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第17話 それはまるでブラック企業大賞受賞者のような

説明回的な部分も多いので、♢と♢の間は(色々仕込んではいますが)読まなくても大筋には影響ありません。


ただ、史実で有名な人物(今川義元・大内義隆など)が活躍し始めたり全国的に名前が売れ出したりするタイミングなので紹介も兼ねて書いております。

 美濃国 稲葉山城


 稲葉山城に叔父の長井隼人佐(はやとのすけ)道利が来た。普段は稲葉山南西の濃尾国境に近い竹ヶ鼻城(たけがはな)にいるものの、何かある時か報告するなどの用事があると稲葉山城に来る。

 父に用事があると思ったら、なぜか自室にやって来た。


「如何なされましたか、叔父上。」

「新九郎、元服し領地も任されたな。」

「はい。まだまだ分からぬことばかりで悪戦苦闘の日々です。」

「そうか。兄上もお忙しい。何かやりたいことがあれば私に相談しなさい。」


 傅役もりやくのまとめ役をしてくれていたのが叔父である。元服したとはいえまだまだ勉強中のことは多い。多忙な父に代わって最初にこの叔父に相談するようにしている。とはいえこの人が史実で父を殺すようそそのかしたんだと思うと油断はできない。


「まぁ、兄上はあれでお前のことは気にかけているのだ。でなくば色々思いついたことをやらせたり、領地を任せたりはせぬゆえな。」

「でも若干避けていますよね?」

「父上を思い出すのさ。自分も破天荒な癖に、息子の破天荒さに振り回されたくないのだ。」


 おかしい。振り回されているのはこちらだ。元服だって領地のことだって、勝手に決めて一方的に押し付けられたのに。おかげで前世なら小学生の年齢で、法定の週40時間を超えている上に週休0日の職場で強制労働ですよ。有給どころか無給ですら休暇申請に関する社内規定が存在しないじゃないか。


「火事の時振り回されたのは絶対忘れぬぞ。」


 だから人命は全てに優先されるんですってば。


 ♢


「さて、先日の守護就任の御礼に頼芸様と上京したが、ついでに畿内で情報を仕入れてきたぞ。」


 というわけで現状の仕入れである。最新の情報は大事だ。前世でも新しい治療法や新薬の治験については逐一情報収集するようにしてた。戦国時代だってそのあたりは変わらない。


「昨年3月にようやっと帝の御大典ごたいてんができたわけだが、献金けんきんした大内義隆の太宰大弐だざいだいに就任がようやっと先日決まったそうだ。帝は献金で官位を貰おうとするやからが余り好きではないらしい。」


 大内義隆は戦国ゲーム知識では開始早々に殺されちゃう人だが、天文5年(1536年)現在はものすごい強力な大名らしい。九州探題の渋川しぶかわ氏(初めて聞いた)を一昨年滅ぼし、更に豊後で大友と大規模な合戦も行ったらしい。


「中嶋城にいた下間しもつま頼盛らいせいなる坊官だが、中嶋城が落ちた時にはもう城を逃げ出していたそうだ。和睦反対派で主だった者はその坊官くらいしかもういないらしくてな。本願寺が血眼になって探しているそうだ。」

「本願寺は立て直すのに時間がかかりそうですね。」

「そうだな。同じ真宗では高田派の方がまとまりが出ているかもしれん。本願寺は昨年から斎藤宗雄に協力していたが、今年の一揆は早い段階で六角と和議を結べた分早めに叩くことができた。」


 転生して初めて知ったが浄土真宗と本願寺はイコールではない。この時代は本願寺派と高田派が主にあり、勢力争いをしているそうだ。そして美濃や尾張にも本願寺の寺はある。美濃で本願寺門徒が多かったのが西部の多芸たぎ郡。そこが本拠だったので斎藤宗雄は一向一揆の力を借りたらしい。割とすぐにこれは鎮圧できたけれど。洪水で生活が苦しいからこういうことが起きるんだろう。


「法華宗(日蓮宗)の御坊様が大勢父上を頼りに来られましたが。」

「六角との和議が京に伝わっていたからな。京を追われた者の多くは摂津と堺に逃げ込んだが、こちらにも一部が逃げ込んだわけだ。」


 六角氏の援軍を受けた比叡山は6万の大軍で法華宗の宗徒を攻撃した。結果二十一本山と呼ばれる主要な法華宗の寺は全て焼かれ、法華宗徒も多く殺された。しかも本山を焼いた火が周辺に燃え広がり、下京一帯と上京の一部が焼かれたらしい。一部では応仁の乱の時より被害が大きいとか。


