第78話:先客
ログイン80回目
目の前の鍋がグツグツと音を立てている。中に入っているのはメグロバト。内臓を抜き取り、頭と爪を落とし、毛をむしったのをそのまま入れてある。うーん、いい匂いだ。メグロバト、これ単体でもいい出汁が出るんだよなぁ。
それにブロック状に切った根野菜を入れ、更に大麦も投入。味付けにはバルミアの果汁を使う。旨味抜き醤油って言われてたあれだ。メグロバトで出汁が出てるし、これでいいだろ。醤油はまだまだ貴重だからな、代用品が使えるならそれに越したことはないのだ。
しばらく煮込んで完成したのは雑炊だ。以前、ツヴァンドへ行く途中で作った麦粥があったが、あれと似たようなものだ。ただ、こっちは最初から雑炊として作ってるので、完成度は違う。
○鳩雑炊
星6つ
メグロバトを贅沢に使った大麦の雑炊。メグロバトの出汁とバルミアの果汁の香りが食欲をそそる。
うむ、いい出来だ。さっそく食べることにする。
「はぁ……美味い……」
ほんの少し口にした後で、溜息が漏れた。メグロバトの出汁がよく出てるし、バルミアの香りもいい。本物じゃないけど十分に醤油っぽい。素材との組み合わせ次第なんだろうけど、バルミアも十分役に立つじゃないか。
根野菜は大きめに切ったが、味が染みててホクホクしててグッドだ。メグロバトの肉も柔らかく、噛むと旨味が溢れてくる。何より温かいのがいい。身体の中から温まる料理は最高だ。
夢中で一気に食べてしまった。リアルだと1人で食い切れる量じゃないけど、満腹感が起きないゲーム内だからこそ、だな。ゲージ的には満腹なのに更に食ってるってことになるんだけども。
さて、ステータス的な意味でもプレイヤーの気力的な意味でもエネルギー充填完了だ。今日も頑張って訓練に励みますか!
ここに篭もって結構な時間が過ぎた。太陽の光が恋しいと思うこともあるが、今は努力する時だ。
レベリングは順調だ。というか順調すぎて怖い。前回ログアウトした時点で【登攀】はレベル30を越え、【壁歩き】を修得可能になった。今日にでも修得して、試してみることにしよう。
【水泳】【潜水】【耐寒】も結構上がったし、【腕力強化】と【握力強化】は【登攀】の訓練で連動してレベルが上がってる。
それから以前から修得していたスキルのレベルも上がった。特に【脚力強化】と【跳躍】【ダッシュ】といった身体系スキル、運動系スキルは成長が著しい。
ステータスも筋力が結構上がり、次いで体力と敏捷度も少し上がった。あと器用度もほんの少し。多分、高重力下で料理してたからだと思うけど。ただ、外見に変化はない。プレイヤーのアバターは太りも痩せもしないし、ステータスに応じた変化も起きないからな。あっても困るけど。もしそんな仕様だったら、俺は今頃きっとブクブクに太ってるに違いない。よく食うしさ。いや、その分動いてるから、逆に食う量が足りずにやせこけてる可能性も? いずれにせよ、体格の変化が無いのはありがたい。太って鎧が着られなくなったとか勘弁だし。
それにしてもリアルでの努力と違って、数値で視覚的に効果が確認できるってのはいいよな。努力の結果が見える、っていうのがさ。自分がやってることの成果が分からないっていうのは気力を削ることもあるし。リアルで同じ努力をしようと思ったら難しいだろうな。
それはともかく、訓練メニューを消化しようか。効果があるかどうかは分からないけど、身体をほぐす的な意味でいつもラ○オ体操をやっている。あれって、意外と歳とっても覚えてるもんだな。
ちなみにこの時、ガントレットとブーツは装備したままだ。訓練開始当初は外してたけど、筋力が上がってからはより荷重をかけるために着けている。
それが終わるとパンツ一丁になって湖へダイブだ。この時、命綱は絶対に繋いでおく。 はっきり言うと、この湖で泳ぐのは不可能だった。俺が水を掻く力より、引き込む力の方が強いのだ。それは【水泳】のレベルが上がっても変わらなかった。もっとレベルが上がれば可能なのかもしれない。でも今の俺じゃ無理だ。
だから、まず精霊魔法で【水上歩行】と【水中呼吸】を使用し、水の上を歩くところから始める。どうやらレベルと荷重と効果時間には関連性があるようで、レベルが上がるとそこそこ歩けるようになった。ただ、いつ効果が切れるかが不安なので、とりあえずロープの届く範囲まで歩いて【水上歩行】を解除。そのままロープの限界まで沈んでいく。そしてそこからロープを引っ張りながら岸へと向かう。この時、ロープを使わずに泳いでもみるんだが、今のところ前に進めたことはない。引っ張り込まれるだけだ。
