黒騎士 宰相と話し合う(1)
この部屋を使うように、と案内された王城の客間は豪華で広々としていた。敷かれた絨毯に足が沈むような感覚がある。
細かな細工が施されたテーブルや椅子などの家具、大きなベッドにセットされているリネンも高価なものだろうと想像が簡単に出来る。
「もっとこう、簡素なお部屋は……」
「王城にある客間では、ここが一番小さく簡素なお部屋です」
案内をしてくれた侍女さんはそう言って、王女様やご令嬢が好むような華奢なデザインのティーカップに紅茶を煎れてくれた。
座ったソファもクッションもとても柔らかくて、体が包み込まれるような感覚が……慣れなくて落ち着かない。私には木製の椅子で十分なのに。
ティーカップを壊さないようにそっと紅茶を飲んでいると、仏頂面が定着している宰相閣下が部屋に入って来て、侍女さんは宰相閣下の紅茶を煎れると退出してしまった。
私は急いで立とうとしたけれど、手で制される。
「楽にしてくれ、話しがしたいだけだから。キミを責めるつもりはないし、困らせるつもりもない。思ったことは正直に話して欲しいし、考える時間が欲しいなら時間を取るつもりだ」
「…………はい」
宰相閣下は私の隣に座ると、紅茶を飲んで息を吐いた。
「母や妹、屋敷にいた使用人たちのしたこと、騎士団事務局にいた従兄弟がやらかしたこと……済まなかった」
「いえ、あの……そのことはもういいです。法的に罰を受けていますし、ご家族様についても侯爵家や伯爵家として罰を与えられたのですよね? お金も返して貰えるそうですし、私がとやかく言うことはありません。と言うか、私の方こそ申し訳ありませんでした」
ティーカップとソーサーをテーブルに戻し、横に座る宰相閣下に体を向けて頭を下げる。
ふたりで話し合う、と決まったのなら謝罪しなくてはいけない。
監査官室長もホーキング監査官も、宰相閣下と私は会話が足りていない、ふたりで話し合えと言った。
確かに、宰相閣下と私は話をしたことがない。だって、結婚して六年間顔を合わせたこともなかったんだから、不足してるに決まってる。
私の行動は思ってもみない程大事になってしまった。今後どうなるのか分からないけれど、私自身宰相閣下とは話しをしておきたいと思う。上手くいくか分からないけど、ふたりで話し合って先のことが決められたら……いいな、と思う。
「なにを謝っている?」
「その、今回の出来事のことをずっと考えていたんです。六年前、宰相閣下と私が書類上の結婚をしてからのことを、ずっと」
港街から王都まで、長い時間があった。
監査官からの事情聴取を受けながら、グランウェル侯爵家のこと、従兄弟さんのことなども説明を受けた。そして、私は気が付いた。
「申し訳ありませんでした。ことの発端は、私だったのです」
「どういう意味だ?」
「閣下と婚姻届にサインをした後、侯爵家にご挨拶に伺いました。その時、その……侯爵夫人と妹様をはじめとして、お屋敷で働いている皆様に受け入れて貰えるとは思えませんでした」
未だにあの時のことを思い出すことがある。上級貴族と彼らに仕える貴族出身の使用人にとって、平民で孤児の私が受け入れられるはずがない。冷たくあしらわれて、二度と来るなと裏口から追い出されたことは、分かってはいてもショックだった。
「私の中では仕方がないことで、予想の範疇内の反応でした。だから、そのままにしてしまいました。あの時、私は上級貴族である閣下と孤児で平民の私の婚姻が上手く行くわけない、と決めつけました」
「……」
「監査官室長様も仰いました、何度も、あんな恐い顔をして。閣下とふたりで話し合うように、閣下に丸投げしないようにと。私はあの時、放置して逃げ出さずに閣下にご相談するべきでした。ご家族様や使用人さんたちのことについて、どうなっているのでしょうと。私があの時閣下にご相談していれば、こんなことにはならなかったでしょう」
宰相閣下の母上様や妹様は、私の給金を巻き上げてドレスや宝石を買い漁るようなことはしなかっただろう。
宰相閣下の従兄弟さんも、騎士団事務局で真面目に働いて不正に手を染めるようなことはしなかっただろう。
彼らの実家や関係者が慰謝料を払ったり、家族を切り捨てたり、領地に引っ込んだり……そんなこともなかっただろう。
「ご相談するなんて、微塵も思いつかなくて。こんな大事になるなんて、夢にも思っていませんでした。……本当に、申し訳ありませんでした」
再度謝罪すると、大きな体に包まれた。宰相閣下に抱きしめられている?
