第80話:開通
2015/1/15 誤字訂正
湖の小島には無事到達できた。自前のロープと、彼が持っていたロープ、それに【翠精樹の蔦衣】を意識して伸ばすのに成功したことで、安全を確保したまま【水上歩行】で渡れたのだ。ギリギリだったけどな。
小島の中心には窪みがあって、直径30センチほどが半球状にくり抜かれたようになっており、明らかに何らかの加工が施されていた。表面にはよく分からない文字だか紋様だかが刻まれていて、まるでボウルがそのまま埋まってるようにも見えた。一応、スクショは撮っておいた。
溜まっていた水は確かに最大MP増加の水だった。【ヴァルモレの神水】って名称が分かったのは多分【調薬】のお陰だろう。薬品関係と認識されたんだろうな。【翠精樹の樹液】と同じく、上昇値はランダムだった。ちなみにヴァルモレっていうのはGAOにおける武神の名だ。特にここの空洞に神聖な何かを感じたことはないが、武神関係の何かなんだろう。修行場的な認識をしてたが、案外、本当にそういう目的で作られた場所なのかもしれない。
ちなみに水は最後の一滴までいただいて、いくらかはポーション瓶に詰めて持って帰ることにした。案外、【調薬】で使い道があるかもしれないので。空になった窪みはしばらく観察してみたが、続いて湧き出ることはなかった。多分、溜まるまでにかなりの時間を必要とするんだろう。この湖の水が全部神水だったらとんでもない発見だったんだが、残念ながらそんな都合のいいことはなかった。
【壁歩き】の方は、ここを脱出できるレベルにまで慣熟した。【壁歩き】は使用中ずっとMPを消費する仕様で、重量に応じて消費も変わるのか、ここの高重力下だとガリガリとMPが削られた。MP切れで落下し、重傷を負ったことも何回かあったので、神水で増強できたのは幸運だった。最悪、素っ裸でよじ登るしかないか、と思ってたからな。
後は通常の重力下でどれだけ動けるか、だろう。ここよりはかなり余裕を持って運用できるとは思う。
ログイン84回目。
目の前の鍋がグツグツと音を立てている。中に入っているのは一つ目熊の肉。エルフ村で教えてもらった手法で毒抜きをしておいた肉だ。ここには獣なんかもいないので、魔獣肉を漬け込んだ樽をそのまま置いて毒抜きを進めていたのだ。ストレージに入れたままだと時間が経たないから、毒抜きとか熟成はできないからなぁ……
今日、確かめてみたら、ちゃんと毒が抜けていたので実食しようというわけだ。
葉野菜とキノコを一緒にジェートで煮込んでいる。つまり熊鍋。リアルでは、熊肉は身体が温まる効果があるというが、実際、ブラウンベアで作った鍋を食べた時も身体が温まる感じはした。ステータスで確認しても表示はされてなかったけどな。多分、表示するまでもないレベルの効果、ってことなんだろう。
さて、一つ目熊の料理だ。というか、初めて自分で魔獣肉を使って作った料理になるな。さてさて、出来はどうですか、と。
○一つ目熊鍋
星5つ
熊肉と葉野菜を使った鍋。一つ目熊の旨味とジェートの甘みが心身を温める。
星5つか。初めてにしては上出来、なんだろうな。さて、一つ目熊のお味はどんなものかな、っと。
おぉ、肉が軟らかい。そして美味い。ブラウンベアも結構な旨味が出てたが、一つ目熊はそれ以上だな。噛めば噛む程旨味が出てくる。でも脂の甘みが強いせいか、ジェートの甘みと合わさって少し甘すぎるか?
旨味は十分なので、バルミアを加えてみる。うん、香りが変わったな。味はどう変わった? よし、さっきよりはマシになった。でも多分、これは好みの範疇だろうな。俺は辛めの味付けが好きだから。エルフ達だったら最初の味で楽しめそうな気がする。
さて、これでようやく熊の手の料理にも挑戦できる。ネットで調べたらかなり手間が掛かるっぽかったが、何とかなるだろう。まずはブラウンベアで練習し、それから【自由戦士団】の女性陣に振る舞うとしよう。でも熊の手の料理って、画像を見る限りは結構グロテスクだったんだが、アオリーン達、ちゃんと食ってくれるんだろうな?
