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第77話:ブートキャンプ

2015/9/23 一部修正

 

 ここがどういう場所なのかを把握しておく必要があるので、まずは湖を一周してみることにした。

 せっかくの機会なので久しく使っていなかった【暗視】を使いながら、一歩一歩を踏みしめるように歩く。装備を脱いで身軽になったはずなのに、身体が重くて歩くのがとてもつらい。コメディ等で見られるわざとらしい忍び足の方がまだマシじゃないかと思えるくらいののろさだ。装備を着けたままだったらもっと酷かったろう。

 地下ということもあり、気温は低い。というか、寒い。焚き火で暖を取った後だからか、余計に寒く感じる。吐く息も白い。エルフ集落の保冷庫は大きな氷で冷やしてたが、あれより寒く感じるのは一度濡れ鼠になったからだろうか。服、重ね着した方がいいかもな。【風邪】のバッドステータスとか勘弁だ。

 何かないかと注意深く進む。歩く速度がカタツムリなので、じっくりと周囲を観察することが可能だ。でも、特に目立つものはないな。

 しばらく歩いて一息入れることにした。歩いた距離自体はたいしたことないのに、かなり足にくるな。

「ほんと、いい鍛練になりそうだよな……」

 足元ではなく地底湖の方へ視線を向ける。散策前に火のついた薪で照らしてみたら、水は綺麗で澄んでいた。結構深いところまで見通せたのに底は見えなかったが。水は多分飲めるだろう。魚とかはいそうにないな。

「お?」

 よくよく見ると、湖の中央付近に小島がある。あそこ、何かあるんだろうか? 余裕ができたら確認してみるのもいいか。距離的には泳いでもたいしたことないが、普通に泳いだら沈んで水底へご招待、だろうな。落ちた時も沈む一方だったし。いや、装備を外した今なら、普通に泳げるだろうか。一応、【水泳】や【潜水】のスキルを修得してみるか。それとも水の精霊魔法で【水上歩行】や【水中呼吸】を試してみるか。

「まぁ、後回しだな」

 言い聞かせるように呟いて、再び探索を続ける。


 

 湖をぐるりと時計回りに一周して分かったことは、どうも出口はないようだ、ということ。つまり、徳利のような形をしたこの空間、天井の穴が外へ繋がる唯一の道だ。普通ならこれで詰み。自害して最後のログアウト地点であるツヴァンドに死に戻りするしかない。

 ただ、1つ打開策がある。以前、ツヴァンドでツキカゲが城壁を垂直に駆け上がったことがあった。後で聞いたところによると、あれは【登攀】スキルの上位の【壁歩き】によるものだそうで。それを修得できれば、岩壁を歩いて外に出られるんじゃないかと思う。

 ツキカゲ達【伊賀忍軍】の皆は、重量物を背負った状態で木登りや崖登りを繰り返してレベリングしたそうだ。負荷が大きい程、効率はいいらしい。てことは、この場の高重力を利用してクライミングをすれば、レベルも上がりやすいんじゃないだろうか。幸い、ここの壁は結構凹凸が多いし。

 正直、いい機会だと思うんだ。高所で実ってる果物とか、断崖に巣を作る鳥の卵とか、高山に生える薬草とかをゲットするのに便利なスキルだからな。いや、果物はともかく、卵や薬草は、そういうのがあるかどうか知らんけども。俺の食い道楽には絶対に役立つスキルになるだろう。

 難点は、この暗く寒い地の底で、スキルを修得できるまで篭もらなきゃならないってことだな。ここでログアウトしたら、次にログインした時はここからスタートだ。抜け出せない限り、俺は美味い物が食えなくなってしまう。でも、こんな機会がなければ、スキル上げに専念なんてことはせずに、食欲の赴くまま狩りに精を出すだろうしなぁ……さっきも言ったが、いい機会なのは間違いない。だから、

「いっちょ、試してみますか」

 どのくらいの効果が見込めるのか、動いてみることにした。

 【登攀】のレベリングもそうだが、それ以外にも手を伸ばそうと思う。【水泳】と【潜水】のレベリングだ。多分、今回の件が終わったら、すぐにドラードへ向かうことになる。第二陣合流前にドラードでオークションがあるのでそっちに顔も出したいしな。手続き等は終わってるから、俺がいなくても剥製はオークションに掛けられるし、金は俺に入るんだけど、オークションそのものに興味はあるし。

