宰相 監査官と家族の会話を聞く(1)
「さて、リィナ卿のお部屋……はありませんでしたので、彼女はこの屋敷で暮らしたことなどなかった。これに間違いはありませんね?」
監査官殿は母と妹の顔を交互に覗き見る。ふたりは青い顔をして口を引き結び、黙るばかりだ。
「沈黙は肯定をみなしますが、ご承知下さいね」
「母上、マリーシア、二人とも正直に答えて下さい。監査官殿は陛下の命令で調査をなさっている、嘘など付いては陛下に対し虚偽報告をしているのと同じです」
青冷めた顔のメイドが、監査官殿と私に紅茶を新たに煎れてくれた。先程とは違って香り高く、色も美しい。
「どうせこちらの監査官殿は、全てを魔道具で記録しておられるのでしょうし」
監査官は王宮内部にある各部署の自浄作用のため、調査報告を行う。しかし監査官も人の子、賄賂を渡されて不正をする者が出るかもしれないし、知り得た情報を元に悪さを働く者が出るかもしれない。
それを予防するために、監査官が調査に入る場合は記録用の魔道具を使って全てを記録する。その記録は裁判にも使える正式な証拠品として扱われるのだ。
「さすがは宰相閣下、よくご存じですね! 勿論、このお部屋も最初から録画していますから、心配ご無用ですよ」
監査官殿はそう言って部屋に置かれた花瓶の横にあった小さな水晶玉を手に取った。いつの間に置いたのかは知らないが、最初にこの部屋に入り資料を取りに行く、と執事と部屋を出て行った時にでも置いたのだろう。
つまり、家族だけだと思い話したリィナに対して抱いていた気持ちや、平民に対する態度などもしっかりと記録されているのだ。
私は皿に盛り付けられたクッキーを摘まみ、紅茶を飲む。
これ以上私が口を出す必要はない。
後はただ、現実を受け止めるだけ。
今までは母と妹のこと、家で働く執事や侍女たちのこと、リィナのこと、全く知ろうとしなかった。仕事のことしか考えていなかった。
だが、逆に今は知りたい。彼らがなにを思い、感じて、、どう行動したのか。私は知りたい。
「……え、ええ、そうよ。あの娘がここで暮らしたことはないわ」
母は絞り出すような声でそう言った。さすがに陛下のご命令に逆らったり、嘘を言う気はないようで安心する。
「では、リィナ卿はどこで普段生活を?」
「知りません」
「……ほぅ、仮にもご子息の伴侶となった方が、どこで、どのような生活をしているのか、気にもかけなかったと」
「どこかの下町に、部屋でも借りて生活していたのではなくて?」
「ふむ、ではリィナ卿がここに最後にいらしたのはいつですか?」
「…………ヨシュアと結婚する、と顔を見せに来た時ですわ。ですから、六年前になりますわね」
婚姻の書類を整えた後すぐ、私の家に挨拶に行きたいが家族の都合はどうか、という問い合わせがあって都合を付けたことを覚えている。あの時、リィナはちゃんと母に挨拶に来た……そして、その後一度も立ち寄ったりもしていないらしい。
「……二度と、我が家に顔を見せるな、と申し伝えるよう執事に伝えました。ですから、あの子がここに来たことはありません」
「ほぉぉ、なるほどなるほど。だからなんですね、なるほど、納得しました」
監査官殿はそう言ってひとりで納得して、首を縦に振った。ひとりで納得して貰っては困る。
「なにがですか?」
そう尋ねると、監査官殿は私の隣に座りカップを手にした。
「ああ、申し訳ありません。リィナ卿がこの屋敷にいないのですから、リィナ卿に届いた手紙に対して彼女からの返事があるわけがないな、と。お返事が〝討伐任務中にて不在〟という内容一辺倒だったことも納得しまして」
「なるほど」
「でしょう? ああ、侯爵家に対して監査官である私が来ることになった最初の切っ掛けは、侯爵家からの手紙だったのですよ」
なぜ突然グランウェル侯爵家に対して、リィナに関する監査が入ったのか。これは母も妹も執事も疑問だっただろう。その理由が手紙の返事だったと聞いて、全員が目を丸くした。
「それはそうでしょう? いつ手紙を出しても討伐任務中、なんておかしいですし。そもそも、皆様はご存知なかったようですけれど、リィナ卿は騎士団を退団されているんですよ」
「…………え」
「……嘘」
監査官殿は紅茶を飲み干すと、笑顔を浮かべた。
「やっぱりご存知なかったのですね。そうだと思っていましたよ、そうでなくては退団したというのに〝討伐任務中〟なんて、あり得ません。書類上のこととは言ってもリィナ卿は侯爵家のご夫人なのですから、彼女の立場や行動などは常に調べておくべきでしたね」
「…………それは、本当ですか? あの女はいつ」
妹は今まで母の隣で固まっていただけだったが、リィナがすでに退団していると聞いてより顔を青くした。
「本当ですよ、リィナ卿が騎士団を去ったのは五月の末です。なにかあなた様に不都合がございましたか、マリーシア・アストン伯爵夫人?」
「五月? じゃあ、そこからずっと……? え?」
妹はうつむき、小さな声でぶつぶつとなにかを呟き始めた。
一体なんだって言うんだ? 妹はアストン伯爵家に嫁いだ身、侯爵家出身ではあるがすでに伯爵家の者。親戚関係にはなるが、基本的にリィナが騎士団に所属していようがいまいが関係はないはずだ。
「……おや?」
監査官殿は応接室の窓を開けた。そこにいたのは一羽の白い鳥、開いた窓から中に入ると監査官殿の手で一通の手紙に姿を変えた。
通信魔法のひとつで、鳥の姿になって相手に届く簡易連絡手段としてよく用いられている。
「……」
監査官殿は手紙の内容を見て、大きく顔を歪めた。酷い内容であるようだ。
「宰相閣下、こちらを」
「……拝見します」
手紙を受け取り、中身を確認するため手元に視線を落とした。
お読み下さりありがとうございました。