第92話:エルドフリームニル
ようやく落ち着き始めたと言いましたが。
勘違いだったようです……
ログイン92回目。
「ここ、か」
ドラードにある店の前で足を止めた。
デフォルメされたイノシシ、熊、鹿、鴨っぽい鳥が鍋から顔を出したデザインの看板が掲げられている。鍋部分には共通語で【エルドフリームニル】と書かれていた。確か北欧神話に出てくる、いくらバラしても復活するっていうイノシシを調理する大鍋の名だ。鍋の中身に熊とかが含まれてるのは、イノシシ専門じゃないからだろう。
入口のドアには共通語で『本日休業』の札が下げられていたが、構わずに開けて中に入った。
店内は2人掛けの席ばかりだ。3人以上の客が来たらテーブルを合わせて対応するんだろう。GAOの一般的な食堂とは少し趣が違うというか、リアルで馴染みのある雰囲気が感じられる。何だったっけな、これ?
「申し訳ありません。今日はお休みなんです」
と店の奥から出てきたのは見知らぬ少女だった。恰好はGAO内住人の一般的なものだが、表の看板と同じプリントらしきものが施されたエプロンを着用している。従業員だろうか。
「いや、店長とは約束済でね」
「約束済、ですか。ひょっとして、フィストさんですか?」
「ああ。店長はいるかな?」
「はい、少々お待ちください!」
元気よく答えて、少女は店の奥へと声を掛けた。
「店長ー! 彼氏さんが来ましたよーっ!」
がしゃんと何かが落ちる音が奥から聞こえた。少しして、呆れ顔の女性が姿を見せる。この店の主であるグンヒルトだ。当然だがヴァイキングスタイルではなく、私服にエプロンという恰好だった。
「ゼルマ、その人は彼氏じゃないわよ」
「えー? でも店長、今日のためにお休みにしたんですよね? 料理の準備もいつも以上に力が入ってましたし。それに、来るのをすごく楽しみにしてたじゃないですかー」
否定するグンヒルトに、小首を傾げながらゼルマと呼ばれた少女は言葉を続ける。
俺とグンヒルトの間に、そんな甘い関係はないし、そんな雰囲気になった事もない。ただまぁ、俺が来るのを楽しみにしてた、っていう点においては、その理由を察することはできる。
「……ゼルマ、今、熟成途中のイノシシがあるのを覚えてるかしら?」
眉間を押さえていたグンヒルトが、問う。
「はい? ええ、あのおっきいのですよね? 覚えてますけど」
「あの隣に吊されたくなければ、下らない勘ぐりはするものじゃないわよ?」
にっこりと笑みを浮かべるグンヒルト。おや、おかしいな? 見た目は殿下のはずなのに、彼女の背後に両手に斧を持った大男が見えるぞ?
はひ、とゼルマは固まって、しばらくした後再起動。それでは失礼しますと頭を下げて、脱兎の如く出て行った。
「まったく……ごめんなさいねフィスト」
「いや、気にしなくていい。それより、随分と楽しみにしてたんだって?」
「そ、それは――」
「ああ、分かってる。変な意味じゃなくて、これのことだろ?」
からかうつもりはないので、早々にストレージから彼女が待ち望んでいたものを取り出し、テーブルに置いた。
「これが以前話したジェートだ」
「これがそうなのね……うん、確かに甘めの味噌だわ」
蓋を開け、指でひとすくいしたものを舐めて、グンヒルトが頷く。
「ありがとうフィスト。これで料理のレパートリーも増えるわ」
「ん、有効活用して、美味いものをどんどん作ってくれ。で、これはお裾分けだ」
ジェートを入れていたものとは別の桶と瓶、それから木の実を出し、テーブルに置く。
「これは?」
「桶の方は【料理研】でもらった、GAO内生産に成功した味噌。瓶の方は醤油だ。どっちも試作品だから品質は今後流通するだろう正規品より劣るけど、よかったら使ってくれ」
「いいのっ!? 予約はできたけど、完成まではしばらくかかるって言われてたからすごく嬉しいわ!」
「あと、この木の実はバルミアっていってな。果汁が醤油っぽい味だから、これも料理に使えると思う」
