黒騎士 乙女の悩みを聞く
「で、どうしたって言うのよ?」
パトリシアお嬢様は、今日のランタンへの魔力注入が終わった私とローナちゃんを連れて中央にある噴水広場にやって来た。広場に出ている屋台で、スパイスとミルクの入った温かいお茶をご馳走してくれた。「私が飲みたかったのよ、ひとりじゃ飲み辛いから付き合いなさいよ」というひと言を添えて。
「え、なにが?」
「だから、リィナに質問してたじゃない、男性と……その、お付き合いがどうだのって
「ああ、それね」
ローナちゃんはカップに入ったお茶で手を温めながら、小さく息を吐いた。やはりなにか悩み事があるらしい。
「お付き合いをするってことは、お互いを好きだってことなのでしょう?」
「そうね。政略結婚でもない限り、普通は好き合ってお付き合いをする関係になって、その後結婚ね」
パトリシアお嬢様の言葉にローナちゃんも頷く。
「結婚を考えるってことは、お互いに本気で好きだっていう関係よね?」
「でしょうね。……なんなのよ、さっきから。話しの内容から貴方自身のことではないでしょう」
「ああ、うん。兄さんのことなの」
なるほど、と私は頷いた。ローナちゃんのお兄さん、アレクさんは赤騎士としてこの温泉の郷に配属されていて、確か私よりひとつかふたつ年上だったはず。
平民の結婚は貴族よりもゆっくりで、女性は十八歳くらいから二十五歳くらい、男性は二十歳くらいから三十前半くらいまでに結婚する人が多い。
アレクさんは適齢期真っ只中で、収入も安定している騎士職、体つきは勿論騎士らしくがっしりしていてなかなかの男前。郷の独身女性たちからの人気は結構高かったはずだ。
「アレクさん、そういうお相手がいるの?」
私が尋ねるとローナちゃんは首を傾げた。どういうこと? そういうお相手がいるから、お付き合い云々っていう話しになったのではないの?
「兄さんと私がここに来たのは今年の春だけど、それまでは王都にいたの。私は呼吸器の病気で、お医者さんからはもっと空気の綺麗な田舎で生活した方がいいってずっと言われていたのね。だから、兄さんは移動の話しが来た時すぐに移動を受け入れたの」
「ローナちゃんの病気が良くなるようにって、ササンテでの勤務を選んだのね。なるほど、この郷は山深いから空気が綺麗だし温泉もあるから、療養にぴったり」
「そうなの、だから私も気にしないでここに来たのね。ここは静かだし、空気も綺麗で凄く呼吸が楽になったから、来られて良かったって思ってる」
けど、とローナちゃんは続けて、ぬるめになったお茶に口を付けた。
「兄さんには王都でお付き合いしていた女性がいた、みたいなの。何年もお付き合いしていて、結婚がどうのって話しが出るくらいの」
「……そういうお相手の女性なら、これを機会に結婚して一緒に移住って話しになったのではないの? でも、来たのは貴方と貴方のお兄様だけね」
パトリシアお嬢様は大人びた表情で首を左右に振った。
と言う事は、結婚には至らずお別れしてしまったということなのだろうか? 田舎の温泉郷への移動を切っ掛けに?
「つまり、貴方の病気治療を優先させるために、あなたのお兄様は恋人さんとの結婚を諦めたということね」
ローナちゃんは顔を真っ青にし、息を止めた。手にしたお茶の入っていたカップが震える。
「お嬢様!」
「だって、事実じゃない。大体ローナ、あなたがこの郷に来てどれだけの時間が過ぎたと思っているの? 正直、今更って感じがするわよ」
パトリシアお嬢様の言うことは事実かもしれない。アレクさんはローナちゃんの病気のことを考えて、この温泉郷に移動することを選んだかもしれない。お付き合いをしていて結婚を考えていた女性と、移動を理由にお別れしたのかもしれない。
でも、それはアレクさんが決めたことでローナちゃんが責任を負うことでも、気にすることでもない。そもそも、アレクさんが恋人さんとお別れしたかどうか分からない。
「ローナ、そんなことでぐだぐだ考え込んでいないで、さっさと……」
「パトリシアお嬢様! こんな所にいらしたっ」
「……パトリシア、お嬢様、探し……ましたよ」
貴族街へと続く大通りからふたりの男性が走って来て、あっという間にパトリシアお嬢様を捕まえる。確か若い男性はパトリシアお嬢様のお家が経営している貴族専用高級温泉ホテルの従業員で、もうひとりのお年を召している方は執事さんだ。
「ちょっと、なんなのよ! 痛いわ、放しなさいっ」
「放したらお嬢様逃げちゃうじゃないですか、ヘンリー執事長を殺す気ですか」
執事さんは汗をたっぷりかいていて、呼吸も荒い。お年を召した方にパトリシアお嬢様を探して、郷中を走り回るのはかなりの重労働だろう。
「さあ、帰りましょう。今日は、ドレスショップの、お針子が来る日ですので、……お部屋に居て下さい、とお願いしましたのに……」
「嫌よぉ、面倒なんだものー!」
「大切な、お客様をお迎えするた……めのドレスです。妥協なく、仕上げなくては……なりません」
「パトリシアお嬢様、帰りますよ!」
腕を振り払って逃げようとしたパトリシアお嬢様の体は浮き上がり、若い従業員に抱えられた。暴れようが叫ぼうが容赦なし。
執事さんが「本日は、これにて失礼致します」とローナちゃんと私に一礼して、三人は貴族街へと続く大通りに消えた。
いつまでもパトリシアお嬢様の叫び声が響いていたけれど。
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