第79話:日記
この日記の持ち主は、旅の武芸者とでも言えばいいんだろうか。修行のためにあちこちを旅してる人だったようだ。最初のページには旅の出発について書かれている。日付はいつだ? ウィンドウを開いてGAO内の暦と照らし合わせてみる……25年くらい前か。結構昔だな。出発はファルーラ王国の王都、ヌルーゼのようだ。兄と一緒に旅立ってる。ただし、行き先は別々みたいだな。
日記自体はかなりいい加減に書いていたようだ。日付の飛びが激しい。数日連続したこともあれば、2ヶ月以上空いてることもある。この日記の持ち主は、あまり几帳面な性格ではなかったと見える。
内容もそんなに事細かなものではない。ブラウンベアを倒した、とか、数日雨が続いて気が滅入る、とか、端的なものが多い。ただ、強敵と戦ったり、修行で何かを掴んだ時なんかは結構詳しく記されている。
内容に興味が湧いたが、今はここの情報が先だ。読み飛ばして後ろの方を確認する。お、この辺からだな。
【あの時、違和感を無視してツヴァンドに向かっていればよかった。まさかあのような場所に穴が空いているとは。お陰でこの地下に閉じ込められることになってしまった。だが、ある意味では運が良かったのかもしれない。身体が重くなる時に落ちていたら、とっくに死んでいただろう。
しかしここから身動きが取れない。この小島ではなく、岸に渡ってから休めばよかった。水はあるし食料もしばらくは保つが、尽きるまでにあちらの岸に渡れるだろうか】
この人、重力が消えてる時に落ちたみたいだな。そしてその後、高重力を経験してるようだ。しかも落ちた時、岸ではなく小島に這い上がったようだ。そこで高重力が復活し、身動きが取れなくなった、と。いつ落ちたのかは書かれてない。最後に日付が書かれてるのは、この書き込みの前。今から20年くらい前のものだな。久しぶりの鹿肉が美味かった、とある。
【ようやく岸に渡ることができた。あれから何日経ったのかは分からない。あの狭い小島では、ろくに動けなかった。身体が重くなったぶん、鍛練には都合がよかったが。それに、湧いていた水は魔力増幅の効果もあったようだ。以前より魔力が上がったのを感じる。あの水はまた湧くのだろうか? もしそうならまた飲みたいところだが】
小島からの脱出には成功したようだ。そして、こんな環境下でも鍛練を続けていたらしい。何というか、修行バカというやつだろうか。って、ここで訓練してる俺にはそんなこと言えないか。いやいや、俺は修行バカじゃない、ですよ? 必要なことだからやってるだけで。
それよりも、だ。あの小島、魔力を増幅する水が湧いてるのか? この場合の魔力って、多分MPのことだよな。最大MP増加の水だと? そりゃ是非とも飲みたいが……あの小島にあるのか……普通に行ったら沈むよな……何かいい方法があればいいけど。その前に、その水が復活する類の物なのかどうかも分からんけどな。何とか確かめてみたいが。
【何度もここを調べてみたが、外への出口はないようだ。落ちた穴から出るのは形状から見て不可能だろう。となると、出口を作るしかない。食料も厳しくなってきた。こうなると分かっていれば、もっと獲物を溜め込んでおいたのだが今更だ。適当な場所を掘り進んでいくことにしよう。何とか保てばいいが】
結局、この人は出口を作るという選択をしたようだ。あの穴がそうなんだろう。結構な穴だったが、あれを独りで掘ったのか。しかしどうやって掘ったんだ? もし精霊魔法で掘ったなら、あんなに石がゴロゴロ転がるような出来にはならないはずだ。というか、土ならともかく岩に直接干渉するのはかなり精霊魔法のレベルが上がらなきゃ無理だろうし。今の俺の場合、土に穴を開けることはできても、岩に穴を開けるの無理だしな。それに、道具らしき物も見当たらなかったような。バッグの中にもそれらしい物はなかったし……まぁそれはいい。読み進めてみたら分かるかもしれない。
【ここの岩はなかなかの強敵だ。魔力撃でも破壊が難しい。いや、魔力撃だと効率が悪いと言うべきか。過度の衝撃は崩落の恐れもあるので、強化魔力撃は使わない方がいいだろう。破城鎚など論外だ】
【魔力撃】でも破壊が困難、か。見た目は普通の岩なんだが、特別な力が働いてるんだろうか。でも、何で破城鎚? そもそもあれ、個人が携行する武器じゃなく、攻城用の兵器だろ?
【メイスとウォーピックが魔力効率の面で一番よさそうだ。とは言え、岩が強敵であることに変わりはない。
胸の痛みが強くなってきた】
メイスとウォーピックを使って岩を掘ったのか。でも、そのどちらも所持してなかったよな。ひょっとして魔力具現化系のスキル修得者だったんだろうか。確かルークが今、武器を手放した時のために、魔力で剣を形成する修行をしてるって言ってたし。
しかし胸の痛み、か……何だか不穏な気配がしてきたな……
【地上にはまだ届かない。だが掘ることはできている。我が肉体に砕けぬものなし。
最近、咳がひどくなってきた。胸の痛みも更に増した】
肉体? メイスやウォーピックはどこ行った?
