宰相 覚悟をする
便せんに書かれている文字は、やや角張っているが読みやすい文字だ。きっと真面目で几帳面な監査官なのだろうことが窺える。
「…………」
私は書き記された内容に息を呑んだ。
リィナの騎士としての給料と、ドラゴン討伐に対する恩賞のほとんどが侯爵家に入れられていたこと。リィナのドラゴン討伐数の改ざん、勤務体制の改ざんが行われていたこと。
その全てを母方の従兄弟が行っており、従兄弟が言うには母と妹からの指示で行っていたと供述していること……が記載されていた。
「……侯爵夫人、アストン伯爵夫人、おふたりの身柄をお預かりさせていただく。取りあえずこのお屋敷にて待機していて下さい、城から監視役の騎士を寄越します。よろしいですね、閣下」
異議などない、頷けば「なっなんで! どうして私がっ」「そうですよ、どうして身柄を……それに監視役の騎士なんて」と母と妹の声が響いた。
監査官殿が騎士の手配と部下への指示書をしたためている間、私は手にした手紙を折り畳み母と妹に向き合った。
「母上」
「なんですか、ヨシュア。どうしてこんなことに……あの娘のことで監視の騎士が来るだなんてありえないわ。説明なさい!」
「黒騎士団配属の事務官にトミー・シャルダインが在籍していることをご存じですよね。母上にとっては弟の子で甥だ。彼になんと言ったのですか?」
シャルダイン伯爵家は母の生家で、母の弟である叔父が当主となっている。叔母との間に子どもが四人いて、男三人、女一人。
トミーは三男で爵位を継ぐことは出来ないため、貴族学校を出てから王国騎士団に事務官として就職していた。騎士として戦えるような気概も根性も技量もなかったが、計算が得意で細かな書類作成が苦ではない、と事務官としてはそこそこ優秀だという評価を得ていたはずだ。
彼が黒騎士団の事務官になっていたことはリィナとは関係なく、おそらくは偶然だろう。
悪い偶然だ。
「なっ……なにを……」
「トミーになんと言って指示を出したのですか? リィナの給料と恩賞のほとんどを侯爵家に入れるように指示し、公文書を偽造するように指示したのですか」
私の記憶にある母方の従兄弟になるトミーは、大人しくて自己主張の出来ない引っ込み思案で小心者の男だった。自分から犯罪である公文書を偽造するような、そんな大層なことが出来る胆力など持ってはいないだろう。
「わたくしがトミーに犯罪を犯せと言った、と言うの? わたくしがそんなことをするわけがないでしょう」
母はそう言い切り、紅茶に手を付けた。その手は震えている。
「……リィナは黒騎士ですが平民出身で、私は先程初めて知りましたが母上は平民がお嫌いだ。書類上でもリィナが私と婚姻しているというのだから、給料を家に入れるのは当たり前。ドラゴン討伐の恩賞も入れるのは当たり前。名義貸し料だの迷惑料だの、そんな話しをトミーに言って聞かせたのではないのですか?」
トミーは従兄弟だが、爵位的にはあちらが下になる。しかも優秀な兄ふたりと常に比べられ、家族の中で肩身の狭い思いをしてきた方だ。だからか、小心者で卑屈ぎみなのだ。しかし、故に他人の言葉の意味を察する能力や、空気を読む能力には長けている。
彼は母の言葉の中にある真意をちゃんと汲み取り、行動に移せる能力があり、実行出来る立場にいた。そして、実行した。
「…………あの娘は書類上、我が家の者。ならば給金を我が家に入れるのは当然のことでしょう。なにか問題があって?」
「だから、トミーに言って給金と恩賞のほとんどが侯爵家に入るよう手続きを取らせたのですか?」
「そうよ」
「リィナの討伐したドラゴンの頭数を減らすように指示し、休みもなく一年中討伐任務に就くよう指示したのですか」
「…………あの娘は平民よ。薄汚い平民の身でありながら、栄誉ある黒騎士になるなんて本来ならあり得ないことです。それでも、あの娘は黒騎士になった。それならば、騎士として働くのが当然です。他の貴族出身である黒騎士様たちの分まで、身を粉にして討伐任務に励むべきなのです」
母は淀みなく言い切ると、高価そうな扇を手で弄んだ。
扇が動く度に柔らかそうな鳥の羽が揺れ、大きな宝石がきらめく。あのような高価な扇が我が家にあっただろうか?
よく見れば、母も妹も高価そうなドレスを身に纏い、大ぶりな宝石が輝く装飾品を付けている。あんなドレスや装飾品など見た事が無いし、確認している我が家の被服や宝飾品用の予算でもそう簡単に買えるとは思えない。
「その結果、母上からしたら血の繋がった甥であるトミーや他の事務官たちが犯罪者になることも、承知でそうさせたのですか?」
そう言うと、母と妹は〝は?〟と驚いた顔をした。
「当然でしょう? 騎士団には所属している騎士を守る為の法律があるのです。騎士たちは休暇をとり体を休め、体力と魔力の回復に努めなくてはならないですし、武具や防具を新調したり修理したりと装備を万全に調えねばなりません。その為の時間も確保しているのです。それを無視し、危険な討伐任務にずっと就かせていたなど……管理不行き届きとして騎士団事務局の事務官の大勢がその責任を取らされる事になるでしょう」
従兄弟は勿論だが、従兄弟の上司や黒騎士団団長も、恐らくは王国騎士団全体も大なり小なり問題視されることになる。
「そ、そんなことが……」
「お覚悟をなさるとよいでしょう。領地の叔父上と母上のご実家には私から報告します。マリーシア、おまえのことはアストン伯爵家に報告するので、伯爵の指示に従うように。最悪離縁となるかもしれないが、自業自得と受け入れなさい」
「そんな、お兄様酷いわ! 私はなにもしていないのにっ」
放心する母、泣き叫ぶ妹、青い顔のまま硬直している執事とメイドたち。そしてなにも知らず、知ろうともせずに放置していた私。
果たして、この愚か者たちが起こした事の顛末はどうなるのだろうか?
監視役の騎士たちが屋敷に到着し、情報整理と今後の行動について考えるので一度城に戻る、という監査官殿と共に私も城へ戻ることにした。
私がするべきことをするために。
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