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宰相 上の判断を聞く

 宰相執務室には宰相のデスクと宰相補佐二名のデスク、更に補佐を補佐する者たちのデスクが並んでいる。常にはそこに優秀な文官たちが座り、次から次へと運ばれてきて無くなることのない書類を格闘していた。


 一年中休みなく、朝から晩まで一日中働いた。食事の時とシャワーを浴びている時、仮眠の時以外は仕事をしていた。

 仕事しかしていなかった。それが間違った職場のあり方だ、ということすら分からなくなっていた。


 今、宰相室には自分しかいない。


 文官たちは休暇中だ。今頃ゆっくりと休んで、家族や婚約者など大切な者たちと時間を過ごしているのだろう。


 私が休まず働いていたせいで、部下である彼らも休暇など取れるわけもなく一緒になって働いていた。最近になって、宰相室に配属になると一年で五年分は老化すると噂されていたことを知った。

 部下たちには申し訳ないことをしてしまったと、反省している。


 コンコンとノックの音が響き、入室を許可するとここ数日で見慣れてしまった顔が目に入った。


「マグワイヤ監査官。毎日確認に来なくても、私はこの部屋から出ませんよ」


 現在、グランウェル侯爵家は監査室の監視下に置かれてる。母と妹はタウンハウスにて蟄居中で、私自身は宰相室にて蟄居中の身だ。


「監視の意味で来たわけではないのですけどね、宰相閣下」


「…………私はもう宰相を辞したはずです」


「後任に引き継ぎも終わっていない、あなた様しか裁けない仕事が終わっていないのですから、まだ辞職は出来ませんよ。辞職願は保留中です」


 マグワイヤ監査官が入室し、その後ろにティーセットと軽食を乗せたワゴンを押したメイドが続き、応接セットのローテーブルに手際よくティーセットを並べて部屋を出て行った。


「朝食も昼食も抜かれたそうですね? 宰相閣下が仕事の虫であることは聞いておりましたが、実際に目にするとその異常性がよく分かります」


「異常性、とは?」


「休むことも食事も最低限、仕事ばかりしていて自宅にも帰らない。それをおかしなことだと思わない。異常ですよ」


 オマエがそうしていたから、オマエの部下もみんな異常。そう言われた気がした。

 体調を崩した者もいるし、家庭が壊れた者も、婚約が破談になった者もいたそうだ。


「ま、終わったことです。軽く食事をしながら、諸々決まったことの報告を聞いて頂けますか?」


 引き継ぎ用に纏めていた書類を整えると、ソファに座り紅茶を口にした。果物のような甘い香りがする紅茶だ。食べるように、と寄せられた皿にはハムやチーズの挟まったサンドイッチが沢山盛り付けられていた。


「……さて、どこからお話したものでしょうか。閣下の気になる所からお話しましょうか、お母上と妹君のことから」


 母と妹はグランウェル侯爵家のタウンハウスで蟄居していたはずだ。


「公式に彼女たちが犯罪を犯したわけではありません。リィナ卿の稼ぎを自由気ままにお菓子やドレス、宝石購入に使っていたことですが、リィナ卿がグランウェル侯爵家の人間で家に給金を入れていた、という形になっていますからね。横領でもなんでもないわけです」


 後日改めて見た母と妹の衣装部屋には、ドレス、靴、鞄、帽子、髪飾りなどの宝飾品が入りきらない程に詰め込まれていた。


 母には一定の額でドレスや宝飾品を購入するための予算を認めていた、が、すでに一線を退き夫を亡くした身。そう大きな金額を認めたりはしていなかった。

 妹に至っては嫁いだ身ゆえ、その手の予算は侯爵家からはなし。婚家で用意された予算でやりくりしていたはずだ。


 だというのに、異様に多い品々をどうやって購入したのか疑問だった。その謎も解けた、リィナの黒騎士としての給金が支払いに充てられていた、そういうことだ。


「彼女たちに関しては、閣下とリィナ卿の王命による結婚に対して……不敬罪とか反逆罪的なものになります」


「……それは」


「ですけれども、彼女たちは貴方たちの結婚が王命であるとは知らなかった。本来は知らなかったで済む話しではないのですけれども、閣下は自宅に帰ることなく仕事をしていたので、知りようが無かった。家に帰れないほどの仕事を回していたのは、当の陛下でありまして……」


 マグワイヤ監査官も苦笑を浮かべ、サンドイッチをひと口で頬張り紅茶で流し込んだ。


「グランウェル前侯爵夫人と妹君のことは、閣下より進言頂いた通りの処罰で構わないと許可が下りました」


「……ありがとうございます」


「前侯爵夫人は、シャルダイン伯爵家の領地にある修道院に生涯お入りになられる。妹君、マリーシア夫人についてはアストン伯爵より、生涯領地にて静かにお暮らしになるそうですよ。王命でもない限りは領地から出さぬと」


 緑豊かな領地で領民たちと果物や野菜の生産に力を入れながら、穏やかに暮らしている義弟の顔を思い出す。口数は少なめだが優しく気の利く男だ、気の強い妹に対しても上手く対応してくれていた。


「それとマリーシア夫人がドレスや宝飾品に使い込んだ分のお金は、侯爵家へ返金するそうです」


 彼が妹に対して、離縁もせずに領地で暮らすことを許してくれたことに感謝する。義弟と妹の間には甥がいるが、義弟によく似ている。今となっては妹に似ていなくてよかったと心の底から思う。

母も妹も自業自得の部分が大きい、反省し心静かに過ごして欲しい。


「それから、従兄弟殿のことですけれど」


「従兄弟……トミーですか」


「はい。閣下の母方の従兄弟、トミー・シャルダイン元伯爵令息のことです。シャルダイン伯爵家からは、除籍され平民となりました」


 母の生家であるシャルダイン伯爵家は、母の弟である叔父が爵位を継ぎ、三男一女に恵まれていた。トミーは三男で、四人兄弟の末っ子。


 叔父は良くも悪くも貴族らしい考えの持ち主であったので、犯罪者となったトミーを切り捨てるだろうことは想像していた。予想よりも素早い動きであっただけだ。


「彼は社会的にも犯罪を犯していますので、平民のトミーとして刑務所へ収監されます。裁判はこれからですけど、数年は出て来られないでしょうね」


 茶色味の強い金髪に淡い緑の瞳、顔に散らばるソバカスがやや年齢より幼い印象を与えるトミー。気が小さくて、几帳面な年下の従兄弟。


「……証拠はないのですけど、前侯爵夫人や妹君の会話から行動させられていた可能性が高いと皆思ってますからね。そう酷い場所には収監されないと思いますよ」


 私は俯き、小さく首を縦に降るしか出来なかった。

お読み下さりありがとうございます。

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