あとこの人、確実に何かの病気っぽい。胸の痛みと咳か……
【地上にはまだ届かない。
咳き込んだ時に血が混じり始めた。こうなる前に医者にかかりたかったのだが】
吐血……いや、胸の痛みがあるってことは喀血だろうな。恐らく肺の病気だろう。胸の痛みを覚えた時点で病気を疑って、医者に行こうとしたところでここに落ちたのか。なんて不運だ。
【地上にはまだ届かない。吐く血の量が増えてきた。身体も思うように動かなくなってきている。そろそろ限界なのかもしれないが、諦めるつもりはない】
【地上にはまだ届かない。切り詰めてきた食料も底が見えてきた。と言っても食欲が湧かないのだが】
【地上にはまだ届かない。だがまだ生きている】
【食糧が尽きた。地上にはまだ届かない。だがまだ生きている】
【地上にはまだ届かない。だがまだ生きている】
【地上にはまだ届かない。だがまだ生きている】
【地上にはまだ届かない。だがまだ生きている】
同じ文が数回続いたところで途切れた。最後の一文は書くのも辛かったのだろう。今まで淀みなかった字が崩れていた。日記自体はバッグの中に入っていたので、この翌日あたりで力尽きたんだろう。
日記を閉じると同時に溜息が出た。とりあえず、彼に――いや、彼なのか彼女なのか分からんか――に何があったのかは理解した。ここの脱出のための手掛かりが特になかったのは残念だが、有益な情報はある。あの湖の小島にあるらしい、MP増強の水。手持ちのロープじゃ安全を確保できなかったので渡るのを諦めてたが、ここにいる内に是非とも確かめねば。追加でロープが手に入ったし。
後は、日記の前の方を読んでみるか。ここの情報はともかく、この人の情報は手に入るかもしれない。他に気になることもあるしな。
松明を持ち、俺は再び穴へとやって来た。確かめたいことがあったからだ。
こうして登ってると、階段状になってるといっても勾配が急だな。真上に掘ると崩落の恐れがあるし、あまり緩やかな勾配だと掘る距離が長くなるから仕方ないんだろうけど。それに、少しずつ狭くなってる。多分、途中から必要最低限しか掘らないようにしたんだろう。いや、掘れなくなった、か。
奥に到着して、まずは白骨の確認から。一度手を合わせて、ボロボロになった服を動かして骨盤を見る。遺跡発掘のドキュメンタリー番組か何かを見た時の記憶だから朧気だが、それを見たら性別が分かる、らしい。骨盤中央の穴が丸っこいのが女性、三角っぽいのが男性なんだそうだ。素人目には三角っぽく見えるので、多分男性だろう。今後はこの骨の主を彼と認識することにする。間違ってたらごめんなさい。
次に穴の奥、まさに掘り進んでいた岩盤に松明を向けて照らす。何かを叩きつけたような跡、何かで穿ったような跡がある。それから拳の形に見えなくもない窪みもだ。赤黒い何かがついてる箇所もある。
視線を白骨の手に向ける。他の骨がほぼ原形を留めてるように見える中、その両手の骨の損傷だけが激しかった。日記を頭から読んで分かったことだが、彼は俺と同じ格闘系の人だったようだ。つまり彼は、どっかの漫画に出てきた達人のように、素手で岩を掘り進んでいたことになる。もっとも、こっちの彼には【魔力撃】等のアーツがあったわけだが。
そして、日記の中に出てた武器の名前はどうも技の名前であるらしい。武器の名に即した効果を徒手空拳で繰り出す【流派】の使い手のようだ。武器の名を冠した格闘系の技と言うと某漫画を思い出す。そっちと違って拳を振るって真空刃を出したりはできないようだが、手刀で目標を貫いたり断ち斬ったりなんかはできたようだな。
彼が使っていたメイスやウォーピックも、破城鎚を含めてそんな技の1つなわけだ。それらを更に高めるために修行の旅に出て、途中でここに落ちた。そして、修めた技を使って彼はここまで掘り進み、力尽きた。恐らく、死ぬ瞬間まで拳を振るい続けて。初めてこの白骨を見た時、壁にすがりついてたように見えたが、最期まで諦めることなく前のめりに倒れたんだろう。
「どんな気持ちだったんだろうな……」
修行が完成したとは思ってなかったようだし。その途中で、しかもこんな不本意な形で命を落としたんだ。さぞ無念だったろうなと思う。GAOなら、このまま化けて出ててもおかしくないシチュエーションだ。無念の死を遂げた者がアンデッド化することがあるって設定があるからな。そうなってないのは、それでも一応は本人の中で気持ちの整理ができていたからだろうか。
岩壁を見る。位置的に、地上までの距離はあと少しだと思うんだけどな。
これも何かの縁だ。俺がここを地上まで掘り進むというのもいいかもしれない。と言っても、俺には【魔力撃】しかないけどな。彼の【流派】に興味が無いわけじゃないけど、修められるかどうか疑問だし。いや、ここなら何とかなるか? いやいや、前提条件とかが揃ってないと、いくらやっても無駄だろうし。でも可能性がないわけじゃないんだよな。
どうするか。最優先すべきはここから出ることだ。その手段が【壁歩き】だろうがトンネル開通だろうが、出られるなら問題ない。【壁歩き】の方は目処が立ったし。後は俺の気持ちの問題だ。
スケジュール的にはどうだろうな。ドラードへの移動の時間もあるし。それを考えるなら……うむ、トンネル工事が完成するまでとなると厳しいけど、やってみるか。まずは【壁歩き】で脱出することが前提だ。それが達成できた時に時間が許すなら、できる限りやってみよう。無理だったら、ドラードでの用件が済んでから、また戻って来てもいいんだし。
よし、やろう。
そう、決めた。