 っと、話が逸れた。ドラードに行くってことは、海に行くことでもある。海とくれば海産物。その獲得のためには海に入らないといけない。【水泳】は泳ぐ動作に補正が掛かるし、【潜水】は息が長くなる上に水圧耐性も付くようなので、育てておけば有利に働く。

 それから体力と筋力の強化だな。体力は【翠精樹の樹液】のお陰でかなり上昇してるけど、あるに越したことはない。戦闘継続時間が長くなるわけだし、長時間の行動にも余裕が持てるようになる。筋力はここで走り込みとかやってれば、嫌でも上がるだろう。GAOの高筋力値プレイヤーはほとんどがタンク職で、重量級の鎧や盾を装備して動き回ってる連中らしいし。日々の筋トレで数値が上がったなんて報告もあったみたいだし、この場でその効果を期待するのは当然だろう。


 


 まずはウォーミングアップとしてランニングから。腕力強化も視野に入れ、外していたガントレットをダンベル代わりに装備して湖を一周走ってみたわけだが。

「……し、死ぬ……」

 いや、あれを走ってるなんて言えないわな。普通に歩くより遅いランニングなんてあってたまるかよ……てことで、一周で力尽きた。スタミナ的な意味じゃなく、精神的にキツかった。【暗視】で視界は確保できてるはずなのに、どうしても不安が完全に拭えなかったのもある。いきなり何か出てくるんじゃないかと、走っていても色々と余計な事を考えてしまうのだ。【気配察知】には何も引っ掛からないから、危険な獣等がいるわけじゃないってのに。暗闇ってのは色々と精神に緊張を強いるものであるらしい。まぁ【暗視】だって地上の昼間みたいに明るく見えるわけじゃないしな。レベルが上がったらもっと色のある世界に見えたりするんだろうかね。あと、地底ってことで閉塞感があるのも原因かもしれない。これだけ広い空間に見えるのに閉塞感ってのも変な話に思えるが、息苦しさやプレッシャーのようなものは感じるんだよな……空気が薄いとか、高重力だからとか、そういう意味ではなく。

 でもキツかった分、一周走りきった時には達成感があったのも事実だ。うむ、次は時間短縮できるように頑張るか。あと、雑念を捨て、走ることに専念するようにしよう。ここには俺しかいない。いないのだ……さ、寂しくなんてナイデスヨ……?


 

 次はメインとも言うべき【登攀】のレベリングだ。とりあえずは環境による負荷があるので、ガントレットを外し、鋼板入りのブーツも脱いで身軽な恰好で挑む。

 手頃な岩壁を選んで、まずは軽く登ってみることにする。足を掛け、手を掛け、身体を持ち上げ――

「ぐ……おぉぉっ……」

 そこで動けなくなった。しがみつくことに全力を傾けざるを得ない。体重を支えるだけで精一杯で、手と足がぷるぷると震え始めた。指の力が抜けていく。

「だあっ!」

 限界がきて手を離した。高所から飛び降りた時のような衝撃が足に伝わる。GAO内の身体能力なら数メートルは登れるかと思ったのに、数十センチがせいぜいとか、前途多難だなおい。というか、パワーが足りないのか。腕力と握力も鍛えなきゃ駄目ってことか……対応したスキルが確かあったはずだから、それを修得した方がいいかもな。


 

 次は【水泳】というか【潜水】だ。が、その前に精霊魔法も試してみよう。服はパンツ以外は全部脱いだ。地面に鉄杭を打ち込んでロープを繋ぎ、もう一方を腰に巻いておく。命綱代わりだ。

 水の精霊に訴えてから、ゆっくりと足を水面に着ける。普通ならそのまま沈むはずが、足の裏はしっかりと水面を捉えている。まるで地面を踏むように。よし、【水上歩行】はいけそうだな。

 少し歩いてみようと一気に体重を掛けると、そのまま身体が沈んだって待ておいっ!?