「私の方こそ、済まなかった」
宰相閣下から感じられる魔力は温かくて、じんわりと体に馴染む。
ここ数日、ずっと宰相閣下の治癒魔法を受けているから、よく分かる。この方の魔力はとても心地良い。
「屋敷には滅多に帰らなかったが、帰って来た時にキミが屋敷に居たことは一度もなかった。その都度キミの所在を母や執事に聞いたが、いつも答えは〝討伐任務に出ている〟というものだった」
え? この方が私の存在が屋敷にあるもの、と思っていたことに驚いた。
確かに侯爵家で暮らすように、とは言われけれど本気だったとは思っていなかった。
宰相閣下の腕の中で身じろぎすれば、少しだけ腕が緩み宰相閣下の顔を見ることが出来た。
思っていたより距離が近くて、心臓が大きく跳ねる。
「キミは黒騎士だから、討伐任務に就いていると言われればそうかとしか言いようがなかった。だが、何年も一度も屋敷で会わないなんて……それは流石におかしなことだ」
「……宰相閣下」
「私の元に、キミの同期である黒騎士たちから手紙が届いていた。キミと連絡が取れない、年末年始のパーティーで一度も会えていない、どうなっているんだと。その手紙も、ここ最近確認したばかりで……何年も放置していた」
仕事が忙しくてお屋敷にも帰らない宰相閣下が、個人的に送られてくる手紙を後回しにするのは仕方がないことなのかもしれない。
まあ、それでも年単位で放置してるなんて、あり得ないことだとは思う。
「キミが屋敷にいないことを不信に思って騎士団事務局に問い合わせていれば、キミの異常な勤務体制についてはすぐに分かったはずだ。けれど、私はそれをしなかった。そのせいで……キミは長い間戦い続けることになった、白魔法使いの魔法援護もないままに。結果、体を大きく損なって退団だ」
私が一年中どこかの砦だったり、野営をしながらだったりしながらドラゴンや魔獣と戦って居たのは、宰相閣下のせいじゃなくて……そういう風にスケジュールを組んだ従兄弟さんのせい。それに、〝黒騎士になったんだから、戦うのが仕事!〟といつも戦う生活について不思議に思わなかった私自身のせいでもある。
「……大変だったな。必要のない苦労も沢山させた。だが、街や民衆を守ってくれてありがとう。この六年、魔獣やドラゴンの被害が下降傾向にあったことは確認出来ている。キミのお陰だな」
胸の奥が熱くなった。
騎士になった以上、戦う術のない人たちを守るために魔獣やドラゴンと戦うことは当たり前だ。
討伐することで魔獣が街に入り込んで人を襲うことも、家や畑を荒らされることもなくなる。皆が平和に暮らして行ける。
それは理解してる。
皆が平和に穏やかに暮らしてる、その生活を守っているんだって。
でも、誰もそれを認めてはくれなかった。
戦うことは当たり前、傷付くことも当たり前、戦えない人たちを守ることも当たり前。
「キミを労ることが出来ずにいて済まなかった。本当にありがとう、感謝しかない」
宰相閣下の言葉は私の心に染みる。魔力だけじゃない、欲しかった言葉が染み入る。
私が戦って来たことは、無駄じゃなかった。ちゃんと結果に出ていたんだ……そう思えたら、目の前にある宰相閣下の顔が大きく歪んだ。
再度抱き寄せられ、宰相閣下の肩口に顔を埋める。
目から溢れた涙は宰相閣下の高価そうな服に染み込んでしまったが、抱きしめられていては身動きも取れない。次から次へと零れる涙は服の染みを広げたけれど、宰相閣下は気にする様子もない。
ただ私を抱きしめ、腕や背中を優しく摩っている。
それがあんまりにも心地良くて、私は涙が止まるまで宰相閣下の腕の中にいた。
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