第70話:その後の経過
ログイン66回目。
どこまでも続く床は一面の白だ。そんな場所に俺は立っている。壁はなく、天井もない。ただ床だけが広がり、それ以外は黒一色の世界だ。
「何だこれ……何かのバグか?」
今までこんな場所に来たことは一度もない。となると、システムの異常としか考えられない。
「いや……違うか」
データが壊れてどうこうというより、元からこういう風に作られた空間なんだろう。少なくとも、ここがGAOのシステムによって構築された場所である事は間違いないようだ。試してみたら、ちゃんとメニューを開くことができたからだ。ただ、メール、フレンドチャット、掲示板が使用不能になってるな。開こうと思ったら『現在使用できません』ってメッセージが出る。
ゲーム内のことも気になるが、今は現状の把握が先だ。幸い、GMコールは可能のようだからしてみるか。
コールすると、少しして目の前に人影が現れた。
恰好はGAO内の住人のものだ。20代半ばに見える女性。薄い茶髪をポニーテールにした美人さんだ。
「GMコールセンター、担当のアイシャと申します。どのような御用でしょうか?」
GAOの中の人、アイシャさんはそう尋ねてきた。GAO内でGMコールしても姿は見せなかったのに、ここだと担当者がアバターで出て来るのか。
「え、っと。今の状況を確認したいんですが。俺、イベント中の戦闘で死亡したはずなんですけど」
「失礼ですが、本名とプレイヤーネームを教えていただけますか?」
「本名は狩野拳児。プレイヤーネームはフィストです」
「少々お待ちください」
アイシャさんはウィンドウを立ち上げて何やら操作を始めた。こちらからは何も見えないな。というか、今のこの状況だけじゃ何が起きたか分からないんだろうか?
「お待たせいたしました。えー、今のフィスト様の状況ですが、死亡は確認されていませんね」
「は? いや、でも……」
「はい、状況は確認済です。エルフの村でネクロマンサーと対峙して力尽きた、そう理解されているのだと思いますが、フィスト様はまだGAO内で生きています。ステータス的には、今のフィスト様は昏睡状態です」
えーっと……いや、待て待て。あの状況で生きてるってのは無理があるだろ。あのまま死霊騎士とアンデッド共に殺されてるのが普通だ。
「いや、アレで死んでないとおかしいでしょ……」
「確かにあのままならば、死んでいたと思います。ですがフィスト様が倒れた後も、状況は動いていますので」
つまり、あの後何かがあったってことか? その結果、俺は死なずに済んだ、と。でも、一体何が起きたんだ? それに、だったらどうして俺はここに?
「この空間は通常、イベントで死亡したプレイヤーが再ログインした時に跳ばされる場所です。特定イベント中、リタイアしたプレイヤーを終了まで再参加できないように隔離し、イベント参加者に余計な情報を与えないための措置ですね」
まぁ、言いたいことは分かる。死者は何も語らない。進行中イベントの情報は、あくまでゲーム内でのみ共有されるべき、ってことだろう。死者から情報をもらって有利に動くのは虫がよすぎるってことだな。それはいいんだが、
「じゃあ、どうして俺はここに?」
俺は死んでないらしい。だったら、ここに来る必要もないと思うんだが。
「開発以降、初のケースとなりますが……」
珍しいものを見る目を俺に向けてくるアイシャさん。
「まず、昏睡状態に陥ったということ。目覚めるまでの時間はケースによりけりなのですが、今回のフィスト様の場合は、覚めるまでの時間がかなり長いことが確定していまして。一応、連続ログイン可能時間を超えることはないので、実際にゲーム内で目覚めるまで放置でもいいのですが、自分の意志でとるゲーム内睡眠とは事情が違うので、この場合は強制ログアウトの措置を取らせていただくことになっているんです」
ゲーム内睡眠はリアル同様、例えば大きな物音とか誰かに起こされたりすることで終わらせることが可能だ。でも今回の俺のケースは、そういう要因で短縮されることがないんだろう。ログインしているとその間、プレイヤーは無駄に時間を過ごすことになる。リアル時間を有効に使えるように、って措置なんだろうな。
「じゃあ、俺はしばらくゲーム内にはログインできないって事ですかね」
「そうですね。フィスト様の場合は昏睡状態が終わればログインできるようになっていますので……」
どれくらいでログイン可能になるかを、アイシャさんは教えてくれた。
「あと、イベント自体が現在も進行中ですので、リタイア同様、このエリアへ転送されています。現時点では通信や掲示板は使用不能となっていますが、イベントが終了するとシステムの制限は全て解除されます。昏睡から覚めるまでにイベントが終了すれば、その時点で他のプレイヤーと連絡を取ったり掲示板の閲覧も可能になります。ですが、もしも今の状況すらも楽しみたいのであれば、ログインするまで余計な情報は目にしないままを推奨しますよ。その方がリアリティを堪能できると思いますので」