「当家は亡き父上が妙覚寺にいたことやお前が日顒にちぎょう様を助けた縁もあり頼りにされるだろう。すぐは無理だが戦の後始末が終われば頼られることもあるかもしれんな。」

「いつも思うのですが、仏様に御仕えするのに武器は必要ないと思うのです。」

「僧兵は肉を食い酒を飲み人を殺す。正に末法まっぽうの世そのものだ。なげかわしい。誰か叡山に一泡吹かせてくれる者でも現れんものか。」


 史実では僧兵を抱えて特権化したらしい比叡山と高野山を信長が焼いた。本願寺も有名だが調べるとほとんどの寺院はこの時代僧兵を抱えている。

 農民も武装していて、商人も堺などは兵を雇っていて、寺にも神社にも兵がいて。そりゃ乱世も終わらないでしょうよと。信長と秀吉と家康の苦労がしのばれる。頑張ってほしい。

 叔父も自分でやったら罰が当たると思っているからやらないだけで、誰もがこの時代(あいつらなんとかしてくれ!)と思っている。


「話を変えよう。今川で動きがあった。3月に当主の今川氏輝と弟の彦五郎が死んだそうだ。寿桂尼じゅけいにが京から戻っていた栴岳承芳せんがくしょうほう還俗げんぞくさせて当主にしようとしている。しかし福島氏が一族の血を引く玄広恵探げんこうえたんを還俗させて当主にすべしと主張していて話し合いの最中らしい。」


 今川ってこの頃はあまり安定してないのか。今川義元はいつ出てくるんだ。


栴岳せんがく承芳は京の公方様に偏諱へんきを受けて今川義元を名乗るらしい。どうなるかわからぬが、東が不穏になれば尾張の目は三河に向くだろう。三河は今、松平清康(きよやす)が家臣に殺された影響で混乱している。」

「となると、弾正忠だんじょうのちゅう家との交易も安定しそうですね。」

「今のこちらを敵にする気はなかろう。なれば津島との交流で紙と石鹸が売れる。洪水と戦の被害も取り戻せよう。」


 今川義元は元々お坊さんだったのか。兄2人が死んで急きょ当主になったことになる。とすると話し合いがうまくいくのか。松平清康が死んだとはいえ、織田弾正忠家の信長の父親信秀はどこまで勢力拡大できるのか。歴史がわからないとこのあたりが困るな。


「朝倉の元にいる政頼様が出家したそうだ。恵胤えいんを名乗るらしい。名目上、あちらの守護家は先日大桑(おおが)城にこもった御嫡男が次郎頼純(よりずみ)として元服し家督を継ぐらしい。」


 土岐次郎頼純。数えで13歳だそうだ。去年から今年にかけての大桑城攻めで奮闘したのもあって、城は落とされたものの評判が良く父親が体調を崩したこともあって家督を継ぐことになったらしい。父親は頼芸様に守護を奪われたから再度の任命より子供の方が可能性が高いと思っているのか?よくわからん。


「これから如何するか。兄上は朝倉がこちらに攻めて来ることが無き様、大野郡司と本家の離間りかんを狙うと言っていたが。」

「大野郡司というと、先日攻めてきた朝倉の大将をしていた?」

「そう。朝倉景高(かげたか)だ。元々主家の兄とは折り合いが悪いらしくてな。越前で当主の孝景の不信感を一部の家臣があおっているそうだ。景高が独立しようとしている、と。」


 マムシぶりは相変わらずのようで。当主の朝倉孝景も大野郡司の景高も元々お互い良いイメージがないようで良い感じに一乗谷が不穏らしい。

 父は息を吸うようにはかりごとをしている。否、謀をしていないと生きていけないかのようだ。24時間365日働けますか?いいえ過労死します。


「幕府の頼芸様守護任命に朝倉孝景が異議を申し立てたそうだが、そもそも今の幕府は権力争いが二重三重に行われていてそれどころではない。そして景高次第でそのうち美濃に手を出す余裕もなくなるだろうよ。」


