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黒騎士 家族と過ごす

 茶色と白とモスグリーンを基調とした、落ち着いた家族が集うリビング。ベージュのソファに置かれたふんわりとしたクッションには、美しい刺繍が施されている。デフォルメされた樹木や花の刺繍は、全て目の前の夫人が刺したものだ。


「そう、あなたが自分の意思で決めたのね?」


 剣の師匠であるアレクサンドル・ヴァラニータの愛して止まない細君であるレイラ夫人は、刺繍を刺しながら言った。

 その声は落ち着いていて、怒りはもう感じられない。


 王城での手続きが全て終わってから、その後面倒を見てくれるという師匠夫妻の暮らすタウンハウスへ送り届けられた。その時に出迎えてくれた夫人は笑顔だったけれど、お怒りだった。相当にお怒りだった。


 笑顔で怒っている人の方が恐い、と立て続けに学んだ。


「はい」


「あのお方に強要されたのではないのね? 脅迫されたり、言いくるめられたわけではないのね?」


「はい」


 レイラ夫人の言う〝あのお方〟と言うのは、名実ともに私の旦那様となったヨシュアのことだ。

 私を実の娘のように想い育ててきた夫人にとって、ヨシュアは娘を長い間放置して苦しめ傷付けた〝クソ野郎〟なのだそう。同じ黒騎士を支える白魔法使いとしても思う所があるらしく、ずっと当たりは厳しい。


「…………あなたが自分で考えて決めたのなら、いいわ」


 プツッと刺繍糸が切られ、木製の刺繍枠が外された。レイラ夫人が刺繍を刺して形を整えたのはオフホワイト色のブラウスで、襟や胸元に見事な刺繍が完成されている。

 きっとこのブラウスは私の荷物鞄の中に入れられることだろう。ありがたいことだ。


 この国の宰相であった夫はその職を辞する。その為の引き継ぎがここ数週間に渡って行われていて、それもここ数日で完了する予定だ。


 引き継ぎが終われば、夫と私は師匠夫妻のハウンハウスを出てグランウェル侯爵家の領地にある小さな街へ平民の白魔法使いとその妻として移住する。

 師匠夫妻と一緒に過ごせるのも残り僅かだ。


「ありがとうございます」


「リィナ?」


「今回のこと、レイラ夫人が動いて下さったことから始まりました」


 私の所在不明を知り、当時宰相職にあったヨシュアに対して直談判をして平手を喰らわせた。それも全て私を心配したからこその行動だ。


「心配して下さって、ありがとうございます。探して下さって、ありがとうございます。私の境遇に怒って下さって、ありがとうございます」


 正面のソファに座るレイラ夫人に深く頭を下げた。

 こんな風に世話を焼いて貰えるのも、心配して怒って貰えるのも幸せなことだ。


 私には血の繋がった家族の思い出がなにもない。

 とある伯爵領の小さな田舎街で、果樹農家をしている両親と父方の祖母と四人暮らし。母のお腹には弟か妹が育っていたらしい。


 私が二歳の時に疫病が流行した。病は近隣にあった三つの村や街で猛威を振るい、九割の住民が亡くなった。その時、私の家族や親戚は命を失い、私だけが助かった。


 血縁の全てを失って孤児になった私は孤児院に預けられ、五歳になると受ける魔法適正検査を受けるまでそこで過ごした。家族や親戚を亡くした経緯については、孤児院の院長先生から聞かされたことだ。


 両親や祖母のことで知っているのは、名前だけ。どんな人だったのかは全く覚えがない。


 だから、母親という存在についてはレイラ夫人のような人のこと、父親はアレクサンドル師匠のような人のことを言うんだろう、と不敬になるかもしれないと思いながらも、勝手に思ってきた。


「ここに受け入れて下さって、ありがとうございます」


 声には出さなくても、心の中で呟く〝母様〟と。


「……あなたは私の娘です。親が子の心配をするのは当然ですし、しでかしたことを叱るのも当然です。ここは、あなたの家なのです。だから、あのお方があなたの夫になったというのなら、あのお方は……私の義理の息子です」


 義理の息子、という言葉にはなにやら不満が含まれているように感じられるけれど、笑っておく。


「リィナ」


「はい」


「忘れないで頂戴。あなたは私の娘、どこでどのように暮らしていようがそれは変わりません。生活が落ち着いたら、必ず手紙を出しなさい。それから、年に何度かは顔を見せなさい」


「……はい」


「それをあのお方が拒むようなら、すぐさま離縁なさい。辛いことがあったのなら、すぐさま離縁なさい」


「ええ?」


 レイラ夫人はブラウスを綺麗に畳むと、リビングの出入り口に視線を向けた。そこに居たのは大剣を持った師匠と、困ったような表情を浮かべた夫だ。


 このタウンハウスに来てから、夫には朝晩の食事を必ず食堂で私や師匠夫妻と共に食べることが師匠から命じられている。共に食事をすることは、家族として生活する第一歩なのだそう。


 そのため、夕食前になると師匠は大剣を手に夫の帰りを正門前で待ち構えているのだ。

 大剣を地面に突き刺して仁王立ちで帰りを待つその姿は、かなりの迫力がある。普通なら帰りたくなくなるだろう。


 その程度はねつけられないようでは男として認められないとか、師匠がワケの分からないことを言っていた。師匠には辞めるよう何度かお願いしたのだけれど、ヨシュア本人が「大丈夫だ」と言うのでそれ以上口出しすることはやめた。


「……離縁だなんて、軽々しく口にしないで下さい。義母上様が仰られると、冗談に聞こえませんので」


「冗談などではありませんから、大丈夫ですよ」


「なにが大丈夫なのでしょうね。絶対に離縁などにはなりません、大切にしますので心配は無用です」


「ほほほ。どの口が言うのでしょう!」


 ヨシュアは私の隣に、師匠はレイラ夫人の隣に座る。師匠と私はどこかチクチクする会話を続けるふたりを見て、肩を竦めた。でも、不思議と嫌な感じはしない。


 レイラ夫人のことを夫は自然に〝義母上様〟と呼び、師匠のことを〝義父上様〟と呼び、師匠夫妻は自然に返事をしている。


 なんだか私よりもずっと家族として馴染んでいるようだ。私はまだ師匠夫妻をそう呼べずにいるのに。


「リィナ、いつでも帰って来て良いのですからね。ここはあなたの家なのですから、いつでも帰っていらっしゃい」


「……年に一度、ご挨拶に上がります。未だ子離れが出来ておられない、とか仰らないで下さいね」


「まあ、義理の実家を蔑ろになさるのね! 所詮は義理の関係ということなのでしょう。そのままの勢いで娘をまた、蔑ろにされてはたまらないわ」


「すでにリィナは私の妻、この家を出た身です。大切な妻の実家ですから、顔は出しますよ? 顔はきちんと出すと言っているのに、それを蔑ろにするなどと……」


 執事が夕食の準備が出来たと声を掛けてくれるまで、レイラ夫人と夫のトゲトゲした会話は続いた。こんな会話が出来るのも、後数日しかないと思うと……少しだけ寂しい。

お読み下さりありがとうございます。

次回最終話です。

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