悪戯を思いついたような笑みでアイシャさんは言った。むぅ、そういう言われ方をすると、それに従った方がいいと思えてしまうな。向こうで目を覚まして、周囲にいるであろう人に、事情は把握してると言うよりも何があったか聞く方が確かにリアリティはある。
「分かりました、しばらく大人しくしときます。ありがとうございました」
「これからもGAOをよろしくお願いいたします。よき異世界ライフを」
せっかくだからその言葉に従うことにする。アイシャさんは深々と頭を下げて、その場から消えた。
さて、それじゃリアルの諸々を今の内に片付けとくか。
ログイン67回目。
家事全般を片付けて時間を潰し、ログインした。
が、いつもと状況が違う。どうやら目を閉じたままのようだが、何だか浮遊感がある。全身を何かに包まれているような感覚もある。まるで水の中にいるような感じだ。
瞼が重い。音も聞こえない。何か身体がだるいな。ただ、口にはわずかに甘みを感じる。そういや空腹感もあるな。この甘い何か、食えないだろうか。
口を動かすと甘みが口いっぱいに広がった。何だこれ!? めっちゃ美味いぞ!? 食べ物じゃないな、何か液体みたいだ。少し粘度があってとても甘い。けどしつこい甘さじゃないし、のど越しもいい。飲めば飲む程、満たされていく感覚がある。身体のだるさも消えてきたし、何だか力が溢れるような……
欲求に逆らわず、それを飲み続けながら目を開けてみる。やっぱり水の中っぽいな。呼吸できるのが不思議だけど。
そして、俺の前に美しい女性の姿があった。長くとがった耳だけ見たらエルフに思えたが、髪はウェーブした翠の長髪だ。肌は白く、肉感的な身体。身に纏った申し訳程度の蔦や葉が、胸と下半身を隠している。あれだな、多分。樹の精霊だ。
その女性は優しく、しかしちょっと困ったように微笑むと、ゆっくりと消えていった。同時に周囲に変化が起きる。俺を包んでいた液体が、同じく俺の身体を固定していた木の枝に吸い込まれていくのだ。ってことは、さっきの液体はこの木の樹液ってことか? いや待て、俺はその樹液に浸かってたわけで、つまりさっき俺がたっぷり飲んだのは――
「おえっぷ……」
言ってみれば、自分が入ってた風呂の湯を飲んだようなものだ。いや、味は最高だったわけだけど、何か微妙な気分になった……
いや、それよりも、だ。今の俺はどんな状態なんだ?
周りを見ると、どうやら木のうろっぽい。俺の身体を吊すように固定してた木の枝は、そのまま壁に吸い込まれていった。どうなってるんだろうな?
身体を確認してみると、傷1つない。死霊騎士の一撃を受けた脇腹もその他の箇所も綺麗なものだ。切断された左腕はちゃんと生えている。動かしてみても違和感は全くない。それはいいとして、
「何だこれ?」
俺の身体が蔦に覆われていた。正確には上半身だが。腕も指先まで覆われてる。が、動きは全く阻害されてない。肌触りも悪くないな。まぁ、服の代わりだと思えばいいか。どうも、昏睡する前に着てた服はこの蔦の下にはないっぽい。
とりあえず、うろの外に出る。目に入ったのは3枚の土の壁だ。このうろを囲むように建っていて、壁と壁の間にエルフ女性が2名、こちらに背を向けて立っている。そして、右の壁の前に1頭の暴風狼。
「よぉ、クイン」
手を挙げて言うと、クインは伏せていた頭を上げた。一瞬だけ驚いた顔をしたが、ようやく起きましたかと言わんばかりの顔に変わる。が、尻尾はユラユラ揺れていた。
「フィストさん!? 目を覚ましたんですね!」
振り向いたエルフ女性が、俺を見て驚きの声を上げた。別のエルフ女性はそのまま駆け出していく。俺が目を覚ましたって大声をあげながら。
「身体の具合はどうですか? 痛む箇所はありますか?」
「いや、どこも不具合はない。それより、今の状況を――」
俺の身体を心配してくるエルフ女性に答え、現状把握をしようとしたところで、土の壁が崩れた。壁の向こうにあったのは少し荒れたエルフの集落。村の中なのかここ。
背後を見ると、うろの中にはアルザフォスの神像が安置されていた。視線を上げると立派な翠精樹の姿がある。俺がいたのは中央の翠精樹のうろの中だったわけか。てことは、俺、この樹に助けられたんだろうか。
「フィスト!」
聞き覚えのある声が聞こえた。振り向くとザクリスがこちらに全力で走ってくるのが見える。おお、結構足が速いな。
「よかった! 意識を失って3日! いつ目を覚ますかと……っ!」
近付くなり俺の手をがっしりと握って回復を喜んでくれるザクリス。彼だけじゃなく、他のエルフ達もこちらへとやって来る。