まぁ、それは置いといて、今は食事だ。熊鍋ウマー。
「ふっ!」
振るった拳が岩盤を少しだけ砕く。【魔力撃】は使っておらず、ガントレットも外してある。それでも俺の拳は岩にダメージを与えていた。
名前も知らない彼が使っていたであろう【流派】のアーツだ。メイスと書かれてたそれと同じ技になってるはずだが、俺は【拳鎚撃】と名付けた。
彼の【流派】については名前すら分からない。ただ、日記を読んでいたら修得に必要な条件はある程度予想できた。
まず【手技】や【足技】のレベルが一定以上であること。弟子にできそうな人を探してるくだりがあって、一定以上の技量を持つ者が見つからない、一から育てるしかないのだろうか、とあったので、ある程度のレベルが必須と思われる。どちらかでいいのか、どちらもなのかは分からなかったが、幸い自分の場合はどちらもレベル30に到達し、上位スキルである【殴打術】と【蹴撃術】に変わってたから、それは問題なさそうだった。
それから、本人の意志の強さが必要らしい。それがどういう意味なのかまではよく分からなかったが、日記の記述から推察するに、諦めないこと、自信を持つこと、自分を信じることといった、精神的な何かが必要そうだった。そう判断したのは日記の中に書かれた口伝のような文章だ。
【我は鋼 我が肉体のことごとくは武器 我は全てを打ち砕く者 想い信じて手足を振るえ 我が肉体に砕けぬものなし】
何だろう。某傭兵やうふふな人斬りが使うような、自己暗示によるブーストだろうか。いや、それよりも。まさか、これを唱えなきゃ使えない、とかないよな? と、実際に意を決して唱えてから壁を殴ってみたが、効果は全くなかった。いや、そんな簡単なものじゃないだろうとは思ったけどさ、試してみないことには可能性を完全に否定できないだろ? し、仕方なかったんだよ……
ただ、これが全く意味の無いものとも思えなかった。彼にとってはいいこと言った的なものだったらしく、何か満足してたようでもあったし。
じゃあ、これを心掛けて突けばいいのかと、意識しながら何度か壁を殴ったが、殴った以上の効果は出なかった。でも何か引っ掛かる。ここ以外にも、信じるとかできて当たり前とか、そんな感じの言葉はいくつもあったし、何かの技につまづいてたらしい時も『自分を信じ切れてない』みたいなことを書いてたし。
つまり、自分にそれはできる、と信じるというか思い込むことが必要なんじゃないか、と思い至った。それで本当にできるかどうかは分からないが、できて当たり前だと、そう思いながら繰り返し壁を殴り続けた。
これが正しい、と確信を持てたのは、途中で諦めた時だ。いくらやっても結果が出ないので、やっぱり無理なんじゃないか? と思った瞬間、妙な脱力感を得たのだ。まるで、積み上げてきたものを失ったような、努力がリセットされたようなそんな感覚。その直後に繰り出した拳は、今までと同じ力で放ったはずなのに弱々しく感じられるものになっていた。メタなことを言えば、修得のために稼いでいた経験値のようなものが、疑問を抱いた瞬間に0に戻ったんだろう。今までの努力が一気に無駄になったのだ。
でもそれが逆に、その方法が正しかったのだと教えてくれた。
そこから一心不乱に壁を殴り続けた。俺にはできる。俺の拳は鋼だ。俺の拳は岩を砕くメイスなんだ。この拳で、岩を砕けないわけがない、と。
何回殴ったか分からない。どれくらいの時間が掛かったのかもよく覚えてない。スタミナが切れたら休んで回復し、腹が減ったら飯を食って回復し、眠気が来たら寝て回復し、手が痛くなれば精霊魔法で癒して、とにかく殴り続けた。
その結果、俺の拳は岩を砕いた。砕いたと言っても石ころが数個落ちる程度のものだ。同じ場所を殴り続けてたからダメージが蓄積してたのかもしれないと、別の場所を同じように殴ってみたが結果は同じだった。念のため、ガントレットを外して殴ってみた。拳に痛みは感じず、岩は少しだけ砕けた。正体不明のアーツを修得できたのだ。
アーツとしては、己の肉体を武器と成す、それ以上の効果があるようじゃない。【拳鎚撃】にしても、通常のメイスに俺の筋力を上乗せした威力しか出てないようだ。ただ、拳が痛むことはない。いくら殴ろうが拳は傷付かない。試しに剣鉈を突き立ててみたが、信じられないことに弾かれた。まだ試してないが、素手で斬撃や刺突を繰り出せるようにもなってるだろうな。
そしてこれには【魔力撃】を重ねることができた。物理攻撃の属性といい、かなり攻撃に幅ができるようになった。ただ、例えばルークあたりの斬撃を手刀で受け止めたりできるかどうかは分からない。過信は禁物だろう。一度、PvPでどこまで頑丈なのか試してみようと決めた。
そんなわけで、俺は彼がやってきたことを継いで穴を掘り続けている。【魔力撃】も併用し、結構な速度で進んでいた。病気や飢えに怯える必要がないので精神的な余裕もあるし、彼よりは余裕をもって作業ができている。同じ条件だったら、きっとここまでやれないだろうな。悪条件下であそこまで掘り進めていた彼は凄い人だったんだなと思うよ。
