黒騎士 理不尽を受ける
貴族の人には逆らわない方がいい、それは私が子どもの頃からの処世術だ。貴族の全員がそうだとは言わない、でも基本的に貴族は平民が嫌いで、なにかあった時の責任はいつだって平民になる。
師匠夫妻や兄弟子、同期の黒騎士たちはそうじゃない……彼らは私に対して優しくしてくれたし、同じように扱ってくれた。でもそういう貴族は少数派なのが現実だ。
理不尽でも、私が頭を下げれば問題が解決するならその方がいい。
頭を下げ続けると、なにかが頭に当たって床に落ちた。
床に落ちた物は、青いドレスの婦人が持っていた華奢な扇。どうやら私に扇を投げ付けたらしい。
「本当にね、ろくでもない騎士もいたものだわ」
さっきまでと声が違う、これは緑色のドレスの婦人の声だろう。
「それになんです、その汚らしい傷に肌の色は……もしかして、なにかの病気じゃないのかしら?」
着せられた夜着から見える私の手足は傷だらけで、変色していて気分を悪くする人もいる。
心の底から嫌そうな声だ。まあ、それも当然のことだと今までなんども言われて来た。
体についた傷だけでも気持ちが悪いと言われて来たのに、毒で皮膚が変色してからは常に隠して来たけれどチラッと見えるだけで罵られた。これは毒の影響でなったもので、他人に移ったりしないものだけれど、ぱっと見は移りそうに見える。
「病気……!? いやあっ、そんな汚らしい体で郷の温泉を使っていたって言うの! お客様に移ったらどうしてくれるのよっ」
顔を上げれば、青いドレスの婦人は半狂乱になっていた。
「この郷を潰すつもり!? この郷に暮らす人たちを路頭に迷わせて殺すつもりなの、貴方!」
「落ち着きなさい、マーシャ」
「……お姉様、でもでも!」
郷を案じて泣きじゃくるマーシャ婦人とそれを慰める姉君の姿を、私はぼんやりと見つめた。豪華なデイドレスに身を包んだ、高貴なお生まれの貴婦人がふたり。それはまるで演劇のワンシーンのように見える。
「リィナさんと仰ったかしら」
「はい」
「この郷から出て行って下さる? ここは温泉の郷として名を馳せているの、高位貴族の方も大勢利用する郷なのよ。貴方のような、素性も確かではない騎士崩れの方が滞在して良い場所じゃない。わたくしはここに暮らしている訳ではないけれど、大切な妹が嫁いだ大切な郷。理解して頂けるかしら」
声をあげようとするメアリさんを再度手で制して、「かしこまりました」と頭を下げる。
これでいい、これで私が郷から出て行けば全てが丸く収まる。
明日から始まるお祭りに、貴族街の最奥にある美しい公園が使えないのは痛手だけれど、他の場所は美しく飾られて、美味しいお菓子や食事にお酒も用意されてる。きっとお祭りは成功する。
「出立はお早めに、お祭りが始まる前には出て行ってちょうだい」
マーシャ婦人とその姉君は寄り添うように診療所を出て行った。
ドアベルがまたチリンチリンと鳴って、そのベル音が消えるまで私は頭を下げ続けて……大きく息を吐き出した。
「……リィナ、この馬鹿者ッ! 大馬鹿者!」
ずっと言い返したいのを我慢していたらしいメアリさんは、私の肩を押した。私の弱った足はもう踏ん張りがきかなくて、そのままベッドに尻餅を付くように座り込んだ。
「メアリさん、すみません」
「アンタが謝ることなんて、ひとつもなかったはずだよ!」
「でも、郷に魔獣が侵入して綺麗に整備された噴水公園が滅茶苦茶になったことは、事実ですから」
「魔獣避けランタンへの魔力供給の順番は、警備隊と若旦那が相談して決めていることじゃないか。ランタン保守の責任者はマーシャリーの夫である若旦那だよ。リィナの責任のはずがない」
メアリさんは私の変色した足に躊躇いなく触れて、クリームを塗ってマッサージする作業を再開した。
メアリさんの手は皺が多くて、多くの生薬を扱うからか指先や爪が緑色に染まっている。貴族のご婦人は汚れた手だと言うけれど、私にとっては優しくて温かい祖母の手だ。
マーシャ婦人が若旦那様の奥様ってことは、パトリシアお嬢様の母君で緑のドレスの婦人は伯母君ということか。確かに色合いも同じだったし、顔立ちも似ていた気がする。
「魔獣が郷に侵入することだって、たまにあることだよ。沢山の騎士や住民が犠牲になったこともあるんだ……死人はいない、大きな怪我をした人もいないなんて奇跡なんだよ」
クリームの柑橘系っぽい匂いが部屋に広がって、凄くいい気持ちだ。さっきまでは心を殺していたから、余計に気分がいい。
「そもそも大前提として、アンタはもう魔獣と戦えるような体じゃないんだよ。アタシらと一緒、戦う術を持たない普通の人間なんだ。それを、二頭の魔獣を戦うなんて無茶をして……」
膝のお皿にぽつんぽつんと雫が落ちた。冷たいはずのそれは、酷く温かく感じた。
「ありがとう、メアリさん。私、後悔してないのですよ? 公園は壊れちゃって申し訳ないけど、誰も傷付かなかった、誰も死ななかったから」
「リィナ……」
「元々ここには療養のつもりで滞在していて、居心地良くて長居し過ぎちゃったみたいです。そろそろ別の街に行こうかなって思ってたから丁度いいです。急で申し訳ないのですけど、私のお薬とクリームとお茶を貰えませんか? メアリさんのお薬やお茶が私には一番合ってるので」
そう言うと、メアリさんは黒い瞳に涙をいっぱい浮かべながら「よく効くのを用意するよ」と笑ってくれた。
メアリさんの手当を受け、後から治療院に来たおじいちゃん先生に再度診て貰った。
手の痺れと軽い痛みは時間が経てば治り、足の動きに関しては長い時間をかけて機能回復訓練をやり直すしかないと言われた。魔力回路は元々焼き付いていたのに、今回強引に属性を乗せた魔力を流したせいで大きく損なわれてしまったらしい。今後はランプなどに素の魔力を流すことも痛みを伴うようになって、魔獣避けのランタンに魔力を注いで回る仕事は難しくなったようだ。
温泉は気持ち良かったし、メアリさんの薬やお茶は私によく効いてくれて、ローナちゃんとアレクさん兄妹やパトリシアお嬢様、髭の隊長さんなど郷の人たちとも仲良く過ごせた……と私は思ってる。
私はここでは余所者で、温泉療養客としてお金を沢山落とせる立場でもなかったし、長居していい存在じゃない。
これは郷から出るよい機会だったんだ、そう思えた。
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