バルミアの実は森で偶然見つけて採取しておいた。動物も食わないって言ってたから、かなりの量が落ちてたので大漁だった。俺が使う分は十分確保できているので、グンヒルトにも使ってもらおう。
「本当にありがとうね、フィスト。このお礼はこれから出す料理で返すわ」
「ああ、期待してるよ、アンドフリームニル」
俺がそう言うと、プッとグンヒルトが吹き出した。
「ところで、さっきの女の子って住人か?」
少し気になっていたので聞いてみる。ええ、と頷くグンヒルト。
「接客と手伝いのために雇ったのよ」
へぇ、住人って雇えるんだな。
「でも、素性とかどうなんだ? 下手したら、店の物を盗っていくようなのが紛れ込まないとも限らないだろ?」
や、普通のゲームなら、自拠点のNPCがプレイヤーの所持品を盗むなんてないだろうけど、GAOだからなぁ……
「その辺は大丈夫よ。雇用契約の時に、魔法的な契約書を使ってるから。契約用の魔具でね、違反した場合は呪いが降りかかるのよ。金額次第だけど、呪いの内容も決められる優れもの」
そんな素敵アイテムがあるのか。というか、それってガチで盗難対策用アイテムなんじゃないのか?
「ちなみに、彼女の場合はどんな呪いが?」
「違反した契約の内容が、消えない文字で身体に無数に浮き上がるようにしたわ」
つまり、盗みを働いたら、私は盗みを働きましたって文章が全身に浮かび上がるわけか。地味に嫌な呪いだな。
「まぁ、発動するようなことはないと思うけど。ところで、相棒の狼さんは?」
「ん、誘ってはみたんだが、な」
今日がグンヒルトとの約束の日であること、それに同行することも問題ないとは伝えたんだが、クインは一緒に来なかった。特に機嫌を損ねた様子もなかったので、理由は分からないままだ。
「そう、噂と画像でしか知らないから、直接会ってみたかったんだけど、仕方ないわね。彼女用のお肉はお土産に渡すわ。さて、それじゃ始めましょうか」
そう言ってグンヒルトが厨房へと入っていく。
「それじゃ、まずはこちらからね」
最初に出されたのは燻製肉と薄切りの生ハムだった。ふむ、どちらもイノシシ製みたいだな。
「いただきます」
まずは生ハムからいってみるか。うお、すごく風味が強いな。噛むとすぐに柔らかく崩れていく。塩辛さも程々だ。うむ、美味し。
「これ、自作だよな?」
「ええ。熟成はアーツを使っての促成だけどね。アーツなしで作った物もあるけど、育つのが楽しみだわ」
次に燻製肉をつまむ。というか、ジャーキーだな。この歯ごたえがいいんだよな。噛めば噛む程、味が濃くなるのも好きだ。これも美味い。
「これは酒が欲しくなるな」
「そう言うだろうと思って用意してるわ。確か、強めの方が好きだって言ってたわよね?」
グンヒルトが出してくれたのはサトウキビの蒸留酒の瓶とグラス。GAOにもサトウキビがあり、それから作られる酒がある。瓶にコウモリのラベルは貼られていないけど。
「まぁ、お酒は程々ってことで、次の料理を持ってくるわ」
一旦奥へと戻り、今度は湯気を立てる木皿を持って帰ってきた。
「え? これ、って……」
木皿の中には琥珀色をしたスープがある。たちのぼる匂いは鳥だろうか。鳥からダシを取って料理をしたことがあるが、それをより濃縮したような感じだ。
「コンソメスープか?」
「ええ、そうよ」
リアルじゃ珍しくもないコンソメだが、あれって一から作ろうと思うと、手間が大変だって聞いたことがある。当然GAOにコンソメスープの素なんて存在しないだろうし、そうなると素材を煮込むところから始めて作ったってことになる。
「作るの大変じゃなかったか?」
「そうなのよ。でも、楽しませてもらったわ。冷めないうちにどうぞ」
