宰相 家族の本音を聞く
応接室のソファに座り、両手で頭を抱えた。視界が黒く遮られ、己の呼吸音と心臓の鼓動が大きく聞こえる。
リィナはこの屋敷で生活などしたことがないのだ。では、いったいどこで生活していたのだろうか。どこかの借家か、騎士団の寮か。
私との婚姻届にサインをした翌日、屋敷の母や使用人たちに挨拶に行きたいが都合はどうか? という内容の連絡を貰った。だから、私は母と執事に妻となった者が挨拶に向かうことを伝え、都合を聞きリィナに伝えた。
おそらく彼女は挨拶にやって来たのだろう。そして、そこで母や使用人たちから拒絶された。
「……なぜ、なぜなんです母上? なぜリィナを?」
絞り出すように出した声は、かなり掠れていた。
すっかり冷めてしまったお茶と茶菓子の乗ったローテーブルを挟み、向かいのソファには母と妹が座っている。
「なぜ? 教えて欲しいにはわたくしの方です。なぜ、平民などを我が侯爵家の嫁として受け入れなくてはいけないのですか。彼女は平民、卑しい生まれなのですよ」
顔を上げれば、心の底から分からないという気持ちと、平民と一緒にされた怒りのような感情で顔歪めた母と、それに同調する妹がいた。
「ヨシュア、しっかりなさい! あなたは侯爵家の当主なのですよ、貴族の中でも上位に立つ存在です。貴族としての自覚を持って! あんな薄汚い平民の女などさっさと離縁して、ちゃんとした女性を妻に迎えて頂戴」
「そうよ、お兄様。あんな平民、しかも孤児だって言うじゃないの。どんな生まれなのかも分からないような人がお兄様の妻だなんて、絶対に認められないわ! 恥ずかしくって夫の家族にも、お友達にも言えないでいるのよ?」
「そうそう、ヨシュアの執務室にご令嬢たちの釣書が置いてあるの、すぐに見て欲しいわ。どのご令嬢も由緒あるお家の若くて素敵なお嬢様ばかりよ、あなたの気に入った方を教えて頂戴。ライナス殿も気になさっておられたし、彼のお勧めするご令嬢の釣書もあったはずなの」
ついさっきまで疑問と怒りに満ちていたというのに、今は少女のような笑顔を浮かべ、侍女に釣書を持ってくるように指示などしている。
「母上、私の妻はリィナです。リィナ・グランウェルなのです」
「そんな孤児の平民など、妻ではありません! 早く離縁なさい!」
母はヒステリックにリィナと離縁し、自分の認めた貴族令嬢と結婚しろと繰り返すばかり。妹も母の意見に同調し、貴族令嬢の義姉が欲しい平民なんかと離縁しろと言うばかりだ。
私は、正直に言って驚いていた。
目の前に居るのは自分を産んだ実の母親で、母の隣には父も母も同じ実の妹だ。それなのに、こんな偏った考え方を持っていた……それを今の今まで知らなかったことの驚きを隠せない。
この国には身分制度が生きていて、王族、貴族、平民と分けられている。過去には身分による厳格な差別化があったが、今は王族に関しては別格だが平民と貴族の差が縮まりつつあるのが現実だ。
王城に勤める者たちの中にも平民出身の者が大勢いるし、貴族と平民が婚姻関係を結ぶことも聞き及ぶ。
一部保守的な考え方を持つ貴族の中には、平民に対して良い印象を持っていない者もいることは分かっている。それでも、徐々にこの国の身分制度は形を変えていくのだろう、私はそう思っていた。
確かに母は古くから続く伯爵家の令嬢として生まれ育ち、侯爵家に嫁入りし侯爵夫人として勤め上げたプライドのある人だと思っていた。貴族としての矜恃と責任感をしっかり持っているのだと。
けれど、平民を卑しいと薄汚いなどと言う人だとは、思っていなかった。
最初からそういう考え方だったのか、父を亡くしてから考え方に変化があったのかどうかは分からない。
いや、知らない。母がなにを考えているのか、妹とどんな生活をこの屋敷でして来たのか。私は、なにも知らない。
「聞いているのですか、ヨシュア。マクワイヤ様がどんなご用事で我が家にやって来られたのかは知りませんけれど、さっさとお引き取り頂いて頂戴。一体なにをしに我が家に……」
応接室のドアが勢いよく開き、分厚く書類の纏められたファイルを抱えた監査官殿が入って来た。
その後ろには真っ青い顔をした執事が、同じように大量のファイルを抱えて続く。
「さて、改めまして私の仕事をさせて頂きたいと思います」
抱えていたファイルを部屋の隅にあった机に置いた。ドスンッと重たい音が部屋に響く。
「私、フロスト・ヴァル・マクワイヤ、王宮監査室の長を陛下より任されております。この度、王命を受けグランウェル侯爵家へ監査官として立ち入り調査をさせて頂きます」
女性達を蕩けさせそうな美しい笑顔を浮かべ、監査官殿は母と妹へ一礼した。
「わ、我が家への監査? 国王陛下のご命令で? 一体なにをお調べになると仰るのですか」
「それは勿論、グランウェル侯爵夫人に関する全て、です」
母と妹は息を呑んだ。そして、顔色があっという間に悪くなる。
「ご存じでいらっしゃいましたよね? ご子息、ヨシュア・グランウェル様とリィナ卿の婚姻は、王命によって結ばれた縁。本来ならこの屋敷、もしくは侯爵家の用意した屋敷で暮らしているのが当然の立場。それが、現在は行方不明になられている」
「……婚姻が王命? あの娘が行方不明、ですって?」
「はい、現在リィナ卿は所在不明です。それに、彼女の周囲には色々と不審なことが多いので、事細かに調べよとの命を受けました。義理のお母上である前侯爵夫人、義理の姉妹であるマリーシア・アストン伯爵夫人よりお話を伺いたく」
母と妹の視線が私に向けられる。どうしかしろ、助けろと言いたいらしい……が私はそれを無視してローテーブルの茶器に手を伸ばした。
冷えてしまった紅茶がやけに美味しく感じられた。
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