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第18話 小姓にするには有能すぎじゃないかね光秀君は

本日2回目です。加速度的に書き溜めが無くなりますね。

その分頑張って書いています。なんとか今月いっぱいは毎日投稿したい……。


♢♢の部分からは三人称です。

 美濃国 稲葉山城


 元服したので同年代の家臣、いわゆる小姓が身近につくことになった。

 彼らはある程度の年齢になるまで俺の親衛隊みたいな役割を務めることになる。

 一部の雑用は引き続き新七やさちとよたちに任せるものの、武士として、領主としての雑用は彼らに任せることになる。


 ちなみに太守土岐頼芸(よりのり)様の嫡男ちゃくなん猪法師丸いぼうしまる様ももう少ししたら元服だ。なので元々の小姓に加えて更に小姓を増やそうと探しているらしいが、国人衆はあまり積極的ではないらしい。俺は会ったことはほとんどなく上座に座っているのを見たことがある程度だが、既に粗暴そぼうな性格なのが噂として流れている。

 父左近大夫からも出せる人材がいないので、本人は相当周囲に不満を漏らしているとか。現状は森や不破といった家臣・国人と弟の揖斐いび五郎光親(みつちか)様の子などが中心となっている。イエスマン多めの構成になるぞこれは。


 ♢


 今日から小姓となる家臣が来るらしい。期待感もあるが数人は既に顔見せに一度来ているのでサプライズがあるかどうかがポイントだ。


 大広間に集まっていると豊が呼びに来た。明るく元気な豊だが必要な時は相応の振る舞いができると乳母たちから評判が良い。あの北小路きたこうじで修業した乳母も彼女は認めているらしく「最初に手を出すならこの娘にしてください。」って言われた。何言っているんだか。俺も豊も二次性徴すら始まってないでしょうが。成長したら必ず手を出すとも言わないが。


「若様、御殿様がお呼びです。」

「いつもありがとう豊。行ってくる。」


 部屋を出て大広間に向かった。待っていた父左近大夫利政(としまさ)と一緒に部屋に入り上座かみざに座る。そういえば上座に座るのは初めてだ。大広間が奥まで見えるからか視界が開けていつもより広さを感じる。結構な人数の家臣・国人たちがそこにはいる。大体が父くらいの年齢と若い子供のペアだ。

 父上の右手前に座る。刀の側に座るのはダメらしく、前日から叔父上に指導された。


おもてを上げてくれ。」


 顔を上げた面々に、見慣れた顔と見たことのない顔を確認する。


「いつも日に陰に我らを助けてくれていること、この左近大夫、感謝するばかりだ。更に今回は大事な御子息や御親類を我が子利芸(としのり)の小姓として預けてもらえること、我が子には過ぎたるものと思っている。」


「何を仰るか左近大夫様、我ら加治田かじた衆は何度貴方に助けられたことか。」

「左様。某も太守様に降る際、口添くちぞえを頂いた恩を返したいだけでござる。」


 先に応えた加治田衆の方が、良く屋敷にも来る加治田城主佐藤清房(きよふさ)殿。息子は元服済の佐藤紀伊守忠能(ただたか)である。年上で一時期囲碁の相手を良くしてくれていた。勝ち続けていたら相手してくれなくなったが。

 同意したのは奥田秀種(ひでたね)殿。斯波しば氏の傍流で尾張国奥田庄から美濃に移り住んだ一族らしい。元々は土岐政頼(まさより)側に仕えていたものの、5年ほど前に見切りをつけこちらに降った経緯がある。その仲介をしたのが父であり、その時に頼芸様の前で嫡男を預ける約束をしたからこちらに来たわけだ。息子は今年元服した奥田三右衛門利直(としなお)である。こちらも年上で稲葉山に来た時は一緒に鍛錬をしている。背がとてつもなく高いのにまだまだ成長期らしい。数えで14歳ながらもう5尺7寸(約171㎝)あるそうで、この時代の大人の平均(155cmちょっと)より大きい。前世でも見たことないレベルの身長になりそう。