しかし3日? GAO内では3日経過してるのか。ザクリス達がこの状態だ。恐らく危機は完全に脱したんだろうけど。
「ザクリス、早速だけど、状況を教えてくれ」
「それは私から話そう」
いつの間にやら人垣になっていたエルフ達を割って、村長のヨアキムさんが出てきた。
「だがその前に。フィスト殿、この度は我らの村を救っていただき感謝する」
そして頭を下げてくる。他のエルフ達も一斉に頭を下げた。えー、と……俺、途中でリタイアしてるようなもんなんだけどな……まぁいいか。それより説明を聞く方が先だ。
「それじゃ、済みませんが。あれから何があったのか教えてください」
軽く頷くにとどめ、先を促す。
「では……あの時、フィスト殿の身体が前に倒れようとしたその瞬間、轟音と共に貴方に襲いかかろうとした不死者共が吹き飛び、塵と化したのだ。そして、いつの間にか現れた1人の異邦人が貴方を抱き止めていた」
あのタイミングで救援が来たのか。てことは多分――
「剣と盾を携えた金髪の青年だった。続けて5人の異邦人がその場に現れ、死霊術師へ攻撃を仕掛けた。彼らは自分達をフィスト殿の友だと言い、【シルバーブレード】と名乗った」
やっぱりか。他に思い当たる救援なんてないからな。
「彼らは瞬く間に不死者達を倒していった。貴方が傷つけられたことが業腹だったのだろう。特にルークという青年の戦いぶりは、こちらが恐ろしくなる程苛烈だった」
ヨアキムさんの顔色が悪くなった気がした。どれだけ暴れたんだよルーク……
「死霊術師はそのまま逃走した。その後は怪我人の治療や火災の消火に当たったのだが、フィスト殿の怪我は予想以上に酷かった。特に瘴気による侵食がかなりのものでな。解毒ポーションも効果が薄く、精霊の力が戻って来てはいたが、それによる瘴気除去も間に合わない、そんな状況だったのだ」
瘴気毒、そして瘴気による傷の侵食は治療を妨げる。傷を癒そうとしたらまずはそれを取り除かなくてはならない。以前、クインの傷がポーションで治らなかったのもそれが理由だ。だからあの時は、瘴気毒を解毒してから治療した。
「故に、我々はドライアドに頼った」
で、そんな状態の俺が回復できた理由がそれらしい。翠精樹を見上げる。当然、樹が何か言うわけではないが、やっぱり俺が助かったのはこいつのお陰のようだ。
「樹精による回復は、樹精を介して植物の生命力を用いることで行われる。ドライアドの生命力に頼るしかなかったのだ」
それって、翠精樹の生命力を削って俺に与えたってことか? っておい、翠精樹ってエルフにとって大切な樹だろうに。よかったんだろうか?
「ただ、ここで誤算というか、通常では有り得ぬことが起きた。ドライアドがフィスト殿を取り込んだのだ。この村で生まれ育ったが、あのようなことは初めてだった」
うーむ、これってどういうイベントなんだろうな。翠精樹が自発的に俺を癒そうとした、ってことだろうか。エルフ達を護ったから、そのお礼とか?
「ただ、治癒は問題なく行われた。瘴気は除去され、切断された腕も元通りに繋げられた。それでも身体に掛かった負担は大きかったのだろう。取り込まれて今まで、フィスト殿は眠り続けていたのだ」
まぁ、大体のところは分かった。エルフの皆さんのお陰で、俺は死に戻りをせずに済んだ、ということだ。
「色々と、ありがとうございました」
お礼を言って頭を下げる。プレイヤー的には死んでも問題なかった。でも、彼らがそこまでしてくれたことは素直に嬉しかった。
「フィスト殿には一族を、そしてドライアドまで救っていただいた。私達は貴方に返しきれない程の恩があるのだ」
うーむ……途中からはルーク達に丸投げしたようなもんなんだけどなぁ……俺がルーク達に連絡を取ってなかったら、俺が倒れた後でこの村は壊滅してただろうってのは分かるけど。ただそこで俺だけ持ち上げられてもモヤモヤするというか。
「そういえばルーク達はどこに?」
そうだ。オトジャを撃退してその後。ルーク達はどこに行ったんだ?
「彼らは死霊術師を追いかけた。それまでは村の復旧作業を手伝ってくれていたが、ウェナ殿が逃げた死霊術師を追跡していたようでな。本拠地が分かったらしく、潰してくると言って出て行った」
あー、死んだなオトジャ。ルーク達には余計な手間を掛けさせてしまったな……何か料理でも作って労ってやろう。
「長!」
そこへ1人の男性エルフがやって来た。弓と革鎧で武装してるところを見るに、見張りをしてたエルフだろう。
「【シルバーブレード】が戻ってきました。死霊術師を討ち取った、と!」
その言葉を聞いたエルフ達がドッと沸いた。自分達を害する存在が消えたのだ。その喜びは大きいな。
いいタイミングで帰ってきたな。ルーク達には色々と聞きたいことがある。その分、あっちにも色々と聞かれるだろうけど、それは仕方ないか。
さて、どうだったのかね。