そうして岩と格闘していると、変化が訪れた。岩の層を突破したのか、土の層が見えたのだ。ようやく、地表付近に到達できたのだ。
いやが上にも拳に力がこもる。土の層は簡単に崩れそうにないので、直下の岩を砕いてスペースを確保した。程なく岩が取り除かれ、後は土に穴を開けるだけという状態になる。
「いよいよ、だな」
ここで俺は一旦ベースキャンプに戻った。ここを出るための後片付けだ。酷い環境だったが、こうして振り返ってみるといい経験だったんだろうなと思う。
私物を全て収納し、再び掘ったトンネルへと戻る。
土の層の真下で、俺は【空間収納】から木箱を取り出し、地面に置いた。蓋を開けると白骨が姿を見せる。彼のものだ。手掛かりがないならここに埋葬して供養したところだが、日記の内容から素性が辿れる可能性があったので、連れて行くことにした。王都に行ってからの話なので、遺族捜しは当分先になるだろうけど。
「それじゃあ、行こうか」
物言わぬ頭蓋骨に声を掛けてから、俺は土の精霊に訴えた。天井に穴が空き、穴が深くなっていき、やがてその先から光が射し込んだ。強い光ではなかったけど、ずっと暗闇にいたせいか、とても眩しく感じる。目を細めながら、あぁ、お日様っていいなぁと思った。
遺骨の箱を再度収納して、【壁歩き】で外に出た。土の層は2メートルってところだろうか。出てきた位置は、大岩のあった広場からは外れてる。一応、重力異常の範囲内ではあるようだ。
俺は【収納空間】から、今までに砕いてきた岩の破片を穴の底に落としていった。この穴を、そのままにしておくつもりはなかったからだ。というか、あの場所のことは広めちゃいけない気がする。広まったら最後、プレイヤー達のパワーバランスが酷い事になりそうだし、争いの種にもなりかねないと思うからだ。散々恩恵を受けておいて勝手な話だが……って翠精樹の時もこんなこと考えたっけ? まぁいい、当分ここのことは秘密だ。
岩の層を瓦礫で塞ぎきった後は、近くに生えていた低木を掘り返して穴に据え、隙間を土で埋めて植え替えた。まさか低木の下に、地下に続くトンネルが埋まっているなどとは誰も思うまい。おっと、低木が生えてたところも地均しをしておかないとな。
素人目には気付けないだろう程度に偽装を終える。この場所自体、そう簡単に人が入ってくることはないだろうけど、これだけしておけばいいだろう。
「さて、と……ぉ……」
クインを迎えに行こうと思った瞬間、背後に気配を感じた。スキルの【気配察知】じゃなく、肌で感じる何かだ。特に新たなスキルを修得したわけじゃないんだが、感覚が鋭くなったとでも言うか。これも暗闇の中で修行をしていた恩恵だろうか。
いや、今はそれよりもこの気配の主の方だ。何か背筋が冷たくなってくる。まぁ、その正体には心当たりがあるんだけどさ……
ゆっくりと振り向くと、10メートル程先にエメラルド色の獣がいた。何とも言えない不機嫌そうな表情でこちらを見て……否、睨み付けてると言うべきか。口からは何か唸り声が漏れてるし……ひょっとしなくても、怒ってる?
「よ、よぅ、クイン。無事に帰ったぞ」
努めて明るく声を掛けた。が、クインの様子は変わらない。
「こっちは色々あったが、得るものも大きかった。お前にも迷惑掛けたしな。この埋め合わせはするから」
負けずに態度を崩さず、声を掛けた。が、クインの様子は変わらない。
「え、と、あの、クインさん……?」
クインの身体が前傾姿勢になった。あぁ、あれ、跳びかかる前の予備動作だな――
「どわぁっ!?」
牙を剥いて真っ直ぐ跳びかかってきたクインに対し、俺は横に跳ぶ。ちょっと待て! 今の、絶対本気だったろ!?
クインの方は、まさか逃げられると思ってなかったのか、その場に佇んでいた。ゆっくりと、こちらを向く。何故回避できたの? と驚いたような、不思議そうな顔だ。それが怒りに変わるまで、時間は掛からなかった。あ、こりゃやばい……
踵を返し、俺は駆けた。クインには落ち着いてもらう時間が必要だ!
全力で走る。【ダッシュ】も発動する。とにかく本気で、全力全開で走った。重力異常の領域を抜けると一気に速度が増す。
「うわ……!」
身体が軽い。まるで羽毛になったようだ。そして自分の走る速さに驚いた。【魔力撃】を使って走った時以上の速度が出てる。
足に【魔力撃】を使うと更に速度が上がった。一体どれだけの速度が出てるのかは分からないが、馬だって追い越せる自信がある。いつぞやの大鹿だって捕捉できるだろう。
「俺は……風っ!」
思わずそんなことを叫んでしまうが、俺の自信はあっさりと打ち砕かれた。いつの間にやら併走する翠の悪魔によって。
こちらが驚くのを冷たい視線で見つめてくる。どこへ行こうというのですか、と言われた気がした。
自然と速度を落としてしまう。駄目だ、彼女からは逃げられない。
この後、酷い目に遭った。