宰相 現実を突き付けられる
私はヴァラニータ夫人宛の手紙を受け取り、内容を確認する。情けない程、手が震えて止まらない。
オフホワイトの便せんには、〝リィナ・グランウェルは現在討伐任務中につき留守にしております。後日のお誘いを楽しみにしております〟と書かれていた。
「……この内容の、どこに問題が?」
私の手元を覗き込み、内容を確認した王の補佐であり貴族学院の先輩でもあるロン・ホルムは呆れたような口調で夫人に言い返した。
「ヨシュアの細君は黒騎士。ならば、討伐任務に出ており家を留守にしているのも、当然ではありませんか。お茶会かなにかのお誘いをしたけれど、たまたま任務中で留守であっただけのこと」
「左様でございますか。ではホルム王佐様にお尋ねします。国は、騎士団は、退団した者にまだ討伐任務を命じているのですか?」
「え?」
全員が耳を疑った。
退団している、ヴァラニータ夫人はそう言ったのだ。
「まあ、アンダーウッド近衛騎士団長様は騎士団が違うのですし、いち黒騎士が退団したかどうかなんて、ご存じないのも当然かもしれません。シモンズ相談役様がご存知ないのも、仕方がないでしょうね? 一線を退かれたのですもの。ホルム王佐様もご存じないのは仕方のないこと、黒騎士などと接点はありませんものね」
けれど……、とヴァラニータ夫人は私を見つめる。
夫である私が、妻の退団を知らないでいるなんてあり得ない、そう目が訴えていた。
全く以て、その通りだ。
「リィナは、彼女は、いつ騎士団を?」
「……呆れた、本当にご存知ないなんて!」
ヴァラニータ夫人は私から手紙を奪い返すと、丁寧に封筒へ戻し王の侍従に向かって差し出した。侍従はそれを受け取り、王にお渡ししている。
「リィナは五月の末日を以て、黒騎士であること、この国の騎士であることも辞めたのです。その後の行方が分かっておりません」
季節は夏を越え、秋を迎えようとしている。夏の前に辞めたのだとしたら、あれから四ヶ月の間行方が分からないことになる。
騎士団を辞したというのなら、なぜ侯爵家にいないのか。いないのならば、どこへ行ったというのか。
「さあ、教えて下さいませ。グランウェル宰相様、リィナはどこにいるのですか? 不自由になった体を抱えて、身ひとつでどこに行ったのか、教えて下さいませ!」
私の頭の中は真っ白だった。理解出来ない。理由が分からない。
体が不自由になった? では、大きな怪我をしたということか?
「レイラ! 気持ちは分かるが、ひとりで先走ってはならぬと言ったであろうに」
室内に入ってきたのは、ヴァラニータ夫人の夫で元黒騎士、アレクサンドル・ヴァラニータ卿その人だった。その後に、現黒騎士団長ローレンス・バクスター卿が続く。
アレクサンドル卿とバクスター卿は国王陛下に頭を下げ挨拶をすると、アレクサンドル卿は細君を側に引き寄せる。その後私を一瞥すると大きなため息をついて、持って来た書類を侍従に手渡した。
「さて、妻が突然お騒がせしたようで申し訳ない。ですが、それなりの理由があってのこととご理解願いたい。陛下、お耳に入れたきことがございますが宜しいですかな」
「……分かった。だが、少し待て、フロストを呼ぶ」
フロストを呼ぶ、そのひと声に会議室中がざわめいた。それもそのはずだ、王の言う〝フロスト〟とは王宮監査室の長を務める監査官だからだ。
フロスト・ヴァル・マクワイア、代々王宮監査室を任されたマクワイヤ伯爵家の嫡子。確か私より二、三歳下で彼が調べて分からないことなど無い、と言われ最年少で監査室を任されることになった有名人だ。
「アレクサンドル卿、卿らご夫妻とヨシュアの細君とはどのような関係なのですか?」
ホルム王佐の質問に、また呆れたような視線が突き刺さる。当然、私もリィナと彼らとの関係を知らない。
「アレクサンドル卿はリィナの師匠だ。黒騎士には師弟制度があるのだ。十歳から十八歳までの間、ひとりの元黒騎士が師となってひとりの弟子を育て上げる。最も多感な人生の時間を共に過ごす為、師匠とは親も同然かそれ以上の存在だ。ご夫妻が心配するのも当然のことだろう」
バクスター黒騎士団長が説明して下さったが、彼も顔色が悪い。
おそらく、リィナのことをアレクサンドル卿から聞かされるまで知らなかったのだろう。
リィナの件については、その全てを晒されることになる。
彼女の身に起きたことも(知りたい)、私の無関心も(知られたくない)、その全てが晒される。
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