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宰相 馬車に乗る 監査官と共に

 コトコトと軽やかな音を立てて進む馬車の中は、冷たい空気に満ちていた。この手の空気には慣れている、会議や契約の場ではよくある緊迫感が冷たさのように感じられるのだ。


 ただ、自宅へ戻る馬車の中でこの空気を感じるというのは、いささかおかしな話しだと思う。


「宰相閣下、あなた様からも色々とお話を聞こうと思っていたのですよ。本当は周辺調査を全て済ませて、聞き取り調査もあなた様とあなた様のご家族を最後にするつもりだったのですけれど」


 監査官殿はそう言って肩を竦めて見せた。


「ですが、なんにもご存じないですよね? いつ聞いても同じかな、と思いまして。話しの聞きがいがなくて残念です」


「……どういう意味だろうか?」


「だって、ご存じないですよね? 自分の妻である女性のことを」


「そのような……ことは……」


 そう返すと、監査官殿はハハハッと声をあげて笑った。


「ご存じだと、そうおっしゃる? では、お尋ねします。リィナ卿と最後に会ったのはいつですか?」


「…………婚姻届にサインした日だ」


 嘘を言っても仕方がない、正直に結婚した時だと答えた。

 あの日、初めてリィナと会い話しをして茶を飲んだ。その後、顔を合わせてもいないし、手紙のやり取りもしたことはない。


「それ、事実ですか?」


 監査官殿はひどく整ったその顔で驚きの表情を作り、私に聞き返して来た。


「事実だ、嘘など述べても意味はないだろう」


「自宅に戻った時、一度も顔を合わせなかったわけですよね? 自宅で暮らしているはずなのに。なにかおかしい、と思わなかったのですか?」


「私はひと月のうち、自宅に戻るのが一日あるかないかだ……討伐任務に出ている、と言われればそうなのだろうと」


「はぁー……それでよくリィナ卿のことを知っている、なんて言えましたね」


 心の底から呆れたという態度を隠すことなく、全身で現す監査官殿を前にして、私は〝なにも知らない〟と言われたことに対して苛立ちを覚えた。


 リィナがどうしているのか、知らないことは私も理解している。けれど、それをどうしても認めたくなかった。


「全く知らないわけではない、黒騎士として戦果を挙げていると聞いている。彼女は騎士として優秀だと」


「まあ、リィナ卿が騎士として優秀だったことは事実ですよ。退役する直前まで、単独でドラゴンを討伐していたのですからね。そんなことは、ちょっと調べれば誰でも分かることです」


 うっと言葉を飲み込んだ。誰でも分かること、と言われて返す言葉もない。


「それよりも閣下、自分が一番気になったことを教えて下さい」


 監査官殿は呆れの表情から、真剣な表情に切り替えた。


「どうして、リィナ卿に白魔法をかけなかったのですか? 書類上とは言え、閣下とリィナ卿は夫婦です。黒騎士と白魔法使いの夫婦ですよ。それなのに、リィナ卿の装備や武具に加護魔法をかけなかった理由は?」


「彼女が、いらないと言ったんだ」


「え?」


「だから、彼女が私の白魔法など必要ないと言ったんだ。黒騎士にとって装備や武具への魔法がどれだけ重要か、そのくらいは私も承知している。だが、リィナにとって私は見ず知らずの白魔法使いだ。己の命を守る魔法は信頼出来る者に任せたいと思うのは、当然のことだろう?」


 リィナには信頼する白魔法使いがいた、はずだ。その者がどこの誰で、どんなレベルの魔法を使いこなすのか私は知らないが……その者がリィナの装備と武装に加護魔法をかけ続けていた、はずだ。

 そう言うと、監査官どのは両手で頭を抱え俯いた。


「……閣下の元へお邪魔する前、リィナ卿のお師様ご夫婦の話しを聞いて来たんですけどね」


 リィナの師匠と言えば、アレクサンドル・ヴァラニータ卿と細君のレイラ夫人のことか。私に平手打ちをした夫人の怒りに満ちた顔は目に焼き付いている。


「リィナ卿が身に着けていた装備、武装にはほとんど加護魔法がかかっていなかったそうですよ。唯一、夫妻がリィナ卿の成人祝いに送ったポンチョ型ローブにだけ、夫人がかけた護りの魔法がかかっていたとか」


「……は?」


 言っている言葉の意味が理解出来ない。


 装備や武装に白魔法がかかっていなかった? では、彼女は、リィナはなんの魔法援護のない状態でドラゴンや魔獣と戦っていたとでも言うのか?


「どうして、彼女には信頼のおける白魔法使いが……」


「いたんでしょうね、確かに。でも、そういうのって仕事として金銭取引で魔法をかけるってことになりますよね? お金がなくちゃ、お願い出来ない」


「金? 金の問題だと? あり得ない!」


 侯爵家としてリィナの装備品や武具を購入し、白魔法使いに魔法をかけてもらいための予算はしっかりととってあった。月に一度届く報告書の中で、予算内で使われているのを確認している。


「リィナ卿は白魔法使いに魔法をかけてもらってはいなかった、理由は予算がないから。因みに、装備も武装もボロボロだったそうですよ? もう何年も買い換えてないのが分かるくらいに」


「馬鹿なッ!」


 監査官殿は顔をあげ、私を真正面に見つめた。


「閣下、現実を見て受け止めて下さい。我々監査官室の者は、事実のみを明らかにする存在です。嘘偽りのない、真実のみを」


 馬車は私の母が管理している、グランウェル侯爵家の屋敷へと到着した。


「お屋敷に入ってからは私にお任せ頂きますよ、閣下。閣下はお茶でも飲んで、見守っていて下さい。手出し口出しは無用です」

お読み下さりありがとうございます。

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