 冷たい湖にダイブする。沈む身体は腰に掛かる負荷と共に止まった。命綱のお陰だ。でも引きずり込もうとする力は相変わらず働いてるので、腰がロープに圧迫されて痛い……それに冷たい水が容赦なく体温を奪っていく感覚がする。GAOのことだ、こういう場合のバッドステータスとかもあると考えて行動した方がよさそうだな。

 急いでロープを伝って水面に出て、そのまま岸へと上がる。用意しておいた焚き火に駆け寄って、すぐに身体を温めた。あー、生き返る……

「……こりゃ、防寒対策も必要かもなぁ……」

 耐性系のスキルに【耐寒】があったはずだが、あれって低水温からも身を守ってくれるだろうか。対策しておかないと本当に【風邪】をひきかねない。【風邪】は既に確認されてるバッドステータスだしな。

 それにしても【水上歩行】は何がまずかったのか。集中し続ける必要があるのか。単に重量超過か。それともまともに使うにはレベルが足りないのか。

「要検証、だなぁ……」

 とりあえず【耐寒】を修得しておくか。何かここへ来て、どんどんスキル修得してる気がするな……SPには余裕があるし、修得しないとまずいから仕方ないんだけど。


 

 腹が減っては戦ができぬ。よって飯は食わねばならない。というわけで料理だ。保存食もあるが、温かいものが食べたい。ここ、寒いんだもの。干し肉とかドライフルーツとかだと身体が冷える気がする一方だ。身体の芯から温まる、そんな食べ物がいい。

「お、重い……」

 しかし、調理器具も軒並み重たく感じるここでは料理も一苦労だ。野菜の皮むき程度で手が震えたりする……料理、全部鉄板焼きにするか? いやいや、この環境だとやっぱり温かいスープとか飲みたい。というか、食い物くらい普段通りにしてないとモチベーションが維持できないと言うべきか。リアルにいる時にリフレッシュできるのかもしれんけど、ゲーム内でのモチベーションも必要だと思うのですよ、はい。


 


 1日、色々な事に挑戦してみて分かったというか体感したことがある。

 まず、ステータスの方だが。体力と筋力が上がってた。1日、運動や作業をしただけで、だ。荷物運び等の重肉体労働を何日かやって筋力が上がった、って話は聞いてるが、上昇効率はこっちの方が上だろう。このまま続けてれば、タンク職や重量武器使い並に筋力が上がりそうだ。これはいいメリットだ。ここの地上でも効果こそ薄れるだろうけど同様の恩恵が受けられそうだけどな。外に出られたら、穴を塞いで安全を確保した上で修行場として活用してもいいかも。効率はともかく、そっちの方が精神衛生上はよろしいだろうし。

 それからやっぱりスキルの上昇が早いような気がする。【登攀】や【水泳】は高重力の負荷が掛かってるから分かるけど、【暗視】や【潜水】、休憩の合間に使ってた【魔力制御】まで上がるのが早いような。【暗視】や【魔力制御】はレベルが低いことに加えて結構な頻度で使ってたし、【耐寒】はパッシブスキルで環境や水温のせいと考えれば納得できるんだが、【潜水】なんて、要は息が長く続くようになるスキルなわけだから、レベルはともかく重力の影響でどうこう、というのは考えにくい。

 ここって何か特殊な場所なんだろうかね。この世界的な超常の力が働いて云々、とか? それとも聖域とかそういった類の場所か? よく分からん。

 でもまぁ、スキルにしろステータスにしろ、より効率的に上げられる場所、ってことには間違いなさそうだ。その上で、今後どうするか。

 イベント時の特殊フィールドのように、メールやチャットは制限されている様子はない。だからツキカゲあたりに連絡を取って依頼すれば、救援に来てくれはすると思う。つまり、ちゃんと保険はあるわけだ。それに、今のペースなら、オークションには十分間に合うと思うし。今すぐに脱出する必要もなさそうだ。

 メニューを開き、ログアウトボタンに指を近付ける。これを押したら、もう引き返せない。特訓を続けるにしても途中でギブアップするにしても、しばらくはここに拘束されることになる。

「ここまで好条件が揃ってるなら、やらない理由はないよな」

 この状況から脱出するため。そして、今後のGAO内での活動のため、つまり今後、楽をするために、今は厳しい環境に身を置くことにしよう。

 ログアウトボタンを押下する。さぁ、ブートキャンプの開幕だ。

 

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