黒騎士 監査官に説得される
小さな港街サンターラを出発して、王都まで馬車で十日ほどかけて戻って来た。本当なら七日か八日で戻れる所を、十日かけたのは私の体調を鑑みて……という理由と、今までの経緯を説明して私から話しを聞き出すためだった。
まさか、私の行方を王命で探されていたとは夢にも思わなかった。平民の騎士団を去った元騎士を、国王陛下の命令で王宮監査室が探すなんて、あり得ない。
更に私の騎士団での待遇だったり、侯爵家での扱いだったりに問題があって対処と処罰が行われたとか。同期の貴族令嬢たちが私を心配してくれていたとか、師匠夫妻と兄弟子も心配してくれていたとかも寝耳に水だ。
そして一番驚いたのは、宰相閣下と私の離縁が成立していなかったこと。なんと、貴族の婚姻は基本的に離縁が出来ないんだとか。
「あのですね、貴族の婚姻というのは契約です。例えば共同事業を行うとか、縁続きになることで得られる人脈の確保とか。本人同士の気持ちなんて二の次三の次っていうか、どうでもいいってされるのが一般的です」
ホーキング監査官も子爵家の出身で、ご両親はお互いの領地に関係する土木事業の関係で戦略結婚したのだとか。その手の契約は家同士の契約、離縁などあり得ないものらしい。
「誰でも行ける役所で手に入る婚姻届や離縁届は、庶民の方専用です。貴族の婚姻はそんな簡単なものではありません!」
しかも、国王陛下の命令で宰相閣下と私の婚姻は成されたもの。紙切れ一枚でどうにか出来るものではなく、私が宰相閣下に送った離縁届はそのままなかったことになったらしい。
「閣下も認識が甘かったのですけど……リィナ殿、あなた様は認識がほぼなかったとは驚きです。黒騎士と白魔法使いの関係、全然分かってなかったですよね」
呆れた様子のホーキング監査官だったけれど、私を見捨てることなく諸々の説明をしてくれて、私の拙い話しもきちんと聞いてくれた。
私から聞いた話しはホーキング監査官が書類として纏め、正式書類として監査官室から国王陛下へ報告される。
報告後、国王陛下が私と直接話しがしたいと仰せになれば……謁見となる。報告書で満足されれば、その後のことは宰相閣下と話し合いになる。けれど、まずは師匠夫妻が身元を預かることが決まっているらしい。
「師匠夫妻に……」
「ええ、ヴァラニータ卿ご夫妻です。リィナ殿にとっては師匠夫妻で、育ての親のような存在ですよね。閣下にとっては義理のご両親のような」
今回のことでレイラ夫人は宰相閣下に平手をくらわせたと聞いて、相当お怒りなんだと想像が付く。顔を合わせた時、どんなに怒られるだろうかと想像すると……王都にのこのこ帰って来るんじゃなかったと思う。
「まず、王城に入りましたら監査室へ。我が敬愛する上司殿と、黒騎士団長に面会してリィナ・グランウェル夫人が無事発見され、王都に戻ったと確認されます。数日は王城の客間をご用意してますが、その後はアレクサンドル・ヴァラニータ卿がタウンハウスで面倒を見て下さるそうです。細かな事務処理はこちらに任せて、王城に滞在する間に……おふたりで今後どうされるのか、を相談されてはいかがでしょう」
ホーキング監査官に、ふたりの今後と言われ隣に座る宰相閣下を盗み見た。相変わらず宰相閣下はムッスリとした顔のままだ。
「おふたりはどう見ても会話不足です。ちゃんと腹を割って、素直に、正直に、お話されることを個人的にはお勧めします」
「はあ……」
我ながら気のない返事をしたものだと思っていると、ホーキング監査官は肩を竦めて笑った。
「ふたりのことなのだから、ふたりで話し合って決めるべきです。だって、夫婦なのだから」
宰相閣下の手が私の右手をぎゅっと握った。それは洋服の中に隠れていたから、ホーキング監査官には見えないはず。けれど、そんなことをするなんて全然思っていなかったから、またこっそり宰相閣下の顔を見る。
でも、こっそりと伺った宰相閣下の顔は変わらず不機嫌全開の仏頂面だった。
十日間の旅を終えて王城に入り、監査官用の客間で監査室室長殿と黒騎士団長と面会した。
まずは、誰にもなにも言わずに王都を出て行ったことをネチネチとしつこい位に叱られた。
「子どもでも行き先を親に言ってから遊びに行くものです。それを、あなたという人は……」
「大人でも旅行先、どの位屋敷を不在にするかは屋敷の者に伝える。あ、帰る屋敷が無いとか言うなよ? おまえは師匠夫妻と宰相閣下に、ササンテで三ヶ月くらい温泉療養してきます、とかって伝えてから出かけなくちゃいけなかったんだ」
とふたり揃って、私を子ども以下であると叱った。
すみませんでした。こんな大事になるなんて全然思っていなかったのです。
その後、おふたりとも私が無事であったことを喜んで下さり、黒騎士団内部で行われた不正についての謝罪を受けた。
先に馬車の中で宰相閣下の従兄弟殿が私の給料を侯爵家に送金して、任務内容を違法に調整していたと聞いたときは驚いた。でも、すでに騎士団法で裁かれて罪人を収容する、刑務所に収監されていて……もう終わったことにとやかく言うことはない、と受け入れた。
宰相閣下の母上様や妹様のことも、侯爵家で働いていた使用人さんたちのことも聞いたけれど、そうですかと言う以外になかった。
どこか現実味がなくて、他人事のように思える。
だって、私は全てを「こんなものか」と受け入れていたから。貴族社会(騎士だって貴族社会の一部だ)に入った平民に対する扱いなんて、こんなものだって思っていたから。
「今後のことについてですが、今回の顛末については陛下に報告をします。……おふたりの今後については、陛下から何らかの命があるかもしれませんが、基本的にふたりで話し合って決めた内容が優先されます。しっかりふたりで話し合って下さい」
上級貴族の夫と平民の妻、なんて私の中では形だけのものだ。夫婦のことだから、ふたりで話し合って決めるなんてあり得ないこと。
「ええと……宰相閣下のお好きになされば良いかと思います」
そう言うと黒騎士団長は頭を抱え、監査官室長は口元をヒクつかせた後、輝くような笑顔を浮かべた。でも目は全く笑ってなくて、背中に冷たいものが流れる。
「ふたりで、話し合うよう、言いました。今、言いました。聞こえてましたよね? 聞こえませんでしたか?」
「……聞こえて……いました」
「話し合って下さい。リィナ卿、あなたは自分の希望を正直に話して下さい。考えたことがないのなら、今から考えて下さい……閣下に丸投げにしないように」
「は……い……」
「約束を破ったら…………ね?」
笑顔のまま発せられた妙な圧は、戦場でドラゴンを相手にする時よりも強く、息苦しく感じられた。恐い。
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