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第21話 六斎市に行こう

商業都市の位置関係は下を参照してください。

挿絵(By みてみん)

 秋頃に完成した水車式の打解機とナギナタビーターは好評だった。


 3つの職人一家で共用させたところ、和紙の生産量が5倍に増えた。家族総出でやっていた繊維をほぐす作業が水車の稼働と作業の進み具合を見守る2人ほどに減らせて、しかも肉体労働でなくなったためだ。

 しかし、3家族だけだったのに原料のこうぞが足りなくなりかけたため、父は領内に楮の栽培を奨励する命令を出した。管理を任されている村でも始めることになった。斎藤家の領内ではまだ芽かきなどが定着していなかったので、今後はそのあたりもなんとかしないといけない。今年秋に収穫した分を1年間使うことになるため、増産の成果が出るのは再来年の製造分となる。それまでは自然の楮が生えている場所を探すしかないな。質は落ちるけれど仕方ない。


 ♢


 美濃国 武儀むぎ郡・大矢田おやだ


 山で雪が積もり始めた頃、今年最後の六斎市ろくさいいちに行くことになった。大矢田の市は応仁の乱の頃から続いている長い歴史がある。特産品の美濃和紙の販売を月6回開いている。

 ここでの金銭収入が土岐氏・斎藤氏にとっては生命線といえる。土岐氏は関所の収入を、斎藤氏は和紙自体の収入を柱にしている。



 昼前に護衛の小姓2人(明智彦太郎こと光秀と大沢次郎左衛門正秀)侍4人と共に市に着いた。市の案内をしてくれる代官と中に入ると、見世棚みせだなを開いている色々な屋号の看板が目に入る。基本的に紙しか扱わないので、見世棚は美濃各地の和紙職人やそこと結びついた問屋のものばかりだ。


「ものが売れれば売れるほど、関で太守様に銭が入ります。」


 代官は誇らしげだが、商品を直接扱っている斎藤の家的には関所の税はない方が収入は増えるし問屋が多く来るのでもうかるわけで。なんとも複雑な気分。

 少し歩いた所で聞き慣れた声が耳に入った。やや近くに寄ると普段身の回りの世話をお願いしている豊がいた。


「はい。こちらの石鹸は体を洗うのに使うものでして……。」


 豊と幸では性格がかなり違う。豊は外向きの仕事でもこなせるが、幸は口数が多くない。幸に囲碁を教えたのも会話の切っ掛けにしたかったからだ。豊は誰とでも仲良くなるタイプの快活な娘だ。朝は大体豊の方が元気に起こしに来る。

 豊は身なりのいい武士に石鹸を説明している。父が試験的に石鹸をここで売るから彼女を貸してくれというので頼んだところ、


「若様のお役にたつなら是非!」


 と言ってくれたのだが、不安もあったので見に来た部分も実はあったりする。


 彼女は町から連れてきたやや薄汚れた子供を石鹸で手や足を洗うことでその効果を見せている。軽快ではきはきした声に周りから人が集まって来ている。どうやら指示した実演販売は成功しそうだ。油やペパーミントの原価もあってまだ高価な品ではあるが、売れるところには売れるはずだ。


 ちなみに、この商売の本命は山城の油問屋である奈良屋だ。死んだ祖父正利の結婚相手の実家である奈良屋には父左近大夫が真っ先に連絡をとっており、奈良屋に卸した石鹸を大山崎の油座と組んで京から堺にかけて売ってもらっている。木地師に頼んだ木箱には二頭立波にとうたつなみの我が家の家紋入りである。ハンコを彫って押すだけなのだが、一応ブランドとしての付加価値狙いだ。足利将軍や天皇家にも献上したので、畿内では名前が知られつつあるらしい。


「ありがとうございました!」

「豊、調子はどんな感じ?」

「あ、若様!」


 客がひと段落したところで声をかけると、営業スマイルじゃない天真爛漫てんしんらんまんな笑顔で振り向いてくれた。そのままトコトコと目の前まで近づいてくる。


「若様!若様の作られた石鹸、一刻(2時間)で25個も売れましたよ!」

「ふむ、なかなかいい感じみたいだね。」

「いい感じどころか、見世棚を貸して下さった方も驚いてましたよ!」

「どんな人が石鹸を買ってる?」

「えっと……絹の服を着た御侍様らしき方が4人2つずつ、旅の商人風の方が1人で4つ、3人ほど人を連れた身なりのいい商人らしき方が1人で13こ買っていかれました。」


 豊の特技の一つが物覚えの良さだ。こういう購買層の確認にも適任と言える。2時間なので大体5分1個ペースだ。ただし、まとめ買いも多いらしく来ない時間帯は客が全く来ないらしい。

 やはり石鹸は富裕層をまずは狙うべきだろう。油の安定供給が可能になったら庶民向けも考えよう。それと、見た限り算盤そろばんがないから豊のためにも今度どこかで作ってもらわないといけない。


 ♢


 一通り市の中を見て回った。紙は畿内向けに近江の枝村えだむらの商人へ売るため、この市では大口の取引は川で運ぶ前提で桑名くわなの問屋に売ることが多い。少量なら今は六角との国境が安定しているため保内ほない商人も扱うが、紙は嵩張かさばると重いので舟運が主流らしい。それだけ大量の美濃和紙が作られ、関西方面に流れている。


「で、これからはうちも石鹸と合わせて少しだけ美濃和紙を扱わせてもらいますので。」


 と、にこやかに目の前で挨拶してきたのが大橋源左衛門重一だ。津島でも織田氏と関係が近く、息子に近々織田三郎信秀の娘が嫁ぐ予定らしい。


「枝村や保内の皆様には東海道方面と尾張の分だけということで話はついてます。佐治様と水野様にもご協力いただけますので。」


 というわけで、今後は石鹸と和紙を尾張方面でも扱えるようだ。海藻も油も津島経由で不足分は補うことで合意したので、これからは経済的な結びつきが強くなるだろう。津島の油座が味方になるのは大きい。


 話し合うこともなくなったので豊のところに戻ろうかと思ったその時、少し離れた場所で悲鳴が上がった。


「何事か!?」

「商人が往来で倒れたようですが……。」

「伝兵衛!伝兵衛どうした!?」


 侍1人と小姓1人に状況確認に向かわせると、桑名の商人が1人お腹を抱えて倒れたらしい。激痛で本人はうめいているだけと聞かされ、反射的に体が動いた。


「道を開けよ!」

「若様!何があるかわかりませぬ、御自重ごじちょうを!」

「人が苦しんでいるのに放置はできぬ!」


 人込みを割って中心に行くと、30後半に見える商人風の男が体をくの字に曲げて声にならない声をあげていた。

大矢田は本来和紙のみの市ですが、和紙のみで月6回開催できる時期があるという時点で

いかに当時の和紙市場が安定して大きかったかがわかります。

石鹸は今回お試しで太守の土岐頼芸に許可をもらって販売しています。

油座とのパイプが強いので斎藤の家は石鹸作りにとてつもなく向いています。

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