宰相 妻の部屋を見る
「お帰りなさいませ」
「ヨシュア、お帰りなさい。帰って来るのでしたら、もっと早くに連絡を頂戴。準備が出来ないでしょう」
「お帰りなさい、お兄様! そうですよ、お夕飯の準備だって困るのよ?」
親子三代で我が家に仕えてくれている執事、顔を合わせれば小言を言う母と妹。その後ろに数名の侍女たちが控えている、これが私が帰宅したさいのいつもの光景だ。
リィナがいたことは無い。
「ただいま戻りました。今日は客人と一緒です、失礼のないようにして下さい」
「突然お邪魔しまして申し訳ございません。私、フロスト・ヴァル・マクワイヤと申します」
貴族らしい張り付いた笑みを浮かべる監査官殿、私からすればなにを考えているのか読み取りにくい不気味な笑みだが、母と妹には違うらしい。
「まあ、マクワイヤ伯爵令息様!」とか「お噂はかねがね、陛下のご信頼も厚いのですってね」とか黄色い声をあげ自己紹介をしていた。
「監査官殿は仕事で我が家にいらっしゃったのです。母上もマリーシアも仕事の邪魔をしないようにして下さい。マクワイヤ監査官、彼は我が家の執事キャメロンです。なにかあれば彼に言って下さい」
「キャメロン・ワッツです。なんなりとお申し付け下さい」
母も妹も笑顔で頷いているし、我が家での監査は問題なく進みそうだ。進んだ先に、どんな真実があるのかは想像も出来ないのだが。
「ありがとうございます。ああ、奥様にもご挨拶をしたいのですが、いらっしゃらないのですか?」
監査官殿の言葉にホールの空気が変わった。
「ああ、リィナ様は現在討伐任務に出ておりまして、不在でございます」
「ええ、あの子は黒騎士を拝命しておりますの。ですので、この国を守るための任務に就いているのです」
そして、空気は凍り付く。
執事も母も平然と嘘をついた。
リィナはもう黒騎士ではなく、任務などない。
この屋敷か侯爵家が用意した療養場所で、怪我の治療を受けのんびりと過ごしていなくてはいけないのだ。
それなのに……
「そうなのですか、それは……おかしいですねぇ」
「いつまでもこのような場所で、こちらへどうぞ。お仕事に必要なものも準備させて頂きます」
「ありがとうございます。では、その前に奥様のお部屋を拝見させていただきたい」
監査官殿の言葉に、母も妹も執事も周囲の侍女たちまできょとんとした表情を浮かべた。
「奥様のお部屋……でございますか?」
「ええ、グランウェル侯爵夫人リィナ卿のお部屋です」
「あの……、リィナ様のお部屋は……」
「お待ち下さい、マクワイヤ様。一体どのような理由でもってして、当家の当主の妻の部屋を見たい、だなどと無礼なことをおっしゃるのでしょうか? ヨシュア、あなたもちゃんとお言いなさい。仮にもあなたの妻である女性の部屋なのですよ?」
母は言う。確かに、常識的な面からしたらマクワイヤ伯爵家の令息が、侯爵家夫人の部屋を見たいなどない話しだ。
しかし、彼は仕事で我が家を訪れている。監査官として。
「構いません。キャメロン、リィナの部屋に案内してくれ。私も見たことがない、夫である私が一緒ならば問題ないでしょう」
なにもするな、なにも言うなとは言われているが、このくらいは問題ないだろう。
「え……ですが、その……」
私の援護があるとは思っていなかったのだろう、執事も母も妹も狼狽えている。
まさかとは思うが、リィナは……この屋敷で暮らしていないのだろうか?
「ご当主様の許可も頂きましたので、お部屋を見せて下さい」
「しかし……ですが……、あのっ」
「まさか、リィナ卿のお部屋がない、とか言いませんよね? 彼女は現在討伐任務中とのことですが、任務が終わればこの屋敷に戻って来て、この屋敷で生活しているのですよね?」
監査官殿が執事を問い詰めているのを横目に見ながら、私はホールから階段を上がった。
屋敷は二階建てで、一階にはホールや食堂、調理場、洗濯室、図書室、資料室、応接室などの部屋が並んでおり、二階に母や私の私室と客人の泊まる客室がある。
使用人たちは敷地内の使用人棟と呼ばれる別屋敷で生活し、屋敷へ出勤する形になっている。
リィナの部屋を用意するとしたら、二階しかないのだ。
階段を上がって南側一番奥の部屋は母の私室。東側端に私の執務室、続きで私室となり、その私室と主寝室が繋がっている。
主寝室は当主の私室と夫人の私室が繋がっている造りなので、夫人の私室である部屋の扉を開けた。
そこは、リィナの好みに整えられた部屋になっているはずだ。そうでなくてはおかしいのだ、だって、ここで彼女は六年も生活しているはずなのだから。
「…………ここが、リィナ卿のお部屋、ですか?」
私の後ろを付いて来た監査官殿は、苦笑まじりに言った。
そこは、何年も部屋の主人のいない部屋だった。置かれている家具はベッドと化粧台、文机と椅子しかなく、それも埃避けの白い布で覆われている。
私は、二階にある母の私室と妹が使っている部屋、彼女たちの衣装部屋以外の部屋を片っ端から開けた。
どの部屋も、使われた形跡などなかった。
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