 その後は知った顔、知らない顔の挨拶と紹介が続いた。驚いたのがこのなかに彼がいたことである。


「明智彦太郎と申します。若様より1つ年下の未熟者でありますが、如何様にもお使いくださいませ。」


 自分の少ない歴史知識で考える限り年齢的にどう見ても明智光秀である。どうやら父親を亡くし叔父が城主を継いだ関係で明智の領内で微妙な立場になっているらしい。叔父の明智光安も彼をどう扱うか迷っていたところ、小見の方からの相談で父が小姓につけたらしい。


 土岐頼芸様も彼の微妙な立場から御家争いの元になりかねないと小姓にしようとはしなかったそうで、国人領主から小姓についたのは彼―明智彦太郎と奥田七郎五郎利直の2人だ。守護の家老格では小姓は陪臣ばいしん(自分の家臣)からしか普通集まらないから出来過ぎと言える。



 顔合わせと稲葉山の屋敷での部屋の割り当てなどが決まった後、改めて小姓のみでの顔合わせをすることになった。


「改めて。斎藤新九郎利芸だ。これからよろしく頼む。」

「「宜しくお願い申し上げます。」」


 上から目線な物言いは苦手だったのを、最近は周りにめられると言われてこういう場ではある程度目上らしい話し方をできるよう訓練している。


「早速だが父上から11月半ばに初陣ういじんだと命じられた。年齢的にまだ未熟で皆の足を引っ張らないか心配だが、具足の準備も今してもらっている。元服している者は連れていくと仰せだったので、武具の用意をしておいてくれ。」

「某は既に初陣を済ませておりますので、この衆にも心構えなど伝えることに致しまする。」

「おお、弥次右衛門はそういえば先の戦で活躍したそうだな。そなたが頼りだ。」

「ははっ、お任せ下さいませ。」


 日根野弥次右衛門盛就は父親の代から父左近大夫に仕えだしたが、父親の勇猛さから瞬く間に出世して西美濃の本田城主になった一族だ。兄の日根野徳太郎弘就は20にもなっていないのに昨年の朝倉との一戦で先鋒の一角として敵に真っ先に突っ込んでいったらしい。その戦の少し前にあった小競り合いで弥次右衛門も初陣を飾ったそうだ。弓で朝倉の雑兵の胸を貫通させて射殺したらしい。初陣でそれとか怖いわ。


 ♢


 数日後、全員で一緒に鍛錬をすることになった。彦太郎こと光秀はラジオ体操に目を回しながら見よう見まねしていた。今度正しい体操を教えるか。

 他の小姓は殆どがこの体操を知っていた。一部意識する動きが間違っていたので直しただけで準備運動は終わり。


 弓の鍛錬は日根野弥次右衛門盛就が上手かった。的への正確さは1人群を抜いていた。奥田三右衛門利直は1人だけ弓の大きさが二回りは大きく、その分遠い的でも射抜いていた。背が大きいだけでなく腕力も相当あるらしい。

 ちなみに前世で弓に触ったことすらなかった身では、未だにそれなりの距離が開くと的に当たることがほぼないとだけ言っておく。弓に関しては距離感が全くつかめない。


 槍捌やりさばきでは父上お気に入りの大沢次郎左衛門正秀が見事だった。とにかく間合いのとり方がうまい。こちらが突いても次郎左衛門に届かないのに、向こうはきっちり届かせてくる。俺の2個上の側室の娘と仲が良いらしく、そのうち義兄にするかもしれないと父には言われている。

 槍は多少体が動くだけにもう少しなんとかなるかと思ったが、ほぼ同じくらいの体格の次郎左衛門に負けたのはちょっとショックだった。学校の武道選択が柔道だったのもあって剣術もこのメンバーの中では下から数えた方が早い。体の動きは悪くないらしいけれど……もしかしてこのメンバー名のある名将揃いなのかと自信が無くなる。


 馬術では谷小太郎という年下の少年が上手かった。彼は浅井に仕える叔父の姓を継いだらしく、浅井との友好関係もあってうちに小姓としてやってきた。斎藤家は木曽馬が結構手に入る関係で馬術が得意な人間は多いが、彼は度胸があるのか初対面の馬を正面から見据えてすぐに乗りこなしていた。

 一方、世話を新七に任せ気味な我が愛馬は乗せてはくれるもののそこまで器用に色々できないし馬も乗り気にならない。移動には問題ないがこの子に乗って縦横無尽に戦場を駆け巡る日は来ない気がする。


 問題は一つだ。自分自身が小姓たちに武芸で全然及ばなかったのは課題ではあるが問題とは言えない。年下の彦太郎こと光秀にほぼ全部の武芸で勝てなくても彼は後世戦国随一と言われる武将だ。悔しくない。悔しくない。悔しくないんだってば!