木皿の中を木のスプーンで掬う。琥珀色をしたスープは、間違いなく俺が知ってるコンソメスープのそれだ。口に含むと濃厚な味が広がる。コンソメスープなんて久々に飲んだし、飲んだことがあるのもファミレスのスープバーとかインスタントばかりだが、こりゃすごい。手間暇かけて作ったコンソメスープってこんなに美味いんだな。
「すごいな、これ……こんな美味いスープ初めてだ」
「そう言ってもらえると作った甲斐があったわね。メグロバト等の野鳥を数種類、一緒に使ってるの」
話をする間にもスプーンが進む。あっという間に飲み尽くしてしまった。スープだけなのに何とも言えない満足感があるな。それに、何だか更に食欲が湧いてきた気もする。
「おかわり、どう?」
「いや、これで十分だ。できればクインへの土産に持って帰りたいんだけど」
この手のスープならクインも飲めるだろうしな。
「後で準備するわ。それじゃあ次の料理を仕上げてくるわね。ウサギのシチューと、タラのジェート焼き」
「おい、殿下」
グンヒルトが挙げたメニューの素材を聞いて、思わずツッコミを入れる。いや、それより早速ジェートを使うのか。
笑いながらグンヒルトが奥へ引っ込んでいった。
料理を待つ間、先程の生ハムと燻製をかじりつつ、酒をちびちびと飲むことにする。
「ごちそうさまでした」
出された料理を全て腹に入れて、手を合わせた。
「はぁ、本当に全部、美味かったよ」
「新鮮な素材が入手できたからこそ、ね。ドラードは海産物も手に入るし、足を伸ばせば狩猟もできるから、いい環境だわ」
向かいに座っているグンヒルトが上機嫌でグラスに口をつけている。出された料理を俺が平らげるという構図は、途中から酒を飲みながらの情報交換に変わっていた。
グンヒルトからはドラードの色々な料理店の情報や、食材を取り扱う店の情報を教えてもらえた。俺は俺で【料理研】関連の情報や、旅の途中で入手した食材や出会った料理の情報を提供し、互いに有意義な情報交換となった。
「いや、料理人の腕だろ」
「まだまだ未熟よ。そう言ってもらえるのは嬉しいけどね」
グンヒルトは謙遜するが、生ハムと燻製はともかくとして、料理は全部、評価が星7つか8つだったことを考えると十分だと思う。俺なんていまだに星7つが最高で、しかも滅多に出ないしな。自分が食べるためだけの料理だから別にいいんだが。
「さて、それじゃそろそろやるか。覚悟はいいか?」
グラスを空にして席を立ち、グンヒルトを見る。ええ、と真剣な面持ちで彼女も立ち上がった。情報交換の流れで、ジャイアントワスプの幼虫と蛹を使った料理を作ることになったのだ。大々的に広めるつもりはないが、知り合いの料理人くらいには教えておこうということで。まぁ、広めたところで、平気で口にできるプレイヤーがどれだけいるかは分からんけども。だが【解体】使いの彼女には問題はないようだ。ここではまって、いつかオリジナルの蜂の子料理を開発して俺に食わせてくれるに違いない。いや、そうなったらいいなー、という願望だけども。
「……何か外が騒がしくなってきてないか?」
厨房へ向かおうと思ったところで外の音に気付いた。何だ?
「言われてみれば……何かしら?」
ドラードの街中が賑やかなのはいつものことではあるが、そういった雰囲気とは違う騒々しさだ。【聴覚強化】を使って意識を外に向けてみる。聞こえるのは走るような足音と悲鳴だ。何かから逃げてるのか?
「何か事件みたいだな。ちょっと様子を見てくる」
今日は食事だけの予定だったので装備は全てストレージの中だが、自分の戦闘スタイルは装備がなくてもさほど支障がないのが利点だな。
さて出るか、と外に向かおうとした途端、目の前のドアが砕ける。蝶番が耐えきったので、ドアがこちらへ吹き飛んでくることはなかったが、後ろからグンヒルトの悲鳴に近い叫び声が聞こえた。そりゃ、店のドアを壊されたらそうもなるよな。
さて、そんな愚行をしたのは何者かと犯人を見る。
「は……!?」
外から姿を見せたのは漆黒の体躯と深紅の瞳を持ち、瘴気を纏った異形。
魔族だった。