実はここの空間、重力の方向、って言い方が正しいのか分からんけど、力の掛かり方が場所によって違う。岸の上や水上を歩いてる時は上から下にというか、重さが何倍にもなる感じ。一方、水の中は、岸から約1メートルくらい離れると、沈むのではなくある一定の方向へ引っ張られる感じになる。どこから水の中に入っても湖の中心、その深部へと引っ張られる。命綱が必須な理由はこのためだ。
ロープの長さがもっとあるなら、水底の引力の源を確かめてみたいところなんだが、辿り着いたが最後、引き返せないなんてことになったら笑えないので、気にしないことにした。
一応、確かめるアテがないわけでもないんだけどな。ここに篭もって一度だけ、重力が普通に戻ったことがあったんだ。期間はGAO内時間で1日。もしこれが定期的に起きるなら、高重力が消えたタイミングで潜ってみればいい。といっても、それをやろうと思ったら長期間の観察が必要になる。一定の周期があるのかどうか、重力が消えて再び発生するまでの時間はいつも同じなのか。多分今回の修行中に確かめることは無理だろう。それに、俺がここにいる目的は謎の解明じゃないし。優先順位を間違えてはいけない。
ロープを伝って湖の縁まで辿り着くと、今度は水中での崖登りとなる。ロープを離すと身体は真下に沈んでいく。ここまで来ればロープを使わずに動くことも可能だが、ここも結構深い。水底はロープの長さよりもはるか下だ。
水の外よりも重力は比較的小さいから、楽に【登攀】で登れる。【登攀】の訓練は上でもできるし、ここなら泳ぐことも可能なので、水上までずっと泳ぐことの方が多いけど。ただ、場所によっては岩肌が出っ張っていたりして、そういう箇所は引力に引っ掛かることもあるので油断はできない。
湖を使った訓練が終わったら、一度身体を温めてから湖の周囲を歩く。
今では普通に歩く程度には速度が出せるようになった。歩くだけじゃなく、途中でスキップしたりジャンプしたり。一旦止まって垂直跳びなんかもしたりする。これで【跳躍】のレベルが上がったりするのだ。一度ウサギ跳びも試してみたが、あれはバランスを崩しやすく、顔面や後頭部を強打しまくったので止めた。
というわけで湖を回ろう。普段は時計回りなんだが、今回は逆に回ってみる。歩く距離は変わらないが、見える景色は微妙に変わる。いつも同じ風景を見てると飽きるので、ちょっとした気分転換だ。それに、こうやってると意外と新たな発見もあるかもしれないしな。
「とは言ったものの、だ」
そうそう都合良く変化があるわけがない。見えるのは無機質な岩肌のみ。天井も岩、壁も岩、足元も岩。あぁ、土の軟らかさが懐かしい……というか、もっと色鮮やかなものを見たい。【暗視】が上がって少しは色がつき始めたけど、ほとんどモノクロにしか見えないしな。
「ん?」
そんなモノクロに映る風景の中に見つけたものがあった。岩肌に空いた穴だ。最初の探索時から、湖の周囲はいつも時計回りで動いていたので気付けなかった。その時には岩肌の前に大きな岩があるなとしか認識してなかったんだけど、穴はその死角に空いていた。横幅が1メートル程、高さは2メートルには届かないくらいの穴だ。
「これ、ひょっとして、出口とか?」
もしそうだったら、俺が今までやってたことって何なんだろうな……いや、全くの無意味じゃないけどさ。
「さて、先はどうなってるのかな、と……?」
近付いて中を覗いてみると、違和感があった。地面に結構な数の石が転がっているのだ。湖周辺には、岩はあっても石はほとんどなかった。なのにこの中はそうじゃない。それに足元がほぼ一定の間隔で段になって、斜め上へと続いてる。まるで岩を削って作った階段みたいだ。
「これって、人の手が加わってるのか?」
そう思えるような空間だった。こりゃますます、出口の可能性が強まったな。ある意味拍子抜けだが、ここでの訓練にも精神的な余裕ができる。いつでも出られるってことだからな。