 問題は彼らのまとまりのなさである。叔父上が集合をかけてもそばには寄るが綺麗に集まれない。山で走る時もまとまりがなくバラバラの足取りで規律がない。


 そこで小中学生の時の知識を引っ張りだし、整列や行進の仕方を教えることにした。


 大事なのは全体の基準となる位置を固定し等距離で並ぶこと。そして足を上げて歩くことで歩幅の調整ができるようにすること。手を振ることで一定の距離感を保つこと。

 きちんと躾けられた武士の子供ばかりだったため、1週間でなんとかものになった。それでも1週間かかるとは意外とこれ難しいのかと思わされた。


 ♢♢


 やぐらの上から坂を上って瑞龍寺ずいりゅうじへ駆け足で行って帰って来る新九郎利芸と小姓たちを見て、父の左近大夫利政は首をかしげた。


「道利、何故彼奴らは列になって走っている?」

「ああ、新九郎がやり始めたのです。兄上は知らぬでしょうが、小姓に同胞意識を持たせるためとかなんとか申しておりました。」

「ふむ。」


 二列になって整然と同じ速度で走る集団は一種異様である。

 更に、彼らが近づくにつれ声が聞こえるようになってきた。


「一二!一二!」

「一二!一二!」


 声を出していたのは大沢次郎左衛門正秀である。そしてその次に後ろにいた奥田七郎五郎直純が掛け声を出す。

 屋敷の門をくぐると、中庭まで順番に声を出しながら、彼らは全員で戻ってきた。

 中庭に入ると少しの間その場で足踏みし、新九郎利芸が最後の声を出す。


「一二三四、五六、七八!」


 八の声とともに足音がぴたりと止む。全員背筋を伸ばした直立不動である。


「右向け、右!」


 声とともに全員が屋敷側に同じ動きで体の向きを変える。一瞬間を置いて、新九郎の「休憩!」という声が響いた。


「まぁ、最初は全然足音が揃っておりませんでしたが、最近はかなり慣れたようですな。」

「……道利、あれがもし全軍で出来るようになったらどう思う?」

「……号令が全体に響きませんでしょうが……出来たら日ノ本最強の兵になりましょう。行軍速度が一定で安定し、戦となっても列を維持して号令に合わせて槍を突き出し、弓を放ち、向きを変えられるでしょう。」


 慎重に言葉を選ぶように隼人佐道利は答える。彼が口にするのは理想の軍勢。手足のように動き、疲れず、乱れず。指揮官が優秀で、兵士1人1人も優秀でないとできないもの。


「まぁ、今は夢物語か。農兵にあれは無理だ。それこそ、彼奴が言っていた常備兵でもない限り、な。」

「命令が届くようにする何かも欲しいですな。新九郎に考えさせますか?」

「ほう、最近豊太丸とは呼ばぬのだな。」

「あの火事の時にあれの恐ろしさがわかりましたからな。初陣が終わるまでは目の前では呼んでやれませぬが。」

「厳しいな。傅役とは厳しいものだ。」


 口で笑いながら、左近大夫は鋭い目線で水を飲む自分の息子を見続けていた。

土岐猪法師丸(頼栄)はこの後かなり頻繁に名前が出ます。六角夫人の子ではない嫡男です。

恐らく前妻の子と見られます。義龍とは同年代と思われますのでこれから絡むシーンが多くなります。


本来は明智光秀が小姓になったとは思えませんが、小見の方との関係が史実から変化したことと

物語上の都合から小姓の一員に加わってもらいました。他のメンバーはほぼほぼ史実と一緒だと思われます。陪臣なのに有名人が多いのは道三の下剋上&義龍政権で中核メンバーとなった武将ばかりだからですね。

奥田直純は初名と思われる利直にしてあります。恐らく斎藤道三のクーデターで名を変えたと思われます。

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