない。」
「お、お腹を開くんですか!?死んでしまいませぬか?」
「これ以外の方法ではどの道遠からず死ぬぞ。」
商人仲間は目を見開いてこちらを見てくる。だがやり方は変えない。あの痛がりようでは長生きできないだろう。ここで懸けるしかない。自分の腕にじゃない。虫垂炎で正しいことと、手術中に雑菌が体内に入らないことを、だ。
「彦太郎、決して順番を変えずに指定した物を渡せ。戻す時は同じ場所に戻すのだ。」
「承知仕りました。いつでもどうぞ。」
マスクと予備帽をつけさせた未来の明智光秀が手術の助手だ。なんて贅沢で、そして何もかも揃わない手術だろう。でも肚はくくった。
試作の消毒用アルコールもここは出し惜しみしない。
「虫垂炎による虫垂の摘出手術を始める。」
美濃の職人が打ったメスを正中に刺し、斬りすぎない範囲で一気に開いた。
筋肉をできるだけ傷つけないようにしつつ腹膜を持ち上げ、内臓の様子を確認する。手術用ルーペがない代わりに、視力は前世より良い。なんとかなる。
左手も右手も道具の粗さをこれまでの経験で細心の注意を払い、前世からの最適化された動きで動かす。
手元にまだない道具をどう補うか、今あるもので手順をどう再現するかで頭はフル回転だ。
傷つけない慎重さと、無菌室ではないため早く終わらせたい焦燥感の中で、それでも手の動くペースは安定させる。必要なのは集中力。そして平常心。
見えた虫垂の様子に、虫垂炎を確信しつつも少ないとはいえ膿を視認する。
ドレーンの代わりを何か作らないといけない。とりあえず匙で掻き出せるだけ掻き出しておく。痩せているおかげで変な出血も抵抗もなく作業が進む。
慎重にかつ迅速に一手一手進めていく。久しぶりの手術にしては驚くほど手先が思い通りに動く。記憶が全部あるおかげか、今までの手術経験がダイレクトに作業の速さに転化されていく。大腸との境目が視界に入る。彦太郎は必死に食らいついて手伝ってくれている。
小気味よい音で、虫垂の先端が切れる。器具の粗さからわずかに震える虫垂を慎重に体内から取り除き、陶器の皿に載せた。キンという音が響いて、やはり糞石もあったことを確認。
除去するのも大変だが、手術はその後が重要だ。体内に器具を忘れるのも、医療事故が起こるのも、一番重要な工程が終わったことによる安堵や気の緩みが原因になるなんてことはままある。臓器も筋肉も血管も神経も傷つけないよう、慎重にできる限り元の状態へ戻していく。
最後の作業は切った腹部の縫合だ。出血がかなり少ないので、道具を持ち替え一針一針一定のペースで縫っていく。患部が少し山盛りになる感じじゃないとこの時代の糸ではうまく縫合できない。手術痕が残ってしまうことに申し訳なさを感じる。
「終了です。」
そう告げた時には、太陽は随分西に傾いていた。
♢
全て終わったところで、豊が近くにいたのに初めて気づいた。部屋に誰も入れるなと伝えたはずだが、身内だから入れたのか。要改善だ。
「若様、汗、拭きますね。」
「お疲れ様でした。新九郎様。」
彦太郎こと光秀も自分も、冬の初めなのに汗をかなりかいていた。豊はずっと額の汗を拭ってくれていたらしい。集中しすぎて気づいていなかった。
彦太郎は腰の力が入らないのか、周囲の目も気にせず柱にもたれかかって荒い息を整えていた。
患者の顔色も悪くないし、体力の限界だ。少し休むとしよう。
♢
少し休んだ後、患者を宿に預けて市に戻った。商人仲間に明日も来ると伝え、井ノ口からやっと来た医師に何かあったら城に伝えるよう言っておいたから大丈夫だろう。医師は虫垂と中に入った糞石に目を回していたが、きちんと頷いていたから問題ないはずだ。
「若様、もう市もお終いですし、そろそろ帰りましょうか。」
疲れが酷く感じられたけれど、手伝ってくれたことだし、今度小遣いの範囲で幸と豊に新しい木綿の生地を買ってあげることにした。
「ありがとうございます。……素敵な服を大切に、大切に作りますね。」
二人の服用に買うんだから、以前あったみたいに俺の服にするなと言い含めた。
ちなみに、帰城したところで新七のお土産を忘れていたのに気づいたので、売れ残った石鹸をあげたら故郷の村に残っている幼馴染に贈ると喜ばれた。
お前リア充だったのか……前世で合コンに誘われたのに急患で行けなかったことを突如思い出して二重に腹が立った。
屋敷の母の部屋に入った途端、気が抜けて母の深芳野に抱きつくように倒れこんでしまった。結局食事もとらずそのまま母の膝を枕に寝てしまい、翌日の昼まで目が覚めなかった。手術に必要な体力はまだついていないようだ。鍛錬を続けなければいけないと強く思った。
多少ご都合主義な要素があるのはお許しいただければ幸いです。
外科手術を文章にするのは難しいですね。海堂尊先生含め多くの先達の凄さが改めて実感できました。