とりあえず、行き先を確かめるべく中に入り、奥へと進んでいく。少しずつだけど負荷が減ってるような……やっぱり、地上へ続く穴なのか? でもそれなら、外の光が入ってきてもいいと思うんだが。それとも入口自体は何かで塞がれてるって展開だろうか。こんな場所だから、安易には入れないようにしてあるとか。それにしても、進む程に石が増えてきたような。
そんな事を考えながら進んでいた足が止まった。いや、目に入ったモノを見て、止めてしまった。
結論から言えば、ここは出口じゃなかった。行き止まりだ。そしてその手前には死体があった。死体と言っても完全に白骨化してる。着ていたであろう服もボロボロだ。一体どれくらい前にここで力尽きたんだろうか。
「先客が、いたんだな……」
俺と同じく、あの穴から落ちた住人がいたのだろう。あるいは、そういう設定で設置されたオブジェクトかもしれないが。
白骨は行き止まりにすがりつくような体勢で転がっていた。少なくとも、全てを諦めて臨終したようには見えない。まるでその先に出口があるのだと訴えてるような体勢だと思える。とは言え、行き止まりには隠し扉があるようでもないし、崩落で塞がったという感じでもないんだが。
傍には革製のバッグが1つ置いてあった。この白骨の持ち物だろうな。他には何もなさそうだな。装飾品の類も着けてなかったようだ。
白骨に手を合わせ、バッグを回収する。ここにいても仕方ないので、一旦戻ろう。
俺より前にここに来た人がいたことがはっきりしたので、他にも痕跡がないか注意しながら湖を一周してみたが、それらしいものは見当たらなかった。
ベースキャンプにしてる場所に戻ってバッグを置く。これの中身は気になるが、その前に【壁歩き】を試してみることにする。メニューを開いてスキルを選択し、修得を……って、SP消費が5になってる。上位スキルや派生スキルは基本スキルより消費SPがでかいらしいから仕方ないか。SPに余裕はあるし、これを修得することが必須なわけだから迷わず修得した。
「じゃ、試してみますかね」
岩肌に近付き、右足を掛けてみる。手は使わず、スキルを意識しながら体重を乗せると、普段ならずり落ちるところなのに足はその場から動かない。まるで岩肌に貼り付いたようだ。
続けて左足を持ち上げる。体重を掛けた右足に変化はなく、しっかり岩に貼り付いたままだ。左足も問題なく岩に貼り付いた。よし、いけそうだ。それじゃ更に一歩――
「ぬわっ!? ぐおっ!」
と思ったら身体が後ろへ傾いた。支えきれず、バックドロップを食らったかのように後頭部が地面に叩きつけられる。両足は壁に着いたまま。何とも不格好な落ち方をしてしまった。
「痛たたた……」
【壁歩き】を解除して身を起こす。後頭部に触れるとコブができていた。本当に細かいなぁGAOは……
「頭蓋骨陥没で死亡、とかにならなくてよかったよ……」
ダメージ以外の異常はなさそうだったので、頭からポーションをかぶって回復しておく。
しかし今の。【壁歩き】のスキル、確かに壁を歩けた。歩けはしたが、どうも思ってたのとは違うな。壁を垂直に歩けるような力が働くのかと思ってたら、足が壁から離れなくなっただけで、身体そのものが重力の影響から解き放たれるものじゃないようだ。それともレベルが上がれば補正が掛かるだろうか。どちらにせよ、ここの高重力の影響下で垂直に歩くのは厳しそうだな。いや、ここじゃなくても【壁歩き】を使う際には身体のバランスとか筋力とかが重要になりそうだ。その辺も含めて訓練あるのみだな。
いきなり失敗してしまったので勢いを削がれてしまった。仕方ないのでさっきのバッグの件を片付けよう。
椅子代わりにしてる岩に腰掛け、バッグを手に取る。普通のバッグではなく、ストレージバッグだった。他人のストレージバッグを見るのは初めてだが、これ、勝手に中身を出せるんだろうか? メニューを開いてメッセージウィンドウを有効にしてみると、俺がバッグを『得た』ことになっていたので多分大丈夫だろうけど。
ストレージバッグの中身は一覧表示されるので、それで中身を確認する。
こう言っては何だが、たいした物は入っていない。着替え、毛布、ロープ、鍋、火口箱といった旅装備ばかり。食料は1つもなし。あとは財布と本。
「本、か」
それだけバッグから取り出してみる。タイトルはない。俺がレシピを書き写したりした時に使ったものと大差ない造りだ。
ページをめくると内容が明らかになった。結論から言えば、本じゃなかった。
「これ、日記だ」