 叔父上がこらえきれず笑う。なんで父といい叔父といいこんな悪どい笑顔になるんだ。笑顔が遺伝してないかそのうちちゃんと確かめないといけない。鏡を調達しなければ。


「細川管領は本願寺が制御できず京から逃げ出した。最近は中嶋の本願寺を壊滅させた木沢長政の方が勢いがある。だが公方様が頼みとしているのは近場で最も多くの兵を動かせる六角定頼。ここに先日幕府に復帰した三好利長(としなが)が絡んできている。」


 管領細川晴元は一連の不始末とそもそも公方様と対立している事が多い関係でうとまれがち。最近活躍している木沢長政は元々河内守護畠山氏の家臣でしかない。そして近隣で最も兵力を多く持ち、公方様の信任が厚いのが京の都より北近江が気になっている六角定頼。

 そして四国の三好利長が復帰し管領の後ろ盾になりそうということらしい。だからいつになったら三好長慶(ながよし)は出てくる。それとも年齢的にこの利長が長慶か。


 ♢


 最近の楽しみは月に5日ほど夕方に打つ囲碁だ。領地の見回りやガラス作りに模型作りもあるのであまり時間がとれないブラック企業斎藤氏だが、囲碁は武家のたしなみらしく推奨されている。もう1つ太守土岐頼芸様から推奨されている和歌は……うん、まぁ人には向き不向きがあるからね。


 最初は傅役相手にやっていたが、前世でアマチュア三段までとった実力かこの時代のルールに慣れるとあっさりと勝てるようになり、今ではあまり相手をしてくれない。

 逆に将棋はあまりやったことがないのでかなり弱い。皆には将棋ならやると言われてしまうレベルで弱い。美濃囲いしか知らないのでいつも王が引き籠ってばかりだと散々言われている。

 そこで、先日雇ったさちの囲碁を鍛え始めたらいい感じに成長しているので最近は彼女としか打っていない。幸は話すのが苦手なおっとりした娘だが、対局の間はあまり話す必要がないのも気に入った理由なのかもしれない。

 この時代はまだ互先で置き石なしという始め方がないらしい。実力差があるので幸とは普通にハンデに置き石をしているが、互角の相手だとお互い星に石を置いてスタートするのだ。違和感しかない。


「若様、このままだと……。」

「気づきましたか。何もしなければそこの一角は危ないですね。」

「目が2つ。ここ。あとは……。」


 悩む幸の様子を見つつ、詰碁つめごの問題集はそういえば聞かないことに気づいた。囲碁の指南法自体はある。囲碁の作法も決まっていて、囲碁をやりたいと父に言ったら最初に寺の御坊様にその作法を教わることになった。

 あと、棋譜きふを残す習慣がないと言われたので棋譜帳を作ることにした。他の囲碁・将棋好きな人でも強さにかなりムラがあるのはこの棋譜文化がないせいだと思う。先人の技が寺の中で口伝でしか受け継がれないために自学自習で上手くなれる土壌が限りなく少ない。


 美濃和紙の生産が上向けば棋譜文化も根付かせられるかもしれない。信長も囲碁好きだったと聞くし、是非一局打って信長との棋譜を後世にのこしたい。


「ここ。」

「む。」


 まずい、うまく生きられてしまった。ちょっと劣勢だから本気出すか。

 たまに良い手を打ってこちらがうなると彼女はほんのり微笑む。最近になってようやっとそれがわかるようになってきた。

 豊は快活だからコミュニケーションがとりやすいが、幸は最初苦労した。囲碁は2人だけのコミュニケーションツールになりつつある。


「厳しい。」

「まだまだ負けてあげるわけにはいかないからね。」

「頑張る。」


 相手とのの境界争いに今までより強く踏み込む。なんとなく仲良くなるのにもう一歩踏み出したような感覚にもなる。


「ありがとう、若様。」

「いきなりどうした。」

「……なんか、言わなきゃって、思った。」


 うかべていた笑顔に、今まで少し朧気おぼろげだった彼女の内面が見えた、掴めた気がした。

囲碁も将棋も棋譜が残り始めたのは17世紀初頭と言われています。有名な本能寺の三コウも後世のものの可能性もありますが実情は不明です。この時期には間違いなく存在しません。

ヒロインは少しずつキャラが見えてくると思います。


今日2回目の更新は16時半頃を予定しております。

遅くとも18時までには投稿する予定です。

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