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黒騎士 宰相と話し合う(2)

「この先の話しをしよう」


 宰相閣下の服を汚し、差し出されたハンカチをぐちゃぐちゃにした後、ようやく涙の止まった私は頷いた。


 宰相閣下から感じられた魔力と体温が消えて、少しだけ物足りない感じがする。長い間他人の体温を感じるなんて無かったから、温かさがが名残惜しい。


「まず報告することがある。私は……宰相職を辞する」


「……え?」


「それから、グランウェル侯爵家から除籍となり、貴族から平民となる」


「……えええ?」


 さっきまで泣いていた名残の涙や鼻水が一気に引っ込む。

 宰相閣下が宰相ではなくなって、侯爵家当主でもなくなる!?


「どうして……」


 そう呟いてから、ハッとした。

 宰相閣下と私の結婚は国王陛下のご命令。黒騎士と白魔法使いの関係もあって、ないがしろには出来ないものだった。


 王命に逆らうことは反逆罪に当たる。その結果、宰相閣下の母上様と妹様、侯爵家で働いていた大勢の使用人さんたちは相応の罰を与えられている。

 宰相閣下の失職と貴族籍の剥奪は、罰にあたるのでは?


「……まさか、その」


「貴族というものは常に責任が付いて回る。当然だろう? 責任を取る立場であるから、貴族という立場で居られるんだ。私は当主として責任を取ったに過ぎない。幸い侯爵家は立場も位もそのまま、叔父家族に引き継がれる。問題は無い」


 問題は大ありなように思うけれど?


「宰相職については……私のように仕事に夢中になりすぎると、補佐官たちまで家に帰る事が出来ない。通常の勤務体制にするには、私のような者はいない方がいいと判断した」


「でも、宰相閣下だからやり遂げられた仕事も沢山あったはずです」


「…………そのようなことは無い。時間は掛かったかもしれないが、仕事としてはやり遂げられていたはずだ。国の仕事はひとりで回っているわけではないのだから」


 宰相閣下は「気にしなくて良い、宰相を辞めて平民になることは決まっているのだから」と言い切った。


「そこを踏まえて、リィナ」


「はい」


「私との婚姻関係を続ける気持ちはあるか? 私は遠くない未来、平民となる。当然だが、妻であるキミもだ。貴族に離縁は存在しないが、平民ならキミが持って来た届け出書類で離縁は成立する」


 息が止まった。しばらく質問の意味を考える。

 宰相閣下との結婚を続けるか、やめるか? 


 貴族だの平民だのは気にしない、だって私はずっと平民だったから。


 すぐに〝宰相閣下のお好きなように〟と口を突いて言葉が出そうになる。それを堪え、自分の気持ちを考える。


「…………分かりません」


 それが正直な気持ちだった。


「私が嫌いか?」


「いいえ! 嫌いなわけありません」


「まあ、そうだな。嫌いになるほど私のことなど知らないからな」


 それを言ったら、宰相閣下も私のことを知らないことになるだろう。私はいつだって砦か野営地にいたのだから。


「私は……六年前、キミとの婚姻届にサインをした日。キミと穏やかな家庭を築くつもりでいた。激しい恋情などは必要ない、気持ちが激しければすぐに消える。だから、穏やかな信頼の上に好意を育てていけばいい、そう思っていたよ」


 また心臓が大きく跳ねる。

 鼓動が他の人に聞こえるんじゃないかって思うくらい大きく鼓動して、体中の血液がグルグルと駆け巡る。顔が熱くなってくるのを感じて、俯いた。


「屋敷にほとんど帰らなかった私の言葉など、信用ならないだろうけどな。けれど、本当にそう思っていた」


「……あ、あの…………私もです」


「え?」


「最初に思ったことは、お気の毒にって。国王陛下の命令ですから断ることなんて出来ない結婚相手が、私みたいな平民となんてお可哀想にと思ってました。私は見目も良くないですし、体中傷だらけですから」


 治癒魔法をかけて貰っているので、宰相閣下には手足の傷も毒で変色した肌色も見られている。さすが白魔法使いだけあって、顔に不快感を出しては来ないけれどよい気分ではないだろう。


「でも、お茶をしていた時は嫌な気持ちにはならなかったし、握手をして宰相閣下の魔力を感じたときはとても心地良かったのです。だから、仲良くやって行けたらいいと思っていました。徐々にでもいいから、信頼を築いて恋が出来たらいい。恋が出来なくても、家族としての絆が出来たらいいなと」


 正直に婚姻届にサインをした日に思ったことを話した。今までだったら絶対言えなかった、宰相閣下と上手くやっていきたかったなんて。


 でも、宰相閣下が私との結婚生活を望んでいてくれていたんだと話してくれたから、図々しいとか否定される心配もないから話せた。私は臆病者だ。


「…………あの?」


 なんの反応もないから、顔を上げれば宰相閣下の顔は真っ赤になっていた。それを見て、私の顔はますます赤くなる。


「その……その言葉をくれるということは、期待してもよいか?」


「えっと……」


「私との婚姻関係を今後も続けてくれるか?」


「……はい」


 あの時から今まで、宰相閣下と私の間にあった婚姻関係は白紙の状態だ。なにも関わりが無かった分、恨み辛みもなにもない。


 今から始まるのだから、宰相閣下との関係を築いてみようかと思う。駄目だったら、その時考えるなり別れるなりすればいい。平民の結婚は離婚が出来るのだから。


「もう貴族ではない、宰相でもなくて、私は市井にいる唯の白魔法使いになる。それでもよいか?」


「宰相閣下、私たちの結婚は書類だけのものでふたりで一緒に暮らしたこともありません。上級貴族の生活も、宰相の妻としての生活も私はしたことがありません。私たちは、これから婚姻関係を始めるんですよ。だから、最初から白魔法使いの旦那様と元騎士の妻です」


 正直に言えば、宰相の妻だの公爵夫人だのそっちの方がやれる気はしない。


 下町や小さな村の小さな家に暮らして、自分で洗濯や食事の支度をしてって生活なら出来そうだ。上級貴族だった宰相閣下の方が平民の暮らしなんて出来そうにないけども。


「そうか、そうだな。私たちはこれから、だな」


「はい」


 宰相閣下は私の傷だらけの右手を取ると、甲にキスをした。

 しっとりと柔らかい唇が手に触れて、耳まで熱くなる。


「まずは最初の一歩から始めよう。私はもうじき宰相ではなくなるし、爵位もなくなる。私のことは名前で呼んで欲しい」


「はっ……えええ? でもっでもっ」


「さあ、リィナ。名前で呼んで。ほら」


 その後、名前で呼べるようになるまで数時間、ねちねちと虐められた。顔から火が出て、心臓が破裂するかと思った。

 でも私に名前を呼ばせようとするヨシュアは、とても楽しそうだった。

お読み下さりありがとうございます。

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