第10話 近江和議と守護土岐頼芸 その2
近江国 鎌刃城・大広間
長井左近大夫規秀は末席に静かに座って始まるのを待っていた。
上座に足利幕府
内訳は
浅井方
・浅井亮政
・京極高明
・朝倉孝景
・土岐次郎政頼
六角方
・六角定頼
・六角義久
・京極高慶
・揖斐五郎光親
・長井左近大夫規秀
中立(寄りの六角方)
・大館尚氏
・京極高清
という構図である。
最初に口を開いたのは大館尚氏である。幕府の重鎮にして今年82歳ながら眼光今だ鋭い老将である。
「では、先日話し合った通り、京極氏と六角氏で和議を結び、この城を境目として両家の支配地を確定するということで。相違ありませんな?」
「「異議なし。」」
複数の声が響く。この和議は格の問題で京極と六角で結ばれる。浅井では
「では、これに付随する条件として、
一、幕府は京極近江半国守護に京極高清を任じ、その職を退いた場合次は高慶と高明が相談の上跡を継ぐ
一、浅井亮政は養子として六角義久の子猿夜叉を迎える
一、猿夜叉が元服後、近江守護代に任ずる
一、多賀定高は浅井亮政に謝罪し浅井家傘下に戻る
一、以上の約定が果たされるよう、三家が努力し、それを幕府と朝倉・土岐両家が助ける
といたします。異議はありますかな?」
「「異議なし。」」
ここに至るまでに話し合いは終わっており、和議はトントン拍子に進んだ。
「他に条件など追加すべきという意見はありますかな?」
全員が顔を見合わせながら顔色を窺う。ここで誰かが何か言い始めると和議が破談になりやすいので、全員が緊張感に包まれる。
数瞬の後、大館尚氏が大きく息を吐いて、
「では、これにて和議は成りました。紙に
その言葉で、一気に場の空気が
浅井とすれば国人衆から正式に一つ上の家格と認められたという利を得た上、一度離反した国人に謝罪させて自分の下に再度組み込むことができた。
六角とすれば北近江での優勢と一族を有力者の後継に送り込めた、ということで、決して双方に損は大きくない。京極も半国守護として名は残した。実はそもそもこの数年で失っているだけに、京極高清にとって名だけでも残って良かったと言うべきだった。
「では、養子に入る猿夜叉殿を呼ぼうか。呼んでまいれ。」
「はっ。」
大館尚氏が声をかけると、六角の家臣が1人部屋を出て行く。彼の父親にあたる六角義久が浅井亮政に上機嫌に話しかける。
「猿夜叉は物静かで書物が好きでしてな。公方様にもいくつか写本をいただいたほどの
「それほどの
お互い声は笑っているが、浅井亮政の目は笑っていない。彼からすれば守護代のためとはいえ、六角の息がかかった家臣も家に入ってくるのである。損得勘定から養子を受け容れたとはいえ、複雑な思いもあった。
空いた
「皆様お初にお目にかかります。六角義久が子、猿夜叉にございます。」
真っ青な顔色で震える声を抑えながら口上を述べた猿夜叉は、そのまま顔を上げることなく固まっている。
「おお、そなたが猿夜叉か。いやいや聡明さが顔から
浅井亮政は先ほどまでと違い、心からの笑みにしか見えない顔で彼に近づくとその手を取った。
「では、約束通り来年早々に元服としましょう。名は義久様の一文字とそれがしの一文字でという話でしたな。」
「左様。義久の久の字と亮政の政の字で久政と名乗るのだ。」
「では、この後小谷城に向かうということで。既に住む場所も用意しております故。」
浅井亮政と猿夜叉と六角義久は和議に署名すると部屋を出て行った。彼らにとって一番重要なのはここまでである。そして、左近大夫と土岐氏にとって重要なのはここからである。
「さて、美濃の守護職と守護代の件でしたな。」
最初に口を開くのはやはり大館尚氏である。
「その件につきまして、我が主土岐左京大夫
「左近大夫よ、それはどういったものか申してみよ。」
六角定頼が左近大夫を促す。揖斐五郎光親は基本的に話に参加しない様子だ。
「はっ。実は我が主は、政頼様に
「どういうことだ。」
怪訝そうな顔で土岐次郎政頼が左近大夫の顔を覗き込む。政頼からすれば自分を美濃から追い出したのは新九郎の父で亡き西村正利である。その言葉を疑うのは当然といえる。そんな政頼に左近大夫は今にも泣きだしそうに見える表情で答える。
「頼芸様も御兄弟で争い続けたため、美濃の地が荒れてばかりなのに御心を痛めておりまして。」
「洪水の話か?それは守護を追い出したそなたらの不徳に天が怒っておられるのであろう。」
「そう。わしの至らぬがためにこのような状況になったといえます。そこで、政頼様にお戻りいただき、公方様に次期守護に頼芸様を任じて頂けないかと思いまして。」
「ほう。我らを巻き込むか。」
「妙覚寺からも公方様にお願いしていたと思いますが、公方様を困らせてはいかんと思いましてな。頼芸様の後は、政頼様の御子に継いでいただく形で幕府がまとめていただけないかと。」
大館尚氏からすれば、守護の争いを幕府が治めたというのは幕府の権威復活に都合がいい実績である。事前に話がなかったとしても、悪くない話であった。
「公方様には事前にお伺いをしてある。」
「して、いかがでしょうか?」
「幕府としては、その提案問題ないと思っている。元々実効支配している頼芸殿に美濃守護を与えてはどうかという話にはなっていたのでな。これが穏便に収まるならそれにこしたことはない。朝廷も正式に左京大夫と美濃守任官を考えているようだし、の。」
次郎政頼からすれば、一応でも守護として美濃に帰れるのは魅力である。このまま朝倉氏に身を寄せていても美濃に帰るのに時間がかかるのは間違いない。
「……わかった。余は美濃に戻ることにしよう。大桑の城は息子に受け取りにいかせる。」
「……兄上たちがまた争わずに共に歩める日が来るとは……良かった……。」
次郎政頼の言葉に、それまで口を出さなかった揖斐五郎は感極まって瞳を
マムシが主人公なお話でした。前時代の戦国大名は調べれば調べるほど大体チートです。
浅井久政は異説で六角養子説があるのですが、全体として養子の方が物語作る側としては整合性がとりやすいので採用しております。